黒髪の王子様4
馬は好きだが、馬には乗れない私。乗れたとしてもポニーサイズが精一杯。
私は厩戸の前であーだこーだともめる王子様とギルバートを眺めながら、数十分間立ち尽くしていた。
「だから、スーザンは僕の馬に乗せるから大丈夫だよ。
エンリケはおとなしいんだ」
「いいえ!そんなわけにはいきません」
エンリケというのはどうやら王子様……レイス様の愛馬らしく、真っ白な毛が美しい白馬だ。
王子様は何が問題があるんだ、と言いたげにギルバートを見下ろしていた。
ギルバートは、問題は大有りだ!という顔をしている。
「だけどギルバートだって、スーザンと歳がそう変わらないだろう。まだ9歳だ。
ここは年長の僕がリードすべきだろう」
「しかし、レイス様にお任せしては……」
お任せしていいのか?というギルバートの焦りが、私にまで伝わってくる。
わからない。私にもさっぱりだ。
誰かに意見を求めたかったが、生憎この場所には私たちしかおらず、焦るギルバートに私は心の底から申し訳なく思った。
そもそも私が馬に乗る練習をしておけばこんなことにならなかったのだ。
貴族の令嬢ならこういう時のために、幼いうちから乗馬をするものだという知識を今になって思い出す。
「ならスーザンに聞こう」
不毛な争いだと諦めた王子様が首を振って私を見下ろしてきた。
薄青の瞳が僕と一緒に来るだろう?と言うように細められる。
「……お、王子様が良ければ」「じゃあ決まりだね。おいで、スーザン」
ひょいと抱き上げられ、エンリケの背に跨がった王子様の前に乗せられる。
ギルバートは仕方ない、というように栗毛の馬に跨がると、疾走を始めたエンリケの後を追ってきた。
「スーザン、もっとしっかり僕に凭れて」
「は、はい!」
言われなくとも今そうしようとしていた所で、私は恐怖のあまり顔をひきつらせ、王子様の体にぴったりとくっついた。
馬は高い上に、風があり得ないくらい耳元でびゅんびゅん鳴っている。
「怖い?」
「えっ」
見上げると、王子様が微かに悪戯な笑みを浮かべ私を見下ろしていた。
その笑みにどきりとする。
「だ、大丈夫です」
「本当?」
さらに悪戯な笑顔をした王子様は、エンリケの腹を蹴り、ぐんとスピードを上げた。
「ひっ!」
恐ろしくて、がたがたと震えながら、今度は王子様の体に抱きついた。
細い体に必死に手を回す。
すると耳元に、王子様がクスリと笑う声が聞こえてきて、顔を上げると、柔らかな目付きで私を見つめてくる王子様が言った
「スーザン。やっぱり僕は君が気に入ったよ」
***
さすがにあまりの速さのため、途中でギルバートのストップが入った。
王子様は案外、あっさりと、ガミガミと怒るギルバートに謝った。
ギルバートは拍子抜けしたような顔になると、慌てて首を振り、申し訳ございませんと膝をついた。
けれど、私を振り返った王子様には悪戯が成功した、と言うような笑顔があって、思わず笑ってしまった。
王子様がギルバートを引っ張り起こし、私たちは3人で肩を並べると、丘から見える朝焼けの景色に、三者一様の表情を浮かべ、感激していた。
「きれい……!!」
「スーザン、あっちを見てご覧。紫と赤とオレンジと青と。色んな色が混じりあってる」
「うわあ……」
世界には、こんなにも美しい景色があったのかと、胸に心地のいいずしりとした痛みが迫り上がってきた。
紫や色々な青や色々な赤が混じりあい、水平線から黄金の太陽が昇ってくる。
まるであの水平線から、幸せそのものが現れるような心地がした。
「きれい……きれい…」
「スーザン?」
「――お嬢様?」
私にとって、世界とはいつも灰色じみたもので、七色の光を持つ世界を持っている人が、いつもいつも羨ましかった。
スーザンとして生きて、色々な色を知り、誰かの暖かさに触れた。
恵まれた人生を歩んでいる、といつも思って、それに感謝して生きてきたけれど、私の周りには無い差別はやっぱり厳然として世界には存在していて、
そして"私の周りには無いと思っていた差別"は、やっぱり存在していた。
それはギルでもあり、セントバールズ男爵家のスーザンでもあった。
"この世界"で生きている限り、差別とは別離することができない。
決してスーザンとして生きていても、無関係ではいられない。
そして、私は生まれ変わり平民としての痛みを知って、何かを変えられる存在として、何かを変えなければならない位置に立っている。
……変えなければ。
この七色の世界を、黄金の太陽を、世界は灰色だと思っていた以前の私のような人達が、
この世界は七色なんだと感じることのできる世の中に。
私がやらないで、誰がやるというんだろう。
これはきっと、私の使命だ。
世界の誰かが、私に与えてくれた。
私の生まれてきた意味なんだ。