第11小節目:Eight Days A Week
「たくとくぅん……、今日の放課後マック行こぉー……?」
目の前では英里奈さんが泣きそうな顔で見上げてくる。
「どうした……? ていうか、放課後って部活はどうすんの?」
「うぅー、今日は休むぅー……」
「……そっか、結構やばそうだな」
英里奈さんはワガママかまちょだし、ダラけた喋り方をするが、こんな幼児返りしたような甘え方をするようなタイプではないはずだ。本当は人一倍哲学がある、自立した人だと思う。
部活だって、普段からそんなに気軽に休んでいるわけではないだろう。
その英里奈さんがこんな状態になっているのは、やっぱり。
「間のことか……?」
小声で訊くと、しおらしい小悪魔さんはこくりと小さく頷いた。
「そうかあ……」
さて。
ここでおれは人生で初めての悩みにぶち当たることになる。
論題はこうだ。
『緊急事態っぽい女友達と、通常時の彼女、どっちを選ぶべきか?』
……うん、言葉にするとよく分かる。なんていけ好かない悩み方をしてるんだ、おれは。
逡巡が顔に出ていたのか、
「あぁ、天音ちゃんかぁ……。あぁ、じゃあいいやぁ……。じゃあねぇーばいばぁーい……」
「いや、ちょっと待って」
これまであれだけ世話になって、助けてもらった英里奈さんがしんどい時に恩を返せないのはダメだろ、という感情が先走り、その背中を呼び止める。
振り返った英里奈さんが首をかしげた。
「えっと……市川とは話してなんとか都合つけるから、放課後話そう。緊急事態なんだろ?」
「うん、でもぉ、たくとくんが天音ちゃんを説得出来るとは思えないなぁー……」
「……ん?」
「たくとくん、尻に敷かれるタイプだしぃ……」
なんでしおらしい感じのくせに攻撃して来るのこの人……?
「情けないしぃ、ダサいしぃ……」
「はい?」
なぜか責められながら、おれの中で一つ疑問が首をもたげた。
先ほどおれは『これまであれだけ世話になって、助けてもらった英里奈さん』と思ったけど。
いつ、助けてもらったっけ……?
「そうか、じゃあ」
「でもねぇ」
断ろうと思ったおれの言葉を遮り、袖口をきゅっとつまんでくる。
「本当はたくとくんのこと、頼りにしてるんだよぉー……?」
あざとさ満点の上目遣いで英里奈さんがおれを見てきた。
「はいはい……」
下げてから上げてくるその作戦には乗らんぞ。
……いやまあ、市川と交渉はするけど。
2年6組に戻る。人がまばらな教室のはじっこ。
「ふーん……小沼くんは、私よりも英里奈ちゃんを選ぶんだ?」
市川はおれの目をじっと見ながら眉間にしわを寄せている。
怒っているというよりは、理解できないといった表情だ。
早速、市川御大に今日の放課後は他の女子とマックなぞ参ってもよろしいでしょうかとお伺い奉り申し上げた次第である。
英里奈さんは、「なんかぁ、えりながいるとめんどっちくなっちゃいそぉだからぁ……」とのことで、教室の外で待っているらしい。うん、それが良いと思う。
まっすぐで澄んだ目に射すくめられ、冷や汗をかきながら、別に選ぶとかじゃないんですけど、まあ、たしかに本日の放課後に一緒に過ごす相手という意味ではまあそういう言い方も出来ますよね、さあなんとお答えしましょうか……と思い悩んでいると、
「……って言うと思ったの?」
市川がこてりと首を横に倒した。
「え? あ、まあ、はい……」
拍子抜けしながらも、とりあえず正直に答える。
「自意識過剰だなあ、小沼くんは。そんなに想われてると思ったんだ?」
追い討ちをかけるように詰られて、そう言われるとたしかにそうだ、と恥ずかしくなる。
「……ま、想ってるけどね」
ふいっと横に顔を逸らされた。その横顔の頬が少しふくれている。
「でも、分かってるよ。小沼くんは、みんな助けようとするんだもん」
「いえ、自分はそんな少年漫画の主人公みたいな人間ではないです……」
「たしかに。それはそうだね」
市川は、ふむ、と頷いた。肯定されるのも微妙なところではあるけど、事実だから仕方ない。
「でもね、小沼くんがみんなに優しいのは本当。そういうところも、悪くないとは思う。……良くはないけど」
良くはないんだ……。
「全然、良くはないけど」
むーっと口を尖らせる市川は、恐縮したおれの方をみて、ふっとその頬をゆるめた。
「ま、でも、それが小沼くんだから、仕方ないね。惚れた弱みだなあ、もう」
そして、ニコッと含みのない笑顔を向けて、言う。
「行ってらっしゃい、小沼くん」
おれは額をぬぐいながら、教室を出る。
「天音ちゃん、大丈夫だったぁ?」
と小悪魔さんが訊いて来る。
「うん。分かってくれたみたいだった。あの人、人間が出来てるわ……」
「そっかぁー。でも、たくとくん、甘えすぎないようにねぇ? 天音ちゃんだって、天使じゃないんだからぁ」
と注意して来る。
「あのさ、英里奈さん。おれ恋愛のこととか、人付き合いのこととかよく分かんないし、英里奈さんにも怒られてばっかだし、もし間違ってたらごめんなんだけどさ」
「んんー? どぉしたの?」
いいから言ってごらん? と、優しく微笑む英里奈さんに、おれは勇気を持って伝える。
「それ、英里奈さんが言うことじゃなくない?」




