第61小節目:小さなキラキラ
おそらく、お互いに避けあった結果なのだろう。
英里奈さんの助言もむなしく、市川とは話すどころかすれ違うこともなく、下校のチャイムが鳴った。
今日も、沙子のダンス部があるため、amaneの練習は行われない。
朝同様に机に突っ伏していたおれが顔をあげると、市川はもう教室にはいなかった。……というか、おれが教室から人気がなくなるまで狸寝入りをしていたからだ。
『基本的には一緒に帰る』という、暗黙の了解になっていた約束めいたものを破ってしまい、ついにおれと市川が仲違いしているということが誤魔化せない事実になってしまったような気がした。
「……帰るか」
誰もいない教室でポツリと独り言をつぶやいて、廊下に出た。すると、
「「あ」」
同じタイミングで4組の教室から出てきた茶髪女子と目が合う。
「あれ、吾妻、部活は?」
ベースをかついだ吾妻はこちらにテクテクと近づいて来る。
「うん、今日自主練日だから、学園祭前最後のバイト。さすがにまるまる2週間とかは休めないからさ」
「ほーん……。あ、そうなんだね!」
っべー、っぶねー。あいづちを注意される前に、なんとか言葉を付け足したぜ。
「はいはい、えらいえらい。……あれ、天音は?」
「知らん、帰った」
「……は?」
はたと歩みを止めて首を前に突き出し、少し離れてても分かるほど顔をしかめる吾妻。
「……別に、毎日一緒に帰る約束をしてるわけじゃないし」
言い訳がましく言うおれに、
「いや、約束も何も、それで天音自身が一回すっごい怒ってたじゃん……」
と、正論をぶつけてくる。
「何、ケンカでもしたの……?」
「はい……」
おれは素直に白状する。吾妻に隠し事はどうせ出来ないのだ。
吾妻は「はあー、言わんこっちゃない……」と片手で頭を抱えながらまたこちらに歩きはじめた。
並んで、自然と下校道につく。
「でもそっか、まあ、おかしいとは思ったんだよね……」
下唇を噛んだ吾妻が廊下の窓の外を見た。
「何が?」
おれが訊くと、吾妻は答える。
「昨日、天音、走詞さんと一緒に帰ってるとこ見かけたから」
ピタッと、今度はおれの足が止まった。
「そう、です、か……」
しわがれた声が喉から絞り出される。
「もー、そんな顔すんなし……」
1、2歩先に進んだ吾妻が振り返り、悲しそうな目でこちらを見てくる。
「おれ、どんな顔してる……?」
「はあ……?」
悩んでも悩んでもよく分からないこのもやもやの原因を、吾妻なら知っているかもしれない、とそう思ったのだろう。
すがりつくように、おれはそんな質問をしていた。
「そんなの、あたしが教えてやるわけないじゃん……」
呆れと諦めと残念と、そういう感情をごちゃ混ぜにしたような表情で吾妻はおれを見る。
「なんで……?」
おれが訊くと、一転、猫が威嚇でもするようにフシャーッ! と毛を逆立てて、
「なんでもだよ! ばかばかばかばか! ばか小沼!」
と程度の低い罵詈雑言を浴びせかけてくる。
「いや、吾妻ねえさん、語彙力低下してない?」
対するおれのこのスマートなツッコミ、どうですか。そうでもないですか。そうですか。
「はあ!? あんたにそんなこと言われたくないっての! ばーかばーか!」
「は!? ばかって言う方がばかだし!」
「きも! 喋り方中学生みたいなんだけど! もはや小学生なんだけど! ばーかばーか!」
「だから、ばかって言うなし!」
一通りの低レベルな応酬を終えると、吾妻はふっと笑いを漏らした。
「……で、小沼は、あたしともケンカするつもり?」
「うっ……」
言葉に詰まったおれを見て、ニッと笑う。
「ま、ちょっと楽しかったから許す。で? なんでケンカなんかしたの?」
ていうか、なんか話題を割と強引にそらされた気がしないでもないが、まあ、いいや……。
「いやーえーっと、言いづらいんだが……」
おれがもじもじしていると、
「大丈夫大丈夫」
吾妻はそう前置きをしてから、
「小沼が稀有な情けなさを誇る、うだつの上がらない、愚にもつかないやつだってことくらい、あたしは分かった上で話してるんだから」
「いきなり語彙力復活してんじゃねえよ……」
下校道を再度歩き出しながら、おれはかくかくしかじかと、昨日したケンカ的なやりとりの内容を説明した。
「……ちっちぇえな」
「ちっちぇえな!?」
話を聞いていた吾妻は、某幽霊バトル漫画のラスボスよろしくそんなことを言った。そっか、吾妻のお兄ちゃんはそういう世代なんだね……。
「っていうかやっぱりモヤモヤしてたんじゃん。嘘つき」
「すまん……」
「『私、嘘は嫌いだなー』」
吾妻が背中で手を組んで、誰かさんのモノマネを始めた。
「『正直者でまっすぐな、徳川先輩の方がいいなー?』」
「うっ……」
鋭い痛みが胸を突く。
「……なんてね。ごめんごめん、意地悪したくなっちゃった。いやま、意地悪というよりは、荒療治のつもりなんだけど」
「どゆこと……?」
「これで分かんないならあんた、一生治んないわ。バカにつける薬はないってほんとだね」
結構、辛辣なこと言って来るんだけどこの人……。
「ていうかもう、なんでもいいからとっとと仲直りしてよ。普通に学園祭までもうちょっとなのに、バンドメンバー内でケンカなんかしてる場合じゃないじゃん! あたしの歌詞ももうちょっとで出来そうなのに!」
「す、すまん……」
おれの情けない顔をジト目で見てから。
「……もういい、さこはすにチクる」
スマホをシュバっと取り出してすごいスピードで何かを打ち込み始めた。
「『さこはす、小沼が天音とケンカしたらしいんだが』っと……」
「なんで!?」
「なんでも! バンドのことはバンド内で解決する! トラブルをすぐに上長に報告しない組織はダメになるのですよ!」
「……組織論はお弟子さんの持ちネタなのでは?」
「うっさいなー……」
にらまれる。
ていうか、沙子の方が上長なの?
「……あたしばっかり損な役回りやってらんないし」
「なにが?」
「なんでもない!」
吾妻のぼそぼそとした独り言に首をかしげていると、吾妻が、
「だってさ!」
と言って、スマホの画面を印籠のようにこちらに見せて来る。
「お、おう……」
画面に書かれていた言葉は。
さこはす『新小金井駅前の公園で待ってろってうちのバカ幼馴染に伝えておいて』
吾妻のバイト先であるファミマで吾妻と別れて、新小金井駅前の公園のベンチに腰掛ける。
そういや、ここで市川に正座させられて怒られたことがあったっけな……。あったっけなっていうか、これもそんなに昔のことじゃないんだけど。
陽もとっぷりくれた頃、間が改札に入っていくのが見えた。
そっか、沙子は英里奈さんと二人でやってくるのだろう。
また、今朝みたいに英里奈さんにどうせからかわれたりするんだ……。同じ日に二回も騙されないようにしないと。
それからもしばらく膝にひじを置いて手を組み、下を向いていると。
「小沼くんの、バカ」
そう、頭上から声がする。
来た来た。
「何、英里奈さん?」
そう言って、したり顔を上げると。
「英里奈、ちゃん……? 沙子さんじゃ、なくて?」
肩で息をしながら、眉をひそめる市川天音がそこに立っていた。




