出発
これは真下ミキが高須ソラと出会う少し前からのお話である。
「んーー!っと。朝から肩が凝るよ」
背筋を伸ばすを超えて反り返りながら目を開けると、何やら目の前に見知った顔が。
「開口一番何を言ってるんですか。針山さん。あなたの今回の実習は、私の先祖の暮らしを観察し、またこの時代の……そうですね――――1週間後辺りに戻ってきてレポートを提出してください」
この前先輩達が行ってきたばかりですが、私に行かせる意味があるのだろうかという疑問を抱きながら姿勢を正す。
「いや、先輩達がこの前行ってきたばかりじゃないですか。しかも実習って……。古暦視部委員長だからとそう言った権限は無いはずじゃ……」
苦汁を飲まされたような顔で委員長である高須真知子に文句を付ける。
「なんですか。その顔は。そのような顔の貴女は古暦視部の自覚が足りませんね。再確認する為に、この部の存在理由を答えていただきましょうか」
顔を貶されるのは些か気分が良くない。
だけど、私も古暦視部の一員だ。それぐらいのことでは気にも留めないし、存在理由を答えるなんて造作でもないってことを教えてあげなくてわ。
「古暦視部。それは読んで字の如く、古い暦を視る部活。誰々の先祖が誰々だとか、誰々を殺したのは誰々とか。あれが流行ったのは、あれが出来たのはいつ頃かって言うのを資料で確認し、それを深く知りたい場合は現地に赴き、それを見聞すること。こんな感じのことを入部時に教えもらったと記憶してます」
いやはやコレぐらい造作も無いよ。私は凄い。自画自賛してしまうわ。
まぁ少しドヤ顔になってしまっていたのがあれだけど。
これで少しぐらいは見直してもらえたかな?
「ごめんなさいね。少し貴女を勘違いしていたようです。ですが、そこまでわかってらっしゃるのなら、有無を言わずに行ってくれる筈なのですが」
ムムム……。確かにそうだよね。墓穴掘ったというのはこういうことを言うわけで。
自分で理解していると公言してしまったため、面倒臭いじゃ済まなくなってしまった!
「……はい。それで滞在期間は?」
少し遺憾ではあるがそれしか方法はないから、仕方なく頷く。
何より先祖ってのにも少し興味があるしね。
「えーと。学生として転入してもらうので1年半と2ヶ月ほどですかね。終了日時に丁度卒業式になるようにしますので、その時に戻ってください」
簡単にことを言うけれども……成長し過ぎてここに戻った時に別人になってしまってたらどうするんよ。
――――まぁ、現代の科学力なら身体情報の固定化が可能なのだから安心かな。
たしかタイムスナップの副次効果に身体のバックアップって言うのがあったような気もする。
「ではあと2時間後には出発してください。戻って来た時には報酬――――と言ってはお堅いですが、お礼として夏休みの宿題ぐらいは手伝うと約束しましょう」
部費で過去に行ける上にこういう待遇してくれるのが魅力的だからここにいるようなもので。
宮本武蔵の巌流島での戦いとかも自分の目で見ることが出来たし。
(想像よりダサい顔してたからガッカリ感は凄かったけども)
「そういうことなら、家に帰って準備して戻って来ます。ところで時代と目的を――――」
「私達の20世代前の先祖様の生活ぶりを知る為に、700年前に行ってもらいます」
そこまで遠い過去ってほどでも無いわけね。宮本武蔵なんて何千年も前だったような気もするし。曖昧。
「ところで真知子さん。肝心のタイムスナップを使ってタイムスリップしようにも、そんな当時の写真とか絵なんかどこにあるんです?真知子さんが言うからには、真知子さんの先祖を私が確認してくる感じなんで、用意してありますよね?」
用意していないと言った暁にはボイコットしてやろうという邪な考えを存分に持って訴える。
「無いです」
即答。
気持ちがいいほどに即答。
「――――ということは行けない。というわけでこの話はお流れですね。2時間では用意できないでしょうし」
思惑どうりにことが進む。
……あれ?真知子さんクスクス笑ってる……。
なんか鋭い眼光に笑いながら心奥を覗き見られているよな感覚に陥る。
差し詰め私は、井の中の蛙大海を知らず。お山の大将。
この人の悪態ついた知能には勝てないことを思い出した時にはとき既に遅し。
「フフフ。あなたのお家の壁に掛けられた写真があるじゃないですか」
「真知子さん。話が見えないのですが」
どう私の先祖の写真が関係しているのかと付け足す。
「どうやら私の情報網によると針山さんと私の先祖様は大の親友だったようなのです。なのであなたのお家の写真でも行くことが出来る筈です。理論上は。幸いにもあなたのお家は、ご先祖様の学生時代の写真を代々飾る習慣があるようですし。針山さんのご先祖様に事情をお話して、協力を仰ぐという手段もありますし」
理論上って言葉が耳に纏わり付いたけど、今起きたようなことでもない。
明らかに悪戯書きと思われる絵画で卑弥呼に会えちゃうっていうこともあったわけだし、もう何でもありで。
「はぁ……。もう何も言いませんよ。準備してきます」
そういって私は古暦視部のシェルターから出る。
「過去の世界だとシェルターやコロニーは無くて、木製とか鉄製の教室があって、地球で暮らせるんだよねぇ。そのことで、そのまま過去に居たほうが良いとか思いそうで少し怖い。というか、なんで私が真知子さんの先祖の暮らしを……」
争いの無い日本に今から向かおうと言うのに、懐の銃から手が離せない。
家に着くまでの僅か10分の間にも殺されるかもしれない。なにか事件に巻き込まれるかもしれない。
その衝動が、銃が。私をいつ飲み込んでいくか分からない。
ミキ。世界という植物に長く巻きつき、一秒でも長く生きられるようにと付けられた名前。
「お母さんの気持ちに答えないと……ね」
家に着くと、お父さんが待っていた。
「ミキ、今帰ったのか。いつもなら部活動の時間であるのにも関わらず帰ってきたってことは――――――そういうことかい」
お父さんは理解が早くて助かる。
毎度毎度のことだから過去に行こうが心配することもなければ、行く事を否定されることも無くなった。
初めの頃は、殴り合いの喧嘩して、ボコボコになったまま気絶しちゃって、夜中にこっそりタイムスリップしたんだっけ。女の私にも容赦ないんだから。
「ご先祖様に会ってくる。期限は向こうで1年半。帰ってくるのは今から1週間後。身体の情報はバックアップ取っておくから戻ってきても容姿は変わらないから安心してね」
「そうか……これも母さんのおかげか」
「そう……だね」
沈黙が空間を飲み込む。
私の母はタイムスリップの第一人者と言われていたが、実地試験のために過去に行ったまでは良かったのだが、戻って来る際に記憶が崩壊し、私とお父さんに関わる記憶全てを筆頭に、自分の名前や歳を忘れてしまっていた。
空っぽになった頭の中には、タイムスリップの研究の事だけが焼き付けたように残っていた。
自分も家族の名前も思い出せないままに研究を続け、何度もタイムスリップを繰り返し、その度に記憶が薄れていく。
実際のところ、何度か思い出させる事が出来た時もあった。
だが、そのうち研究以外の記憶を脳が受け付けなくなっていき、タイムスリップの理論が完成したと同時に、死んでいった……。
食事という概念ですら忘れていたからだ。
「もうあんなことは起きないだろうね。母さんの残したものは本物だったんだから」
お父さんは、お母さんが死んだあの日もそれまでもお母さん一筋で生きている。そのおかげか、私はお母さんの面影があるとかで溺愛されている面もある。
「時間も無いからもう行くよ。お母さんの作ったタイムスナップで軽い時間旅行にね」
いつも用意してあるカバンと、過去へ行くのに必要な写真を持って、私は家を飛び出した。
行ってきます。の一言を告げて。
道すがら私は悔しさで一杯だった。
「お父さん……泣いてた……」
完成しているとしても、物事は絶対と言うほどに崩壊してしまう。
もしかしたら、行った先で時空が乱れて戻って来れない可能性もある。戻る世界を間違えて戻れなくなるかもしれない。そんな不安で一杯だとお父さんは話してくれたことがあった。
もう少しで古暦視部のシェルターに着きそうだというところで後ろから声がした。
「ミキーーーー!……ハッ……ハッ……追いついっ――――――!」
お父さんの声――――――はぅ!?
お父さんは私の背中を見つけた途端に抱きついてきたのだ。
「ちょ……!やめてよ。恥ずかしいから!……いや、少しならいいかな……」
どうしようもないよね。背中で泣いてるんだもの。
結局出発ギリギリまで離れてくれなかった。
絶対に帰ってくるって言ってるのに。
「準備はいい?あ、こっちの時代の写真は?」
「大丈夫です。はい」
私は胸ポケットからいつもの写真を出し、真知子さんに見せる。
お母さんとの写真。
私と手を繋ぎ、人工芝の上を歩いている。
「これもいいけど、いい加減変えないと使用期限が」
絆創膏とか、芳香剤とかと一緒にしないでもらいたいなぁ。
使用期限じゃなくて、せめて……。
ダメだ。言い変えられる言葉が見つからない……。
「そうですよね……。前後何年かしか使えませんものね……」
確か前後5年だったかな。
「じゃぁ、残り一週間……足りるよね。今回で最後にします」
写真を左手に持ち、右手の中指にタイムスナップに必要なリングをつける。
写真にリングを当て、タイムスナップのためのコールを唱える。
「時を駆けよ――――――針山ミキの名において異なる世界の変革を促せ!」
コールを唱えると、指輪を中心として光が輝き始める。
数秒の間に粒子に変化され、地面や壁のような大きなものを除いた触れているもの全てが同時に粒子化していく。
私は完全に粒子化する前に、何か言葉を残そうと思ったが、いい言葉が浮かばない。まぁ、今生の別れでもないからいいかな。
「名前!協力者以外にはバレ無いようにしてくださいね!ご先祖様相手なんですからね!」
紡ぐ言葉を捜しているうちに、真知子さんにいそいそと言葉をかけられた。
「わかってま――――――」
返事をしようとしたところで、意識が遠くなった。タイムスナップを使うと、意識が途切れる感覚があるからいやだよ。
名前は……。苗字だけ変えよう。何にするかはついてからでいいよね……。
そこで私の意識は完全に沈黙した。