第40小節目:祭りのあと
「えぇ!? さこっしゅと、キスしたのぉ!?」
「いや、ちょっと、声がデカいって……!」
おなじみ、吉祥寺のマック。
テーブルの上には、コーヒーと、チョコレート味のマックシェイク。
向かい側には、目を見開いて「Oh my gosh…!」とか言っているイギリスからの帰国子女。
なんだか、何気に久しぶりの景色に、落ち着きを感じるおれでした。
「それで、そのあとどうなったのぉー……?」
上目遣いで英里奈さんが訊いてくる。
「うーん、それがそのあとも結構色々あって……」
* * *
電気を消したままの暗い楽器庫の中を、窓の外から、きらびやかな光が不定期に照らす。
「ちょっと、拓人」
しばらく呆然としていたおれに、いつの間にか落ち着きを取り戻したらしい沙子が声をかけてくれる。
「ひゃ、ひゃい……」
それに対しておれのこのテンパりようである。いや、この場合は沙子の方が異常じゃないですかね……?
おれの意識が戻ったのを確認して、沙子はスッと立ち上がる。
楽器庫のすみっこに置いてあったギターケースの埃を払い、その中からエレキギターを取ってきて、チューニングを始めた。
「な、なに、どうしたの……?」
おれがおずおずと尋ねると、沙子は「しっ」と人差し指を唇の前に立てて、チューニングの邪魔だと伝えてくる。あ、うん、ごめんねさこっしゅ……。
おれはといえば、今、人指し指のあてられたその唇を直視すると頭が再度沸騰してしまいそうになるので、すっと目をそらしていた。
6弦までの音を正しく揃えると、そのギターをおれに差し出してくる。
「ん」
んって。カンタかよ……。
「ていうかここ、ギターなんかあったっけ?」
「吹奏楽部でポップスやる時にたまに弾く用でしょ。ほら、うちらの時には『チェリー』やったときに、部員の弾ける人がギター弾いてたじゃん。拓人はドラムでうちはベースだったけど」
「ああ、そんなことあったな……」
「うん」
なんだ、おれも、ついでに沙子も中学生の頃にはチェリーボーイズだったのか……。
「えっと……それで?」
なんで沙子はおれにギターを差し出しているの……?
「弾いてみて」
「いや、そんなこと言ったって……」
今のおれの耳には、これはなんの意味も……。
「いいから」
沙子がうなずきながら、おれの目をじっと見つめる。
その有無を言わせないまなざしに、おれは差し出されたギターを受け取り、そっと、構えた。
かすかに震える左指たちをそっと指板にあて、弦をおさえる。
こわばった右手の親指を6弦の上にそっと置いた。
ふぅー……と、深く息を吐いて。
すぅー……と、深く息を吸う。
そして、ゆっくりと右指で弦を弾き下ろした。
C。
G。
C。
「……!」
おれは、息を呑んだ。
「……聴こえた?」
顔を覗き込んでくる沙子に、おれは。
ゆっくりと、だけど、しっかりと、頷く。
「うん……聴こえた」
そう。
おれの弾いたギターは、確実にCの響きを、Gの響きを、そしてもう一度Cの響きを、おれの耳に届けたのだ。
さっきまでとは違った意味合いで右手が震える。
「おれに……音階が、戻ってきた……?」
おれがわなわなと身体を震わせながら言うと、
「ほらね、」
沙子はニカっと笑って、
「拓人は、出来るよ!」
と、そう言った。
窓の外では、花火もクライマックスのスターマインが始まる。
それは、すごく勝手だけど、何かを祝福するように、きれいに輝いていた。
「ねえ、拓人」
笑顔の沙子の頬に、また、涙がツーっと伝った。
なんでだろう、花火の前では、本当に、沙子はよく泣くし、よく笑ってくれる。
「うち、やっと……、奪うんじゃなくて、あげることが出来たよ」
涙を流しながら笑う沙子の顔に、
『ねえ、拓人、うちは、拓人の大好きなamaneの音楽を奪ったんだよ? 拓人の音楽だけじゃなくて、amaneの音楽まで奪ったんだよ? どのツラ下げて、許してもらえっていうの? 許せないでしょ? ねえ!』
あの日の沙子の叫びがそっと蘇る。
「拓人に、音楽を、ちゃんと返すことが、出来たよ」
「沙子……」
「よかったあ……、よかったあ……」
沙子がおれのシャツにすがりつく。
それは、迷子の子どもが、やっと親を見つけた時のようで。
「本当に、ありがとう、沙子」
おれは、沙子に心の底からの感謝を述べるのだった。
* * *
「ふぅーん……?」
話を聞き終えた英里奈さんはあんまり興味がないのかなんなのか、シェイクをズズズーっと飲みながらおれをにらむ。
あれ、今、結構大事な話をしたつもりなんだけど……。
「えーっと、あの……」
「なにぃー?」
ジト目が痛いです英里奈さん……。
「なんか、怒ってる……?」
おれが聞くと、英里奈さんはため息をつく。
「はぁー、えりなはさぁー……」
「はい……?」
「えりなは、そもそもたくとくんがそういうことで苦しんでるってことも全然聞いてないんですけどぉー……?」
「ああ、そう、でしたっけ……?」
言われてみれば、たしかに、英里奈さんにおれのスランプの話はしていない。
「いや、だって……」
「『関係ない』って言ったら、えりなは、本当に怒るよ?」
英里奈さんの目つきが鋭くなる。
シェイクをダンッとテーブルに置いて。
「たくとくんの悩みが、えりなに関係ないわけないでしょー! いっつもいっつも、こんなにたくさん拓人くんに助けてもらって、今日だってこれから悩みを話そうとしてるんだよぉ? なのに、拓人くんはえりなのことなんか、全然頼りにしてないんだぁー……」
「い、いや、そうじゃなくて……」
「何がそうじゃないのぉ?」
「そ、それは……」
おれの目が泳ぐ。いや、ちがくないか……?
頼りにしてないわけじゃないんだけど、単純にこの話はバンドの話だから関係ないと思っていたのはたしかだ。
「ご、ごめん……」
諦めたように英里奈さんは片目をつぶる。
「はぁー……、たくとくんはどこまでもたくとくんだねぇー……。いつになったら、たくとくんじゃなくなるのかなぁー……」
「いや、おれはいつまでもおれだけど……」
おれの名前を悪口に使うのが定着しすぎて、おれがおれじゃなくなる可能性まで出てきてしまった。
「まぁ、いいやぁ……今度からは、教えてねぇー?」
「おう……」
「えりなだって、たくとくんの力になりたいんだから」
英里奈さんは拗ねたように口をとがらせて、ズズズ……とテーブルの上に置いたままシェイクを吸っていた。




