表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

小説を楽しむための三つの前提

 小説になろうを利用し始めて4年ほど。その間、完結させた連載小説は無い。理由は色々思い付くが、本心を語るのならば、「小説を書く」が苦痛になってしまったのだ。

 そうしていつしかROM専に回り、「小説を書く」ことの楽しみを忘れ、ズルズルと今に至る。

 このエッセイでは、筆者の経験を振り返り、「小説を書く」ということがどういうことか、その前提について語りたい。


      ●


 小説という娯楽を発見したのは小学生の頃だ。学校の図書館で「かいけつゾロリ」や「一五少年漂流記」などを読んだ記憶がある。

 頭の中で絵を描いたり、自分がそこに居たらどうするかを想像したり、ああでもないこうでもないと真剣に考えたりするのが最高に楽しかった。


 物語に刺激を受け、そこから生まれた感情を表現することが、小説という娯楽ではないかと思う。

 そうして、小説を娯楽として嗜んでいる内に、今度は「自分が書いてみよう」と思う人が多くいることは、今更語るまでもないだろう。

「小説を書く」という行為は、小説を楽しむ方法の一つとして始まるのだ。


 筆者もこれまで幾らか文章を書いてきた。しかし、次第に楽しみが薄れていき、最後には苦痛となり、「小説を書く」という娯楽を止めてしまった。

 何故そうなってしまったのか、そう考えることで、幾つかの原因が浮かび上がってきた。


 初めは、「小説を書く」ことを過程として楽しんでいた。己を表現することは、小説に限らず様々な方法でなされる娯楽である。

 楽しみが苦痛に変わってしまったのは、小説を投降することで評価を得ようとしたからだ。

 知っての通り、小説になろうは小説投稿サイトであり、ここで「小説を書く」ということは、他人に評価されるということだ。

 お気に入り登録や感想、果てはランキングや出版化。「小説を書く」ことで様々な評価を得ることになる。

 結論を言えば、筆者は「小説を書く」ことで、評価を得るという結果を欲したのだ。それが果たせず、ただ「小説を書く」ことを楽しめなくなり、自己嫌悪に喘ぎ、書くのをやめた。


 過去の黒歴史暴露はこの程度に修めつつ、次は「小説を書く」という行為で気を付けなくてはならない三つの前提について語る。


     ●


「小説を書く」という行為が小説を楽しむための方法であるためには、三つの前提があると筆者は考える。


 三つの前提とは以下のとおりである。


 1.小説が他者に「見られる」こと

 2.「小説を書く」という欲求がどういうものか自覚しておくこと

 3.1,2が結びつくことで起きる結果を受け入れること


 以上の前提について、それぞれ詳しく語っていきたい。



 1.小説が他者に「見られる」こと


 当然の話ではあるが、小説を評価するのは自分以外の誰か、赤の他人である。

 何の縁もない他者なのだから、望んだ反応だけが返ってくるわけがない。

 評価されることを望むのなら、ただ楽しんで小説を書いていても、必ずお気に入りや感想が増えることは無いのだ。


 もし、評価されるために「小説を書く」なら、初めから期待してはいけない。

 投稿しただけでは評価されない。読者がいて初めて小説が評価されるのだ。

 読者を獲得するためには小説が面白くなくてはならない。面白くない小説は読まれないし、読まれなければ価値が無いのだ。


 面白い小説を書く為には、自分の書いた小説を客観的な評価を下さなくてはならない。

 しかし、客観的な評価は、他者との関わりを体感的に経験しいないと難しい方法である。


 少なくとも、自分が「面白い」と感じたことが、他者とは違うかもしれないことを知っておかなくてはならない。これも、一度体験しなければ身につかないことではあるが。

 そうして小説を書いたとしても、読者が着くかどうかは、そのときになるまで解らない。


 つまり、「小説を書く」という行為は、一種の賭けなのである。

 少しでも可能性を上げるためには、小説を「見られる」ようにしなければならない。

 だがそれは、他者に配慮して表現を変えろということではなく、他者に「見られる」ことを意識的に行え、ということだ。


 どう反応するかを意識しておけば、「小説を書く」技量は自ずと上がるし、表現の幅は広がる。

 評価という他者の関わりを求めるならば、この前提を忘れてはならない。



2.「小説を書く」という欲求がどういうものか自覚しておくこと


 小説を見てもらいたい、感想が欲しい、読者に反応して貰いたい。「小説を書く」行為に結果を求めたときに湧き出る欲求である。

 ひっくるめれば、「自分を他者に認めてもらい、肯定して欲しい」という欲求なのだ。


 他者に自己を肯定して貰うことを「自己追認」と言い、これは自信を得る上で非常に重要な要素である。自信を得ることは、自分らしさ、個性を構築し、「自己肯定」を得ることに繋がる。

 ここで上げた「欲求がどういうものであるか自覚しておく」というのは、自分の感情を見つめ直せという意味ではない。

「小説を書く」ことが「自己肯定」へのプロセスの一つであり、それを知っておくことで結果から生まれる感情を取り違えないようにするということだ。

 そのことについては3.にて後述する。


 ここで、「小説を書く」ための方法論について少し触れる。

 上記のとおり、「小説を書く」ことは「自己肯定」のプロセスである。使命とか、生き様とか、仕事とかの理由は除く。

「小説を書く」ことによって、自己否定や自己嫌悪に陥っては本末転倒だ。

 そうならないためには、「自己肯定」を得るためには、その方法について考えなければならない。

 つまり、面白い小説を書いて、読者に評価してもらう方法である。


 プロットの作り方、キャラクター、世界設定などについては他の方々に任せるとして、本エッセイでは根本的な問題について述べる。

 根本的な問題とは、「小説を書く」のであれば、他者について考えることからは逃れられないということである。

 この問題を除いてしまっては、如何なる方法を用いても、望まない結果を呼び込んでしまうことになる。

 読者に評価されたいなら、読者について考えることは必須事項である。



3.1,2が結びつくことで起きる結果を受け入れること


 これまで1,2で、「小説を書く」ことが「一種の賭け」であること、「自己肯定のプロセス」を語ってきた。

 結果を求めて「小説を書く」ならば、評価されないという結果ですら在り得るのである。


 嬉しい結果かもしれない。「面白い」と言われるかもしれない。

 嫌な結果かもしれない。「つまらない」と言われるかもしれない。

 本項では、「結果を踏まえた上でどうするか」ということについては語らない。

「結果を受けいれる」ことが、本来の目的である「自己肯定」に繋がることでもあると述べたものだ。


「受け入れる」ということは、「自分のこととして考える」ということである。

 小難しいことではない。結果を知り、自分がどう感じたかを正直に表現するのだ。


 読者を得て感想を貰う。またとない結果を知り、貴方はまず何を思うだろうか。

 もし、「嬉しい」と感じならば、反省や批評は脇に置いて、素直に喜んでほしい。ガッツポーズでもいいし、悲鳴を上げてもいい。

 変に格好付けず嬉しさを表現するのだ。


 また、何の評価も得られなかった。嫌な感想を書かれたとしよう。

 そのときは、悔しさや怒りを我慢せず吐き出そう。

 みっともなさや世間体などかなぐり捨て、物に当たり、叫び、運動で汗を流してもいい。

 とにかく、それらを出し切ってスッキリするまで続けてみよう。


 そうして受け入れて表現してしまえば、「結果」はあなたのものになる。喜怒哀楽全ての感情が貴方だけのものだ。

 結果から目を背けず、真っ直ぐ受け入れて、そのまま感じて欲しい。

 そこから湧き上がるもの、内に生じるものが「自分らしさ」だ。

 綺麗でも汚くても、そう感じるのは自分だから。自分しか、その結果を表現できないのである。


「自分らしさ」を認めることはつまり、「自分を愛する」ということだ。

 これを「自己愛」と呼び、「自己肯定」のプロセスの一つである。

 評価を得られずとも、正しく「結果を受けれる」のであれば、「自己愛」を経ての「自己肯定」を得られるのである。



 以上が、小説を楽しむために「小説を書く」上での三つの前提である。



 小説は、心を豊かにし、育んでくれる娯楽だ。

 しかし、他者と意見が食い違ったり、評価されずに自己や他者を嫌悪したり、つまらないと評価したり、娯楽として楽しめなくなることもあるだろう。

 その時はどうか、今一度小説の楽しさを思い出して欲しい。


 このエッセイが、これから小説を書こうとする人、これからも小説を書き続ける人に、少しでも感じるものがあれば幸いである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ