第67小節目:Wheel
「ちょっと、小沼!」
翌朝、新小金井駅からの通学路で、後ろから肩を叩かれた。
「おう、おはよう、吾妻」
「あ、うん、そっか、おはよう……!」
おれの『おはよう』に思い出したようにそう答える吾妻。挨拶部の部長が挨拶を忘れるなんて、珍しいこともあるもんだな。
「挨拶部の部長ってなんだし……。それで、昨日あのあとどうなった? あんた連絡よこさないから……」
「おお、すまん……」
……この際、いたって普通に心を読まれていることは気にせずにいよう。
横に並んで歩きながら、心配げに顔を覗き込んでくる吾妻は、おれの答えを待たずに続けた。
「バイト中ちょっと外に出たら、店の前を天音が全力疾走してくのが見えて……。ていうか、小沼、天音は先に帰ったって言ってたじゃん! また勘違い? さこはすはどうしたの?」
質問ぜめである。
「ああ、それは……」
ていうか市川、本当に走って来たんだな……。今さらながら申し訳なくなる。
「沙子は市川と話したみたいで、結局、市川が一人で新小金井駅の前に来た。市川は、スタジオで、その……おれを、待っててくれたらしい」
と、頬をかきながら答えた。
「えー、そうなんだ……」
呆気にとられたような吾妻に、
「とにかく、おかげさまで、仲直り出来たよ、ありがとう」
と伝える。
「そっか、それならよかった……」
ほーっと胸に手を当てて息を吐く吾妻。おれはその手を当てているところを見てしまわないよう、目をふいっとそらした。
「……えーと、じゃ、じゃあ、小沼も自分の気持ちに気付いたってこと、だよね?」
わずかに揺れる瞳で、首をかしげる吾妻を見て、おれはつい苦笑いしてしまう。
「うん、まあ、近いところまではいってると思うんだが……」
まったくもって情けない話だと思う。
「ええ……? それでどうやって仲直りなんて……いや、あれ?」
と、何かに思い当たったのか首をかしげて、吾妻は立ち止まり、おれの腕を引っ張って、自分の正面を向かせ、じーっと見つめてくる。
「な、なんだし」
目線をそらそうとすると、
「こっち向いてて」
顔を両手で挟まれた。
朝の通学路で何してんのおれら……。たまたま周りに人がいないからいいものの、こういうことをしているから平良ちゃんに誤解とかされるのかもしれない……。
落ち着かないおれを数秒しげしげと観察しながら、吾妻はみるみる呆れ顔になっていった。
「……前途多難」
ため息をつきながらおれの肩を正面からポンとひと叩きしてから、再度歩き始める。
「《読心術》を使うなし……」
そういいながらおれもトボトボと横に並んだ。だから吾妻に見つめられるのは嫌なんだよ……。
「読まれて困る心なのが悪い」
え、そんなことあんの?
「ま、小沼のことだからそんなこともあるかもとは思ったけど、そんなこといつまでもやってるわけにもいかないからね?」
吾妻はベースケースの肩紐に手を当てて、伏し目がちにつぶやく。
「……高校時代も、青春も、いつまでもここにいてはくれないんだから」
「そう、だよな……」
吾妻のその一言がなんだかやけに重たく響いた。
「……あっそうだ」
と思うと、吾妻は急にしゃんと背筋を伸ばして、手を打つ。
「ん?」
「今日の放課後、ちょっとしたプレゼントをお届け出来そう!」
「プレゼント?」
はて、と首をかしげるおれに、
「今あたしが届けるプレゼントなんか、今、アレしかないでしょ!」
吾妻は嬉しそうに、Vサインを見せてくれた。
「たぁーくとくんっ!」
学校に到着し、おれが吾妻に手を振って教室に入ると同時、英里奈さんが柑橘系の匂いを振りまきながらこちらにやってきた。
「お、おう……?」
「待ってたんだよぉー!」
「どうした?」
「いいからいいから、こっちこっち!」
腕を引いて、廊下に連れ出される。なんなの、おれまだカバンを置いてないんだけど……。
引きずられながら窓際の席を見ると、某天才シンガーソングライターさんが頬杖をついて、『ふーん……?』みたいな顔をして、こっちの方をジト目で見ていた。
足をもつれさせながらたどり着いたのは、隣の空き教室。
「どうしたの、英里奈さん」
「……うん」
教室の扉を閉めると、英里奈さんは突然声を落として、静かにうつむいた。
「……たくとくん、昨日はどうだったぁ?」
昨日? と、一瞬ハテナマークがよぎったものの、ケンカのことは英里奈さんにはバレていたんだった、と思い出す。
「仲直り、出来たよ」
「そっかぁ……」
英里奈さんは切なそうに微笑む。
「えりなね、」
上目遣いになったいつもの悪魔さんは、
「拓人くんには、幸せになって欲しいんだぁ」
と、続けた。
「お、おう、ありがとう……」
おれがよっぽどあほみたいな顔をしていたんだろう。英里奈さんは不満げに顔をしかめる。
「……そんなんじゃ、全然足りないんだよぉ?」
「どういうこと?」
おれが尋ねると、「むぅーん」とため息をつきながら考えるように唇をとがらせる。
「まぁ、さすがにわかんないよねぇ……。えーっとねぇー、つまり!」
ビシィっと人差し指を立てて、英里奈さんは宣言した。
「たくとくんの幸せは、もう、たくとくんのものだけじゃないってこと! これ以上はえりなもう言わない! っていうかそもそも言い過ぎましたぁ! ごめんなさい!」
そういうと目を閉じてそっぽを向いてしまった。朝からテンションの上下が激しい人だ。
……何を言おうとしてるのかくらいは、今なら、おれにも分かるけど。
だからきっと昨日、間は一人で帰っていたのだ。
「英里奈さんも、ありがとう。……ごめん」
英里奈さんは間が好きで、英里奈さんにとって沙子は恋敵で、でも、きっと、それだけじゃなくて。
「……きっと、一人ぼっちじゃないってことは、そういうことなんだろうねぇ」
そう切なげにつぶやいてから、
「なぁーんてね! えりならしくない! 元気出していきましょぉー!」
と英里奈さんは笑ってくれる。
「あぁー、えりなも健次へのアタック、頑張らなきゃなぁー!」
「英里奈さんも、頑張るんだ?」
このタイミングでそれを改めて宣言することをなんとなく意外に感じてそう訊くと、
「当たり前だよぉー! えりなも幸せになる! さっき言ったじゃんかぁ!」
『たくとくんの幸せは、もう、たくとくんのものだけじゃないってこと!』
英里奈さんは、天使みたいな困り眉で微笑んだ。
「みんな幸せにならないと、いけないでしょ?」




