黒布契約
「さて、ではベット・・・場所を変えるでプ」
「ま、まて! 確認したいことがあるっ!」
覚悟を決めた筈のベフェリアだったが、腕を捕まれた瞬間、全身を駆け回る嫌悪感に我慢できなくなり、体を強ばらせながらその手を引き留める。
「なんでプ?」
良くある事なので、ニッタは時間稼ぎだとは気づいてはいたが付き合ってあげることにする。特に力づくなどとは彼も望むところではない。
「本当にお前に抱かれたら、それ以上何もしないのだな?」
「約束するでプ。ぽくは約束を違えないのでプ」
そうニッタはそう断言するが、ベフェリアからすればいつでも裏切る事のできる口約束。到底首を縦に振ることはできない。
「・・・確証が欲しい! このまま惨めに抱かれた上に国に引き渡されたらお前を呪わずには居られないぞ!」
この異世界<テラール>では呪術が存在する。しかも、手段はそれなりに周知されており、やろうと思えば誰でもできる程だ。ただ、術者は成功しても失敗しても穢れてしまうため、余程のことがない限り使役されることはない。
「呪うにも名前も分からない相手にはほぼ無意味でプ。脅しにもならないでプよ」
呪術を行使する際に効果を最大限上げる方法は、顔を知っている事が第一条件ではあるが、真名と呼ばれる本名を知っている事が確実な方法だと言われている。しかし、呪術の普及が古来から有るため、真名とは別の名前をつけそれを通名としているため、ほぼ全ての人が真名を使用してでの呪術は行われる事は無い。その他に、生年月日、血液型、名前といった順が効果の高い情報と言われてるが、真名を知ってからの呪術の行使にに比べると、数段劣る為割に合わないとされている。
「くっ・・・そ、それでもだ!」
「仕方ない奴でプね。それではこれならどうでプ?」
ニッタは懐から黒い布を出すと、呪術を行使する。
「っ!? ・・・馬鹿な!!」
「その反応からすると、<黒布契約>は知っているんでプね」
「・・・・っ・・・なんなんだお前はっ・・・」
呪術師の中ではマイナーではあるが、お互いの情報を知らないままでも真名を知っている程の効果のある呪術の手段がある。それがこの呪術形式<黒布契約>だ。黒い布に契約条件を書き込み、互いの承認を得た上で布を噛む事で呪を実行させる。
問題は、契約条件は書き込んだものが履行されるが、<黒布契約>を作成した者が対価として穢れを受ける事になるので、やはり普通では使われることの無い不平等な契約形式と言える。
もし、行使されることがあったとしても、あくまで不利な立場の者が、相手にどうしても約束を守らせたいために使われる場合があるが、それでも穢れを受けることを考えると、普通では行われない。
それを平然と有利な立場で行使するニッタをベフェリアは驚愕の眼差しで見つめた。
ニッタはその視線を気にすること無く受け止めると、
「文字は読めるでプか?」
「・・・ああ」
返事を聞くと、ニッタは<黒布契約>をベフェリアに渡す。そこにはこう記載してあった。
『左と右は契約を行う。
左は右に一夜の同衾を要求する。
右は左に上記が遂行された場合、左は何事もせずここから離れ、今後近寄ることを禁ずる。
契約を破った際は、左は死を。右は右の仲間の死を求める』
「・・・くっ!」
<黒布契約>の内容を確認したベフェリアが唇を噛む。酷い内容だが、お互いが守れば元々の約束は確実に守られる内容なのは明確だった。
「ではぽくから」
そう言って<黒布契約>を手に取ると、布の左下を噛む。そしてベフェリアにまた<黒布契約>を渡すと、右側を噛ませた。
ブゥ・・・ン・・・。
低い音を立て、<黒布契約>の文字が一瞬光る。契約は成功したらしい。
<黒布契約>は元の世界の契約書のようにごちゃごちゃした内容は必要としない。簡単な内容でも互いの認識に齟齬がなければ履行される。
ただ、契約内容に互いの認識のずれがある場合や、騙そうとした場合、そして穢れを受ける許容を超えている場合などは<黒布契約>は燃え、失敗してしまう。
「もう無いでプね?」
「・・・っ・・・・・・・ああ」
逃げ道を全て失い、ニッタを連れ、ベフェリアは寝室に向かう。
(これでよかったんだ。私さえ我慢すれば・・・)
いつもとは違い遠く感じる寝室までの道程の間に、ベフェリアは自分にそう繰り返し念じた。