赤ちゃんになりました 1
まず、初めに彼女が見たのは、蜂蜜色の金髪をこれでもかというくらい艶々と輝かせた貴婦人だった。
うわあ、なんて綺麗な人なのかしら……。
こんなにも綺麗に手入れのされた髪を間近で見たことの無かった少女は、思わず感嘆の声をあげた。
「ああー(うわあ)」
え……?!!!
心の中で思いっきり疑問符を連ねる。なんだ今の声は?
ひとり思いっきり首を傾げまくる彼女に、目の前にいた貴婦人が、華が咲いたように笑った。
「まあ、なんて可愛いのかしら。スーザン」
「あうあう(え?え?)」
スーザン?自分を覗きこみながら、そう言ってきた貴婦人にさらに深く首を傾げる。いったい誰の事かしらと思っていると、貴婦人の手が伸びて来て、彼女を抱きあげてしまった。
いきなり高くなる視界に、ひえええと悲鳴を上げそうになる。それが出来なかったのは、ある事に気が付いてしまったから。
―――私、どうしてこの人の腕にすっぽり収まってるの?
柔らかな肌に包まれて、そよそよと額を撫でられる。くすぐったくて身を捩れば、「スーザン」と甘く呼ぶ声。
訳が分からなくて助けを求めるように、辺りを見回すと、他に何人かの人が居た。
ひとりは、壁際に立ってこちらを見つめながらにこにことしているお婆さん。そして、黒い服に身を包み、紙の束を持って立っているおじさん。
あともうひとりは、高そうな椅子に座ってゆったりと紅茶を飲んでいる男性。
思わずその男性に目が釘付けになる。何時の頃だったか、まだ少女が世の中の過酷さと冷酷さを知らなかった幼い時代。誰かが聞かせてくれた物語の中に、素敵な王子様が出てきた。金色の髪で青い瞳。服は上品で、お姫様にうんと優しい紳士。
「チャールズ。ほら、見てくださいな。スーザンがあなたを見ているわ」
チャールズと呼ばれ、こちらを見てほほ笑んだその男性は、まさに、その物語に出てくる王子様にぴったりだと思った。
「おや。スーザンはお母様にしか興味がないのかと思ってた」
「まあ、すねてらっしゃるのね。あなたったら仕事で忙しいんですもの。スーザンもたまにしか会えないお父様には、遠慮しているのよ」
お、お父様?!!すごく若そうなのに、もう子持ちなの?!
なぜだかショックを受けて、「あうー」と唸る。すると、チャールズはちょっと目を見開いて、そしてとろける様な笑みを浮かべた。
「こうしてみると、やっぱりスーザンはヘレンに似ているね」
「あら私はあなたに似ていると思うわ。目の形なんかそっくり」
「そう?ならこのふっくらとした唇は君に似てるね」
そう言って、椅子から立ち上がると、こちらに向かって手を伸ばしてきたチャールズ。青い瞳がごく間近に迫ってくる。思わず奇声を発しそうになりながらも、彼女はなんとか声を押し殺した。
―――ふに。少し固い人差し指が、唇を突いてきた。何度かそれを繰り返されて、視線がその指先に向く。
ああ、どうしてだろう。どうしてか分からないけれど……。
「あうう」
「わっ。スーザン、お父様の指はキャンディーじゃないよ」
ぱくっと効果音が付きそうなくらい、勢いよくその指を咥えてしまった。
当然だけれど何の味もしない。
ど、どうして私 指なんか食べてるの?!!
普通ならあり得ない事だ。あまりのひもじさに、自分の指を咥えてしゃぶってみたことなら、数知れずあるが……。
ひもじい?
あれ―――? そういえば私、どうしてこんな場所に?
たしか、私はすごくお腹がすいて、そしてあてもなく歩いた先にあった教会の墓地に……。倒れて、雪が降っていて…。
あれ?でもここは屋内で、すごく暖かい。もしかしてあの教会にはまだ人が居て…?もしくは、この人たちが見つけて助けてくれたのだろうか?
―――っていうか、まず。私なんで 指を食べてるの?!
「ふふ。赤ちゃんはみんな、目の前にあるのは何でも食べちゃうんですって。ねえ、ケイト?」
「はい。それが赤ん坊の本能ですから」
貴婦人、ヘレンという女性の問に、壁際に立っていたお婆さんが答える。
赤ちゃん?赤ちゃんって、私赤ん坊じゃない。もう次の春で16歳になるはずで……。
「そうとはいっても困るな。こらこら、スーザン。そろそろお父様の指を離しておくれ」
困ったようにこちらを見つめてくる青い瞳。なんて綺麗なんだろう。
うっとりしてとその瞳を覗きこんでいると、私はある事に気が付いた。
まあるい頬。小さな手。髪のまだ生えそろっていない頭。無邪気な瞳。
チャールズの瞳に映っていたのは、とっても小さな赤ん坊だった。
「あー?(え?)」
「…やっと離してくれた」
ぱくり、と食んでいた指を吐きだす。なにこれ。
慌てて自分の手を見ると、まるで糸でくくられたハムの様にふっくらと太った小さな手。肌はすべすべで、明らかに擦り切れて爪もぼろぼろだった少女の手とは違った。
……・・そう、まるでそれは赤ん坊のような手だった。
スーザン。その名を心の中で繰り返す。なんとなく高貴さの混じった名前。
おそらくそれは自分に向けられて発せられていた呼び名。
そこで彼女は思い出す。寒い夜、雪の降る灰色の空に向かって願った事を。神は存在しないと思いながらも願わずにはいられなかった、妹の幸せ―――
そして、”今度生まれてくるのなら、もっと豊かな環境で生きていたい”という願い事を。