第23小節目:距離
「おはよう、小沼」
改札を出たところに制服姿の吾妻ねえさんが立っていた。
「おお、おはよう」
おれが挨拶を返すと、手を後ろで組んで、少し身体をかがませてこちらを見上げてくる。そして、演技がかった感じで、
「2回目の『おはよう』、だね?」
と言って来た。早朝に曲を送った後の電話での『おはよう』のことを言ってるのだろう。
「そうなあ……。ていうか、もしかして市川の真似してる?」
「お。なんでわかったの?」
やるじゃん、みたいな顔をしながら、かがんだ姿勢を正してブレザーのポケットに手をつっこむ。
「いや、なんとなく」
「へー……」
ていうか半分くらい当てずっぽうだったのに当たってんのかよ。
「なんでいきなり真似なんかしたの?」
「いや、なんとなく」
「へー……」
吾妻がおれと同じ返しをしてくるので、おれも吾妻と同じ返しをしてやった。
「真似すんなし」
「どの口がそれを言ってんだ」
「あはは」
一連のやりとりが楽しかったらしい。ねえさんは「うける」と上機嫌に笑っている。さては寝てなくてちょっと変なテンションになってるな……?
「……で、なんで東小金井駅?」
吾妻に『曲の話したいから一緒に登校しよう』と、ラインで待ち合わせ場所に指定されたのは東小金井駅。
新小金井駅でも、武蔵境駅でもなく、学校から30分程度歩く、通学圏内の中で一番遠い駅だ。昨日、英里奈さんと手を振った駅もここである。
「そんなの、天音に見つからないようにに決まってるじゃん」
「はあ……?」
曲の話をするっていうのにそんなことを気にする必要があるのだろうか。
「今日あたしが話すことにはちょっと必要があんの。あたしだってコソコソしたくはないけど……」
「ほーん……」
ていうか今、心読まれたな……。
「あんた、あいづち……。まあいいや、行こ」
吾妻が歩き出すのでおれはその横に並んだ。
「そういえば、今日はすっぴんじゃないんだな」
「……ほぇ?」
おれが声をかけると素っ頓狂な声を出してこちらを向く。
「いや、このあいだ音源を送った時……ほら、『平日』の追加部分を送った時はすっぴんにマスクで来ただろ?」
おれの指摘に、吾妻は頬を少し赤くして、半目でジトッとこちらを見て来る。
「……セクハラ」
「セクハラ!?」
嘘だろ? なんでそんなことを言われなきゃならないんだ。
「そんなとこまで気づくなし……、色々やりづらくなるでしょうが……」
「はあ、何が?」
「何でも!」
コホンコホン、と吾妻がわざとらしく咳払いをしながらそっぽを向いた。なんかよく分からないけどこれ以上は踏み込まない方がいいらしい。
「それで、曲の話ってなんだ? 内容の説明した方がいいか?」
「いや、別にそれは大丈夫。あんたが何言いたいかは聴けば分かるから」
「すげえな……。まあ、たしかに『バトンは受け取った。あとは、あたしに任せて』って言ってたしな」
思い出して改めて感心していると、萌え袖の『萌え』の部分で口元を押さえて、またジロリとこちらを見てくる。
「萌え袖の『萌え』の部分って何……? ていうかなんで一言一句覚えてんの……あんたそれ、対amane様だけのスキルじゃなかった?」
「いや、かっこいいセリフだなあと思ったから」
「ちょっと、今朝のあたしをいじろうっての? そんなことしたらただじゃおかないから」
「いや、素直な意見だよ……」
フシャー! と猫のように喧嘩腰になり始める吾妻をいなす。
「ていうかあたしが言ったこと覚えてんなら、そのセリフの前に言ったことがあるでしょ?」
「ああ、おれからのメールはプッシュ通知が来る話? あれなんで? 音源送った時はラインした方がいい?」
「それは忘れてって言った話!」
顔を真っ赤にしてまたフシャー! と抗議してくる。完全に猫モードだな。
「そうすか……」
「そうじゃなくて、『言いたいことはいくらでもあるんだけど、それは明日に回す』って。その『明日』を今、迎えたってわけ」
さすが吾妻は普通のこと言っててもポエムになるな……。
「ポエムっていうな」
「言ってない」
「じゃあ、思うな」
むすっとした吾妻は、少し声のトーンを落として聞いてくる。
「確認したかったのは……その、あんたが最初に『誰か』のために作る曲は、英里奈のためでいいの? ってこと。天音が怒ったりしないのかって」
「ああ……多分、大丈夫だと思う」
「どして?」
大きな瞳をくりっとさせて首をかしげる。
「……昨日、ライン来てたから」
「なんて?」
やだこの人すごい聞いてくる……。
「その……『頑張って』って」
そう頬をかきながら答えると、
「ふーん、よく出来た彼女だねえ……」
と呆れたような表情で言ってくる。
「そうなあ……」
「そんなに一筋縄で行く気もしないんだけど……。まあ、それなら、それで歌詞にしちゃうよ? どうなっても知らないからね?」
「おう。もう決めたから大丈夫」
「……そか」
吾妻は、おれの答えになんだか少しだけ切なそうにうなずいた。
「ねえ、小沼はさ?」
「ん?」
少し低いトーンのまま、吾妻はおれに問いかけた。
「その……今回の英里奈みたいに、その気持ちが、んーと、叶わなくて、もしかしたら相手には迷惑かけるだけかもしれなくても、その気持ちを持ってていいと思う?」
さっきまでこちらを見ていた目は、歩いている自分の足下に注がれている。
「持ってていいっていうか……」
おれは少し考えて、答える。
「持ってちゃいけないとかで捨てられるんだったら、とっくに捨ててるんじゃないのか? よくわかんないけど……」
多分、それができないから、苦しいんだと思う。
「そっか……そうかもね」
吾妻はおれなんかの言うことを珍しく受け止めて、それから質問を続ける。
「じゃあ、さ。それを伝えることは? それも間違いじゃないって思う?」
「伝えたのも、間違いじゃないだろ」
『これでもう一生、拓人は、うちのこと忘れられない、でしょ?』
ふと、花火大会の沙子の笑顔が浮かんだ。
「なんていうか……おれはありがたいなって思ったよ」
「さこはすの話してんの?」
「……なんでもない、ていうか朝から重たい話すんなし……」
顔を上げてこちらを覗き込んでくる吾妻の視線を避けるために、おれは顔をそらした。
「午前4時に重たいデータ送ってくる人に言われたくないんだけど」
「誰がMBの話をしたんだよ……」
少し軽口に戻ったことに安心して、とりあえずツッコミを入れてみる。
「……小沼がそう言うなら」
吾妻はふう、と何かを決意したみたいに息を吐いた。
「本当に、どうなっても知らないからね」




