第74小節目:ダンシングガール
「ううっ、ぐすっ、ぐすっ、すごいものを、見てしまいました……!」
「うん、そうだよね、うん……」
ロックオンの会場であるレクチャールームに向かいながら、平良ちゃんと市川がまだ泣いている。
「ちょっと、そろそろ、泣き、やめよ、二人、とも……」
おれが声をかけると、
「いや、拓人もだから……」
あきれ目のさこはすがツッコんできた。
「そんなこと言ったって……沙子も感動しただろ?」
「したけど、うちは涙をあんまり簡単に流さないんだっての」
フン、と鼻を鳴らした沙子。
「……沙子さん、目、赤いよー?」
イタズラな笑みで市川が沙子の顔を覗き込み、
「……うっさい」
「ええっ、痛いよ! 今のは私悪くないよ!」
またしてもほっぺを引っ張ってじゃれている二人。
「……ていうか、あれ以上のライブ、出来るのかな、うちら」
そんな最中、ポツリ、と沙子が漏らす。
「そんなん、やるしかないだろ」
おれは心の中にあるわずかな不安を塗りつぶすように、口角をあげてみせた。
「おれらだって、今日のために、全部かけてきたんだから」
「だね!」
そうして、学園祭ロックオンの幕が開ける。
今回もおれはPA係で、その傍らには市川と沙子が立っていた。
トップバッターは、ロック部宣伝の校内放送も担当した平良ちゃんだ。
ギター1本で舞台に上がった平良ちゃんは前髪をくしくしと梳かしながら、
「た、平良つばめと申します……!」
と、不安そうに会場の中を見渡す。
「わー緊張してるねー」「あんな可愛い子いたっけ? 1年生?」「どうだろ?」
2年生だろうか、女子たちがほほえましそうに舞台を眺めていた。
「あ、あのあの、自分のことなんか、みなさんご存知ないとは思います。自分は、ずっと引きこもって、ひとりぼっちで、人と関わるのを避けていたので……」
人前で話すことに、全然慣れていないのだろう。
「……多分、ずっと、諦めていただけなんです」
そう切り出して、
「憧れているくせに、手に入らないからって見下すようなことばかり言って、自分はそんなもの求めてないって、言い聞かせていただけなのです」
主語もなく、とりとめもない話を始めた。
「なんの話だろう?」
市川が首をかしげるが、おれにはなんとなくその先が分かるような気がした。
「ですけど、この夏に色々なことに触れて、色々な人と話して、関わって、そして、先ほど器楽部の演奏を見て、ごまかせないくらい、感じてしまいました」
『もー、それ、』『使わないでくださいっ!』『ああっ、またっ!』
平良ちゃんになじられたいくつかの場面が浮かぶ。
「多分、」
スゥー……っと息を吸って、宣言した。
「自分は、リア充になりたいのです!」
「「「「…………?」」」」
会場が水を打ったように静かになり、ほとんど全員の頭上にハテナマークが浮かぶ。
だけど、スイッチの入ってしまった平良ちゃんはそんなことは御構いなしに、語る。
「青春がしたいのです! キラキラしたいのです! あんな風に笑って、あんな風に泣いて、あんな音が鳴らせるような! 去る時に惜しむことが出来て、そして、いつか思い出した時に戻りたくなるような、そんな、高校生活が送りたいの……です?」
と、そこで自分の世界に入りこんでいたことに気づいたのだろう、最後、少しだけ失速して、首をかしげて。
「あれ、自分は……?」
そう言いながら、PA席まわりをほけーっと見てくる。
おれは、苦笑いをしながらも、平良ちゃんの目を見てうなずいた。
もう、言うと決めたなら、言うしかないだろ。
平良ちゃんはおれの意思をくんでくれたのか、(そういえば彼女はスキル《読心術》もどきを使えるんだった)唇を引き結んでうなずいた。
「自分は、一年生です。まだまだ、これからだと、思うのです。そう思わせてくださった先輩方に出逢えたこと、そして自分をここまで連れてきてくださった……大切な人に、感謝が止まりません。なので、この曲を歌います。……ということが言いたかったのです! 長々とすみません! ご静聴ありがとうございました!」
深々とお辞儀をすると、本当にご静聴していた観客から、ぽろぽろと、あたたかい拍手が起こる。
「あ、あのあの、歌は、これからなので、拍手は、まだ、大丈夫です……! ああ、ああ、ありがとうございます……!」
平良ちゃんはギターに指を添える。
「えっとえっと、それでは、聴いてください。『ねがいごと』と、言う曲です」
そう言って、ギターのアルペジオを弾き始める。
だが、前奏を繰り返すばかりで、なかなか、歌い始めない。
アーモンドの瞳をキョロキョロと不安げに動かして、会場を見続けている。
「どうしたんだろう?」
市川が首をかしげる。
「一番聴いて欲しい相手が、まだ来てないからだろ」
おれがそう答えたその瞬間。
平良ちゃんの顔がパァっと明るくなる。
「ごめん、遅くなった」
背中を軽く叩かれて振り返ると、そこには目元を赤くした器楽部の『元』部長が立っていた。
「それな。……弟子が、待ってる」
「……りょ」
青春リア充師匠の来場を受けて、平良ちゃんはスゥッと息を吸って歌い出す。
* * *
『ねがいごと』
遠くの街か 近くの町か
あなたは今 自分の呼吸と戦ってるのだろう
答え合わせと 間違い探し
その背中を そっと撫でることは出来ないかな
あなたの言葉に何度も救われて
あなたの言葉にこれまで生かされた
いつか出逢うことがあるなら
あたしは何を伝えるのだろう
「ありがとう」しか言えないか
それすら出来ずに倒れてしまうかもしれない
だけど
思い上がりだけど ワガママだけど
あなたのおかげでここにいるあたしが
いつかあなたの力になれますように、と
奇跡みたいなねがいごとが
どうにか叶いますように
* * *
歌い終えると、「わぁっ……!」と感嘆の声があがり、みんなが拍手を送る。
「『力になった』なんてそんなレベルじゃないっての……」
吾妻が瞳をうるませながら嬉しそうに笑う。
「……それは、由莉も一緒だよ」
市川が、優しく呟いた。
歌は、思いは、こんな風につながっていくのかもしれない。
誰かに届いた思いが、その感動を経由してバトンのように次の誰かに手渡され、そうして出来上がった縁の中に、おれらは立っているのだろう。
「ありがとうございます、ありがとうございます!」
舞台の上では、初めて自分の演奏に対してもらった拍手がよほど嬉しかったのか、平良ちゃんが、深々とお辞儀をしていた。
「それでは、ここで、ゲスト……というか、一緒に演奏してくれる人をお呼びします! 3年生? あ、違う、2年生の、徳川走詞くん、ですっ!」
そう呼び込むのと同時、徳川さんが舞台に上がる。
相変わらず男前というか……。
ついつい、横目で市川のことを見てしまう。
当の天然天使さんは、「わー」とか言って可愛く笑って小さく拍手を送っていた。
「みなさん、こんにちは、徳川と言います」
あくまで紳士的なその笑顔に、会場の女性陣が静かに頬を上気させていた。
間の時の反応が黄色い声だとしたら、徳川さんの時のこれは甘いため息って感じだ。
「1年間、ロンドン留学に行って帰ってきました。その時に知って、……今の自分の気持ちにぴったりな曲を演奏します。ビートルズの、『I Will』という曲です」
そう曲を紹介して、徳川さんは歌い始めた。
「発音いいなあ……」
「いや、そこじゃないでしょ……」
市川が感心して、沙子がツッコむ。
「……うん、大丈夫。分かってるよ」
平易な英語で歌い上げられた素朴で優しいその曲には、これ以上ないほどの切ない思いが込められていて。
徳川さんが主人公の世界には、今日のロックオンはどううつっているのだろうか。
「……ありがとうございます」
市川が聞き逃しそうなほどに小さく小さくつぶやいて。
短い曲は、そっと、終わる。
「ありがとうございました」
優しく笑う徳川さん。
そのあと、2人は、Taylor Swift の『Everything Has Changed』と『Endgame』をデュエットし、その出番を終えた。
それから何バンドか見た後に、いよいよ、我らがチェリーボーイズの出番である。
……おれの心の高揚具合を見るに、いつの間にか、おれはあのバンドのファンになってしまったらしい。




