第14小節目:桃色
部屋に戻って慌てて電話を掛け直す。
2、3コール鳴らした後。
『……はい』
よかった、出てくれた……。
「えーっと、今大丈夫になりました……。それで、何か用でしょうか?」
『…………』
電話の相手はかなり強情と見える。相変わらず無言しか返ってこない。……言いたいことは分かっている。
「……何か用か、天音?」
おれがやっと下の名前で呼ぶと、電話の向こうから『ふへへ』と声が聞こえた。ふへへ?
『こほん……許しましょう。というか小沼くんはどうせ、どうして私が怒ってるかも分かってないんだろうけど?」
「そうなあ……」
『もう、便利な口癖だなあ……。『ちゃんとかえってきてね』って言ったのに全然連絡くれないからだよ』
ため息混じりに市川が早々に答えを教えてくれる。
「おお? ちゃんと帰ってきたよ。飯も食って、ゆずと一緒にくつろいでたレベル」
『はあ、その行間の読めなさで、どうしてあんな良い曲が書けるの……?』
「い、良い曲とかいきなり言うなよ。褒められ慣れてないんだから……!」
『……そういうところなんだけどなあ。あまりだと、下の名前で呼ぶよ?』
「勘弁してくれ……」
部屋で気を失ってたら何事かと思われてしまう。
『まあいいや、英里奈ちゃん、元気出た?』
「そうなあ……。解決はしてないけど、まあ。ていうか英里奈さんが一番元気出したのは帰りがけの……」
吾妻が大友くんといるのを見つけた時、という話をしようかと思ったが、プライバシーに関わることだ。ぐっと飲み込んだ。
『帰りがけの?』
「あ……いや、なんでもない」
『そう? ……まあ、小沼くんがそういうならいいけど』
そこに含んだ何かを察したのだろう。市川はそれ以上追及しないでくれた。
「……ありがとう」
『ん』
その時、ふと、おれは昼休みのことを思い出した。
「そういえば、吾妻が今日の昼に言ってたんだけどさ」
『どこから『そういえば』……?』
うおお。
「いや……えっと……まあ、とにかく、だ」
『はいはい、どうぞ?』
仕方ないなあ、見逃してあげましょう、のため息。
「昼休みに吾妻と曲作りの話してたんだけど、『言いたいこともないのにライブなんかして、意味あるのかな』って、言ってて。とりあえずは吾妻が歌詞を書いてくれることになったんだけど、たしかにそうだよなあ、って思ってさ。市川は何か言いたいことってあるか?」
『市川……』
市川が口を挟みかけるが、そこはおれにも明確な意志がある。
「いや、バンドの話は、市川だ」
おれがそう言い切ると、
『……えへへ、そっか』
と笑う。なんで嬉しそうなの?
『んー、市川は色々あるよ? 学園祭から、思ってること、感じたこと、たくさん。むしろ小沼くんにそれがないっていうのは結構ショックなんだけど……』
「いや、そんなこと言ったって……」
多分市川が言っているのは吾妻のいうところの『なんかないの? 天音への思いとか』っていうやつだろう。
「……誰かに向けての曲って、思い浮かばないんだよ。書き方が分からないっていうか」
おれは告白する。
『なるほど? どうしてだろうね?』
「ずっと、『誰か』がいなかったからだろうなあ」
『じゃあ、出来るといいね? その「誰か」って人が』
「そうなあ……」
その『誰か』の第一候補はどう考えても今電話をしている相手なのだと、彼女も分かっているのだろう。
『楽しみにしてるね?』
「……まあ」
それに対して、おれはこんな曖昧な回答しか出来ないままだ。
『ねえ、これは私と小沼くんだけで決めることじゃないけどさ、』
「うん?」
『伝えたいことなかったら、ライブに出ないっていうのも一つの選択肢かもね。応募の締め切り、たしか来週末くらいだったと思うから、それまでは悩めるし』
「そんなもんか? でも、経験は積んでおいたほうが良いんじゃ……」
『あのね、小沼くん。そんな通過点みたいなライブを人に見せるわけにいかないよ。でしょ?』
「そう、だな」
市川のミュージシャンとしての芯に触れて、おれはまた感心する。
これまでもこれからも、何度おれは彼女に感心させられて、その度に、自分を情けなく思うのだろうか。並び立つ存在なんかじゃなくて、おれはその先にいかないといけないのに。
『だから明日由莉に締め切り確認して、締め切りまでに4人で相談して決めよう!』
「分かった」
雑念を振り払うように、首を振った。届かないといくら残念がっても届かない。おれはきっと、そのために『キョウソウ』という曲を作ったのだから。
『ねえ、小沼くん? 天音の話、してもいいかな?」
「ん?」
バンドの話ではない、という意味だろう。
『天音は、今日物分かりが良かったと思いませんか?』
「……はい?」
なんだか、その声がふわっと柔らかくなる。
『付き合いたての、ちょっとでも長く一緒にいたい相手から、他の女の子と2人でデートしたいと言われて許したんです』
「それはすみません……。なんで敬語?」
『なので、ご褒美を所望します』
「ごほうび……?」
これはどうしたことだ。
おれは混乱する。
市川が。あの市川が……甘えている!?
これは、ご褒美として、電話越しに『愛してる』と言わされるとか、行動でいうと明日頭を撫でてと言われるとか、結局学園祭のあとのあの時にしたアレをまたするとか、もしくは……いや、え、でも、え?
いやいやいやいや、おれが何かを考えても仕方ない。特におれみたいな経験値の低い人間の貧困な想像力では何も分からないだろう。でもその想像の域を超えるような要望が出てきても対応できないっていうかなんていうか。
「えーっと、ごほうびって、具体的には、なんでしょうか……?」
『えへへ……それはね、』
甘えきった、ふにゃけきった声が向こうから聞こえてくる。
そして、おれの耳朶を打った言葉は。
『明日、一緒に帰ろ?』
「……それだけ?」
『んー? もっと何かしたいの?』
いたずらっ子のような声でからかってくる。おれは動揺を隠せないままだ。
「ああ、いや、そうじゃなくて……」
『……まあ、おいおい、ね』
「ん?」
……今、なんて?
『なんでもない! おやすみ!』
「おお、おやすみ……」
何かを誤魔化すように勢いのよくなった彼女になんとか返事をすると。
『大好きだよ、拓人くん』
その言葉と共に、電話が切れた。
いや、切れたのはおれの意識の線かもしれない。
「ちょっと、たっくん!? 大丈夫!? 電話越しに薬でも盛られた!? ……媚薬!?」




