第63小節目:ラブソング
「……で、歌詞っていうのは」
そう水を向けると、
「あ……うん」
コホン、と軽く咳払いをして、
「実は、書けてるんだ、新曲の歌詞」
と、真面目な顔でそう言った。
「……いつから」
「原型は、曲が出来るのと同じくらいに」
なんなの、それ。
「なんで書けてないなんて言ったの」
理解が出来ない。この人は、何を考えているんだろう。
「私、怖かったんだ」
言葉の内容とは裏腹に、毅然とした声色で、そう告げられた。
「何が」
「……歌詞を聴いたら、分かると思う」
そう言ってから、市川さんは、緊張しているのだろうか、胸に手をあてて、二、三呼吸してから、
「沙子さん、聴いてくれる?」
と、尋ねてきた。
「……分かった」
うちの言葉にうなずくと、市川さんはしまいかけていたギターを構え直す。
マイクから口元を外し、こちらに向き直り、ゆっくりと深呼吸をした。多分、それは、生声で伝えよう、という強い意志なんだろう。
ギターをぽろんと鳴らし、チューニングが合っていることを確かめると、スゥー……っと、深く息を吸う。
「それじゃ、歌うね」
そう宣言して、その曲を、歌った。
練習している時と同じ、柑橘の香りがするような爽やかなメロディ。でも、その柑橘はやがて沈む夕陽のオレンジに姿を変えていく。
甘いだけではなく、そこにある切なさ。
そこに乗せられた歌詞を、込められた思いを、うちは初めてこんなにも明確な形で聴くことになった。
……それが誰が誰に向けた歌なのかは、誰が聴いても、明確で。
その感情を、そのきらめきを、そして、その痛みを、うちは、よく知っていた。
こんな状況じゃなければ、こんなきっかけじゃなければ、きっとこの曲の全ライブバージョンの音源を探しまくって、買いあさってしまうだろうな、と思うくらいに、うちの心を大きく揺らした。
この曲を、心のどこかで、たまらなく好きになってしまった。
最後のストロークが終わり、市川さんはギタースタンドにギターを立てかける。
そして、軽く首をかしげながらうちの目をまっすぐ見据える。
その目は、「どう思う?」とうちに訊いていた。
「……そう、なんだ」
「……うん」
うちがなんとか声を発して、それに市川さんはそっと頷いて、言葉を続けた。
「こんな曲歌ったら、私たちは、少なくとも、今のままではいられなくなるって思ったんだ。もしかしたら、amaneは、終わっちゃうかもしれない。それで、私なりにすっごく悩んで、歌詞を変えたら誤魔化せるかもって、新しい歌詞を書いてみたりして……でも、書けなかった。この曲には、この歌詞しかなくて……。だったらもう、この曲をやるかやらないかって選択肢しかなくて」
「……じゃあ、なんで」
今さら、どうして、それでも歌うことを決意したんだろう。
「あのね、私は、」
すぅーっと息を吸い、微笑みながら彼女は言う。
「女の子である前に、ミュージシャンなんだ」
堂々としたその態度は、彼女の芯の強さを感じさせるには十分すぎた。
つい、口を開けて、その姿を見上げてしまう。
どれだけ虚勢を張っても、無表情をつらぬいても、
「そこに表現したい感情があって、そこにメロディがあって、そこに歌詞があるんだったら、」
真似していた髪型を同級生になった途端に慌てて金髪にしても、誰かのファーストキスを奪っても。
「誰を傷つけたって、私はそれを歌わないわけにはいかないんだ」
残酷なまでの、本物の強さには、敵わないんだ。
うちが、かっこいいな、なんてまんまと思ってしまうくらいの、この強さに。
「……そりゃ、そうでしょ」
ボソリとなんとか答える。多分、本当はその10分の1も分かっていないのに。
「でも、この曲を沙子さんに弾いてもらうわけにはいかないって、それくらいの分別はついているつもり。だから、私は、この曲を一人で演奏しようと思ってる」
そんで、最後までもう、この人は……。
「はあ……」
わざとらしくため息をついてみせた。
「あのさ、あんまり見くびらないでもらえる」
「見くびるって、何を……?」
うちの声が怒気をはらんでいるのを感じたのだろうか。一転して少し不安そうにする市川さんはなんだか無駄に庇護欲をそそる。絶対に庇護なんかしてやらないけど。
「うちだって、別に、拓人といられるってそれだけでバンドをやってるわけじゃないから。このバンドも、学園祭も、うちにとってはめちゃくちゃ大事なんだよ」
「そう、なの……?」
……いや、マジで失礼なんだけど、この人。
「この曲のベースは、うちが弾く」
「え……?」
「だって、この曲の歌詞を一番理解出来るのは、うちでしょ?」
市川さんが息を呑む音がした。
「あのね、うちは」
こんなところまで真似して、かっこ悪くて、自分でも締まらないな、と分かってはいても、それでも。
「女の子である前に、amaneなんだ」
ちょっとくらい、かっこつけさせてよ。
「沙子さん……!」
市川さんの瞳が潤んで揺れる。一転してみせるその可愛さにうちは、少し意地悪をしたくなった。
だって、ちょっとくらい、反撃してもいいでしょ?
「ちなみにだけど、」
うちは、滅多に見せない歯を見せてニッとした笑顔を作ってみせる。
「この曲を聴かせたくらいじゃ、あいつは何も分からないと思うよ」
「え、いやいや、さすがに、そんなことは……」
「だって拓人、うちがキスしても、まだよく分かってないもん」
「……………………きす?」




