第16小節目:ふわりのこと
その日の夜。
約束通り市川と一緒に下校し、いつも通り適度に気を失い、帰ってから家のリビングのソファでまたくつろいでいた。時計は夜十時を指している。
昨日と同じようにおれの膝の上にはゆずの足があり、昨日と同じようにゆずは『もう一度、恋した。』とかいう漫画を読んでいる。
「まだそれ読んでんの? 進み遅くない? まだ3巻じゃん」
「いや、4周目だから」
「は、まじで? そんなに面白いのか、すげえな……」
とはいえ、さすがに4周目ともなると集中力も昨日ほどではないらしく、漫画を自分のお腹の上に置いておれに質問してくる。
「ね、たっくんて、沙子ちゃんと幼馴染だよね?」
「そうなあ……」
改めて確認されると、なんか恥ずかしいけど。
「だよねー、実際の幼馴染ってそんなもんだよね」
ゆずは、そう言いながらふむ、と思案顔をする。
「なんの話?」
「この漫画、幼馴染の男の子と恋する話なの。それで、幼馴染っぽいシチュエーションが色々出てくるんだけど、実際こんなのあるのかなって」
「例えば?」
「えーとね……『高校から一緒に帰る』とか、『朝起きたら家にいる』とか、『地元の花火大会に一緒に行く』とか、『男の子が射的で取ってあげた景品を大事に女の子が持ってる』とか……いや、前言撤回マンだ。うわあ、全部たっくんと沙子ちゃんやってるじゃん。リーチだ。あと1つあったらビンゴ……!」
「なにビンゴだよ……」
目を見開いている前言撤回マンを白い目で見てやる。
ていうか『朝起きたら家にいる』はゆずの差し金だっただろうが。あと、射的の景品うんぬんについてはなんで知ってんの? もしや幼少期の記憶あるタイプ?
「あとはね……、『夜、家にいて妹と話している時に電話がかかってきて、駅まで呼び出されて、なぜか向こうの家まで送らされる』かな」
「なんだその限定的なシチュエーションは……。それはさすがに」
ない、と言い掛けたその時。
そうはさせるか、とばかりにテーブルの上に置いてあったおれのスマホが震える。
「たっくん電話ー。またアマネさん? じゃない! 沙子ちゃんだ!」
スマホを覗き込んだゆずが色めき立つ。
「うそだろ……?」
あごをくいくいっとやって、『出なさい』と指示してくる。まだ出てないから声出していいんだよゆずちゃん。
うながされておれはスマホを手にする。
「……もしもし?」
『あ、拓人。出てくれた。ごめん、今から駅来られる』
お得意の語尾上がらない系質問だ。
「……いけるけど、なんで?」
『ちょっと説明するのは面倒なんだけど、うちの家まで送ってほしい』
「だろうなあ……」
これで違う用事だったらその方がわけわからん。
『は。うち、こんなこと頼むの初めてなんだけど』
「いやあ、予言書があるんだよ」
『なに言ってんのか全然わかんない』
「それも、そうだろうなあ。まあとりあえず行くよ」
『ありがとう。……いつも、ありがとう』
なんか重ね重ね御礼申し上げられつつ電話を切ると、ゆずが顔をのぞきこんできた。
「……ビンゴ?」
「……ビンゴ」
わあっと両手をあげて喜びを表現する我が妹。
「すごーい! 景品は?」
「いや、この場合って景品もらうのおれじゃない? ビンゴしたのおれと沙子じゃん」
「帰りにハーゲンダッツ買ってきてくれる?」
おれの言葉をナチュラルに無視するなよ。
「そんな良いもんなわけあるか。カルピスアイスバーで我慢しろ」
「そう言いながらもハーゲンダッツを買ってきてくれるところがすーきー!」
「はいはい……」
おれはもうなにを言っても仕方ないと諦めて席を立つ。
……いや、おれだって利用されてるだけだってこと分かってるからね? わざとだよ、わざと。
パーカーを羽織って、駅まで向かう。10月もなかば、さすがに結構寒くなってきた。
「沙子」
改札を出たところでスマホをいじっている金髪に声をかける。
「あ、拓人。ありがとう」
「っていうか今帰ってきたのか。遅くない?」
「ごめん」
「いや、おれに謝られても……」
おれ、沙子ちゃんのパパじゃないし……。
「遅いことは分かってるんだけど、英里奈が帰してくれなかった」
「ああ、そういうこと……」
そういえば、英里奈さんは今日沙子と一緒に部活をサボるとか言ってたな。
「だから、『部活の後にバンドの練習することになった』って、パパ……父親に連絡したの」
「いやもうパパでいいよ」
「そう」
少し首をかしげてくるので、「そうだよ」と返した。
「ま、拓人だったらいいか。んと、パパ、音楽のことだと甘いから。そしたら、『拓人君に送ってもらいなさい』って」
「そうかあ……」
随分と信用されたもんだ。おれ、ひ弱過ぎて不良に絡まれたら絶対負けるけどな。
「んじゃ、まあ、行くかあ……」
「ん」
一夏町駅を出て、街灯もまばらな暗い道をとぼとぼと沙子の家の方へと歩き出した。
「ていうか、こんな遅くまで付き合わされて大変だな。英里奈さんは吉祥寺が家に近いからって……」
英里奈さんは井の頭線沿線のどこかに住んでいた気がする。
「英里奈は、今日が最後の放課後かも知れないからって言ってた」
「最後の放課後……?」
なにそれ。英里奈さん卒業すんの?
「どういう意味かはうちも聞けなかったけど、多分……うちらが普通でいられる最後の放課後ってことだと思う」
「なんだそれ……」
明日が間からの告白の返事を聞く日だからということだろう。だけど、それでそこまで大きく変わってしまうものなのだろうか。
「……うちは、ちょっと分かる。大事な友達とちょっとしたことで……その、崩れることは、あるから」
内容が内容だけに言いづらそうに沙子は口にした。別に蒸し返したいわけではないのだろう。その意図を汲んで、おれも「そうか」とだけ返した。
「うちは、」
沙子が小さく呟く。
「あの2人が付き合ったらいいなって思ってる」
「……そうなのか」
「でも、『付き合ったらいいのに』なんて、絶対に2人には言えない」
「だろうなあ」
英里奈さんはともかく、間に対して残酷だし、失礼だ。
「……本当に、最後の放課後になっちゃうのかな」
寂しそうな声音で呟かれた言葉に、おれが答えに窮したちょうどその時、沙子の一軒家の家の前に着く。
「ん、もう着いちゃった。……ありがとう、拓人」
「お、おお……」
「気をつけて帰ってね」
玄関の灯りに照らされて、沙子が小さく手を振って、ドアを開けようとするのを、
「沙子」
と呼び止めた。
「なに」
ドアにかけた手を一度離し、こちらを見て若干首をかしげた。
「……さっきの話。その……友達とちょっとしたことで崩れたってやつ」
「ああ、うん」
続けて、とこちらを見つめてくる。
「でも……戻っただろ? むしろ、前よりも良くなった」
「…………」
「と、おれは思ってるんだけど……」
返事がなくて不安になり、つい弱気な言葉を続けてしまう。
「…………」
「えーっと、どうすかね……?」
なおも返事がないのでだらだらとまだ続けていたのだが、少し経って、沙子は「ふふ」と小さくだが、声を立てて笑う。
「だったら、嬉しい。……良かった」
どうやら、乗り越えた日々のことを思い出していたらしい。ついさっきと比べて随分優しい顔になってくれておれも安心する。
「ありがとね、拓人。ありがとう」
「おう」
「……じゃね」
今度こそ、沙子はドアに手をかけて、開けようとする。
……いや、あれ?
その時、おれはとある疑問にぶつかる。
「なあ、沙子」
「なに」
再度の呼びかけに、今度はドアに手をかけたままこちらを向いた。
「おれ、沙子のお父さんに会わなくていいのか? その、アリバイ的な……」
それが要らないなら、一人で帰って『拓人に送ってもらった』とでも言っておけばいいのでは?
「ああ……。拓人は簡単にだませて可愛いね」
「か、かわいい……!?」
自分を形容する言葉としては初めて聞く言葉に動揺する。
「ちょっと話聞いて欲しかったからだましちゃった、てへ」
「いや、『てへ』って、そんな無表情で言うことじゃないから……」
棒読みもいいところだ。ていうかだまされたのかよおれ……。
「ていうか、うちがだますの上手いのかも。だってほら、」
0.数ミリのドヤ顔で沙子は笑う。
「うちってポーカーフェイスでしょ」
「そうなあー……」
いや、それは本当にそうだね……。




