第18小節目:『平日』
そして、また放課後がやってくる。
今日は特に約束もないし帰るか、とクラスのみんなと同じタイミングで席を立ったちょうどその時、ポケットでスマホが震えた。
由莉『歌詞書けました!』
おれが顔をあげて市川の方を見ると、向こうもこちらを見て、ニコッと笑った。
不意のアイコンタクト、ちょっと照れますね……。
立ち上がったばかりだが、歌詞を読もうとすぐに座り直した。
由莉『ノートに投稿したいので、グループに入って!』
ノート? グループ?
スマホには、
『グループ「プロジェクトamane様」に招待されています。』
と表示されている。
なんだ、これ? あ、わかったぞ、これがLINEグループというやつか!
それにしてもグループの名前……。
苦笑いをしながらも『参加』のボタンをポチッとする。
すると、
『小沼拓人が参加しました。』
『天音が参加しました。』
と二人の名前が並んだ。
由莉『ノートに投稿します!』
すると、ノートとかいうおれの知らない新機能に歌詞が投稿される。
「おぉ......」
「わぁ......」
教室の少し離れた席で、二つの小さな歓声が上がった。
***
『平日』
目覚まし時計に追いかけられて家を出た
革靴は足にひっかけたまんま
チャイムと同時に教室に飛び込んだ
寝癖をみんなに笑われた
憂鬱なはずの起床、窮屈なはずの電車、面倒なはずの学校が、
なんでだろう
机の下を走る秘密のメッセージに
「えっ?」て声が出て叱られて
4限で指された私の代わりに
お腹が答えてまた笑われた
退屈なはずの授業、困難なはずの勉強、面倒なはずの学校が、
なんでだろう
下校道、電車を何回も見送って
ホームで日が暮れるのを見て
帰りの電車、今日一日を思い出したら
変だな、なんかちくっと痛い
厄介なはずの下校、窮屈なはずの電車、面倒なはずの学校が、
なんでだろう
ねえ、なんでだろう?
***
その歌詞は、おれの書いた『日常は良い。』を解釈して、ちゃんとした歌詞にしたものだった。
この歌詞が良いのか悪いのかは、正直まだおれにはよく分からない。
だけど、自分の曲にちゃんとした歌詞が付いている、というその感動で、おれはその歌詞を何度も何度も読み返すばかりだ。
気づけば、教室にはおれと市川だけになっていた。
市川を見やると、まだスマホを見ながら呆けている。
「市川?」
「小沼くん……小沼くん!」
ゆっくり顔を上げた市川は、興奮気味におれの名前を呼ぶ。
「由莉、これ、すごい! 由莉!」
そう言って、頭上高くスマホを掲げた。
「ねえ、これ早く歌ってみたい!」
「そう、だな」
おれも、この歌詞があの曲についたところを早く聞いてみたい。
「ねえ小沼くん、これからスタジオ行こ?」
うずうずした感じで市川が提案してくる。
「す、スタジオ!? ロック部の?」
「ううん、多分空いてないから、吉祥寺の貸しスタジオ!」
貸しスタジオとは、一時間2,000円くらいで防音スタジオを借りることが出来る施設だ。
1人や2人で直前に予約すると、個人練習という予約方法で借りることができて、もっと安くなることもある。2人で800円とか。
「ねえねえ、小沼くん!」
フリスビーを加えてきた犬みたいに、目を爛々と輝かせている市川。
この表情をされると、断れなくなる。
「わかった、じゃあ、電話してみよう」
スマホで吉祥寺のスタジオを検索して、電話してみる。
横では市川が鼻息荒くこちらを見ている。いや、近いです……。なに、店員さんの声でも聞きたいの?
もしかしたらいくつかかけてみないとかな、と思ったが、運良く1つ目に電話したスタジオで予約をとることができた。
「そんじゃ、行くか」
「うんっ!!」
無邪気に答える市川に、おれもつい頬がゆるんでしまった。
学校から出て、吉祥寺へと向かう。
「今さらだけどさ、小沼くん」
新小金井駅まで歩く道すがら、優しい声色で市川が言った。
「ん?」
「昨日、すごく頑張ったね」
「昨日?」
おれは、本当はちょっとわかっているくせに、面と向かって言われるのが恥ずかしく、わからないフリをしてみた。
「沙子さんのこと」
「いや、あれは……」
「頑張ったよ、小沼くんは。ものすごく」
優しく、何かを慈しむように市川が微笑む。
その表情に、一瞬見とれてしまった。
小さく首を振って、目線を戻す。
ちゃんと、伝えよう。一つ一つ。
「市川のおかげだ」
「え?」
「市川が、『大丈夫だよ』って言ってくれたから」
おれは前を向いたまま、市川の方を見ずに伝える。
恥ずかしくて、顔が沸騰しそうだ。
「だから、なんとか」
えへへ、と照れたように笑う声がする。
二人して照れて、バカみたいだ。
どこか遠くのカラスの声と、二人分の靴音だけが、夕暮れに響いていた。
「そしたら、もう、大丈夫そうかな?」
市川がそっとつぶやく。
「曲作ってるって、人に言えそう?」
そう訊かれて、おれはふと黙り込んでしまう。
自分の曲だと紹介しながら、作った曲を誰かに聴かせる場面を想像してみた。
初めて曲を聞かせた時の沙子の顔が浮かぶ。
あの、冷たい表情が。
「……分からない」
気づくと、手が震えている。
それを見て、乾いた笑いがこぼれた。
本当におれは、どこまでもカッコつかないな。
「まだ、怖いらしい」
そう言って、震える手を自分の顔の前に出す。
「……そっか」
市川は、当たり前だけど、その手を握ることもせず、背中を叩くこともない。
ただ、それでも、隣を一緒に歩いてくれた。
「本当に、よく、頑張ったね」
そんな言葉をつぶやきながら。