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こんな勇者もいたかもしんない

 太陽の光が後光のように男を照らしていた。美しい男である。黄金そのもののような髪。男らしい眉、今は伏せられた切れ長の目、すっきりした目元、高い鼻梁、優美な口。鋭い輪郭も文句のつけようがない。


「我、第二十四代イリステア国王アリスト・ツィータ・ストレス・イリステアはここに聖女キリカを妻とし、生涯の愛を捧げることを誓い……」


 男の朗々とした声は広場中に響いた。儀礼用の大仰な飾りのついた正装が様になっているのはその美貌だけでなく持って生まれ、王族として育つ中で磨かれた存在感と気品のおかげだろう。キリカの視界の端に鼻血を出して倒れる娘の姿が写った。目が良すぎるのも良し悪しである。


 国王の横に並ぶキリカの格好は対照的に簡素なものだった。神官か巫女が着るような飾り気ない白の長衣。ぶっちゃけ、普段着である。


 それもそのはず、キリカは今日結婚するなんて、かけらも聞いてはいなかったのだから。




 キリカはただの村娘だ――少なくとも、数年前までは間違いなくただの村娘だと自認していた。それが怪しくなりはじめたのは四年と半年前、復活した魔王ルティリウスの噂が囁かれ始めた頃だ。偶然、勇者の剣を拾ったキリカは城へ連れていかれ、勇者は男という偏見のもとに男装させられ、厳しくしごかれ、三年経ったところで勇者の剣とともに「魔王討伐してきてねっ」と放り出された。なんとか魔王を倒して帰ってきてみれば国王に着替えを見られて女とバレ、一目惚れしたと迫ってくる国王をかわしていると勇者の代わりに聖女の称号が与えられ、そろそろ本気でばっくれるかと考えていたところを敵――国王――に先手を取られた。


 目が覚めたら公衆の面前で結婚式の真っ最中だったのだ。


 おそらくは昨日の夕食に睡眠薬が混入されていたのだろう。キリカが叩き込まれたのは対魔族の戦いだから毒物には慣れていない。そういう意味では人間の方が悪辣である。


 大声で神に誓いを立てた国王がキリカに向き直ってその手を取り、ギョッと目を見開いた。キリカはクッと笑いを噛み殺す。滑稽な顔だ。――目が覚めているとは思わなかったのだろう。仮にも結婚しようという相手を魔術で操ろうとするなんて、意外とただの変態ではなく腹黒でもあるようだ。この分では、一目惚れもどこまで本当のことなのやら。


 少し気が軽くなって、キリカはニコッと笑ってみせた。端麗な顔が大袈裟なほどの安堵を見せる。キリカはそこにある僅かな勝ち誇った色を見逃さなかった。――甘い。人前では調子を合わせるしかないとでも思っているのか。


「ふざけんじゃないわよ、この顔だけ男」


 誓いの文言を皆に聞かせるための魔術がかかった喉で、キリカは言い切った。……え、と広場の空気が凍る。目の前の引き攣った顔にキリカはフンッと鼻を鳴らした。

「誰があんたみたいな変態と結婚するものですか。一昨日おいで!」


「……キ、キリカ。結婚に気が高ぶっているんだな。落ち着いて、ほら、僕がついているから」


 国王の言葉に広場の時間は再び流れ出した。「なぁんだびっくりした」とあちこちで声が聞こえる。「ハア、俺、聖女様本気かと思っちゃったよ」


――まさしくその通り、キリカは心底本気であった。


「私は冷静沈着、落ち着き払ってるわ。と・に・か・く! 変態と結婚なんて真っ平ごめんよ」


「キリカ、ね? 不安なのはわかるから……」


 キリカの喉の魔術が解かれた。と同時に国王が肩に腕を回してくる。


「具合が悪いんだね。ホラ、ちょっと休もうか」


「触るな変態」


 ボソッと呟いて腕を振り払う。さすがに駆け寄ってくる兵士たちを目の端に、キリカは口笛を吹いた。


フィーーーッ!


 兵士たちが舞台に上がってくるよりも、それが到着する方が早かった。それ――翼ある馬、ペガサス。足が見えるのも気にせずに、キリカは裾を絡げて飛び乗った。


 広場がざわつき始める。騒ぎになると面倒だ。


『で、どこに行くんですかぁ?』


 キリカの脳に思考が伝わってきた。ペガサスのものだ。言葉の裏の、嫌だ面倒臭いこいつ馬使い荒いよなぁ、という感情まで伝わってきて、キリカはペガサスに跨がって冷ややかな笑みを浮かべた。


「誰があんたの命助けたと思ってるの? もちろん、高貴なるペガサスの命に相応しいだけ、しーっかり働いてもらうわ。フフフ、絞り尽くすまで……ね」


『さ、最悪だ……』


「さあ、太陽に向かって出発よ!」


「待ってくれ!」


 バサリ、とペガサスが翼を広げる。ノリノリで太陽を指差すキリカの足に国王がしがみついてきた。


「ハアハァ、待ってくれ! 君が、君が好きなんだ。君ほど素晴らしい足の持ち主は二人といない!」


 恍惚とした顔が足にこすりつけられている。キリカの全身に鳥肌がたった。


「離せ、触るな! とうとう本性を出したわね!」


「ハァハァ、す、素晴らしい、この肌、曲線、筋肉……」


 げに執念とは恐ろしきもの。キリカがいくら振り払おうとしてもがっしとしがみついて離れない。


 ところで。キリカの喉の魔術は解かれていても、国王の喉にはかかったままであり。――広場の民衆は再び凍りついていた。


「いい加減、離れろ……《風よ、在れ》!」


 指先から風の渦が飛び出して国王を襲う。足が自由になるやいなや、キリカはペガサスを飛び立たせた。


「わ、私の理想の足が! 理想の足が〜! 兵士たち、聖女を追え! 追うのだ!」


「さあ、逃げるわよ!」


「追え、追うのだ〜!」








「……げ、竜騎士団が来てる」


 キリカは後ろを振り向いて苦い顔になった。竜騎士団はこの国最強の騎士団だ。全員が馬の代わりに小型竜を使役していて、中級魔族に匹敵する実力者の集まりだ。騎士団の中でもっとも勇者との関係が深いが、強者と戦くてウズウズしている少し危ない人物の集まりでもある。友情よりワクワクする戦いを選ぶ彼らは、旧知の間柄でも温情をもって見逃してくれたりはしないと確信できた。


「最悪……」


『ハハッ、いー気味』


「あんですって?」


 キリカはペガサスの鬣を引っ張った。


『わあぁ、ごめんなさい』


「しょうがないわね」


 ペガサスへの言葉ではない。キリカの手は依然として鬣をしっかり握っていた。左手で首にかけた鎖の先を引っ張り出す。銀の鎖の先には硝子の小壜があり、それには全長が親指の半分くらいの人間が入っていた。


「ルティリウス、あいつら追い払って」


『何故俺がお前みたいな女の言うことを聞かにゃならんのだ』


「私に負けたからでしょ」


『クソッ……』


「《ルティリウス・フェリク・サランバード》?」


『わかったよ、やればいーんだろ、やれば!』


 真名を掌握された元魔王は小壜の中で肩を落とした。


『クソゥ、こんな奴に真名教えるんじゃなかった……』


 彼の頭の中では数ヶ月前の記憶が駆け巡っていた。





*****


「ハッ、ハッ、ハッ……《氷獄》!」


「《炎よ、舞え》!」


 最後の力を振り絞って最大の魔術を起動する。だがそれを勇者は上回った。単純な魔術、しかし篭められた魔力は甚大。凝縮し始めた氷粒を蹴散らし、それでも足りないものはその剣で打ち払う。迫りくる勇者に魔王は剣を持ち上げた。その動きはじれったくなるほどぎこちない。しかし、これまでの戦いで消耗しているのは勇者も同じこと、鈍くなった剣筋をなんとか受け止める。


「《風よ、在れ》!」


――まだ、魔力が残っていたのか。


 目を見開く余裕のある魔王には、しかし対抗する魔術を紡ぐだけの魔力が足りなかった。成す術もなく吹っ飛ばされ、壁にたたき付けられる。


「ぐっ……」


「あんたの負けだよ、魔王ルティリウス」


 子供のように高い声で勇者が宣告する。これで、終わりか……。魔王は観念して目を閉じた。


「そのようだ、な……」


 完敗だ。体術は五分、魔力量と魔術の技量において勝る魔王が有利なはずだった。が、魔術を扱う技量に関しては、勇者が圧倒的に優れていた。魔力も体力もすっからかんの今、余力を残している勇者に勝てる気はしない。そして、そう認めた時点で魔王の負けなのだった。――疲れた。ふと、魔王である男はつくづくそう感じた。疲れたのだ。もう、休む頃合いだろう。


「この首を持って行くがいい。だがその前に一つ昔話を聞いてくれないか……」


「……なに?」


「この俺は、昔、とある国に仕える騎士だった……」


 賢い国王、気の合う同僚、美しい国。一介の騎士として深刻な不満など何一つない充実した日々を送っていた。しかしそれは隣国の侵攻によって打ち砕かれる。余りにも巨大な国。懸命に抗戦するものの、ついに王都にまで攻め入られた。そして国王が討ち取られかけ……ルティリウスはひた隠しにしていた能力をさらけ出してしまった。人間の天敵である魔族を使役する能力。それを使って隣国の脅威を退けた彼を迎えたのは、恐怖と嫌悪の目、人間の敵と罵る声だった。そして、一時国家間の争いはなくなる。魔族を自由に操る魔族の王を倒すために――そうして、魔王ルティリウスとなり、封印されたのだった。


「それなら今度こそ魔王らしく振る舞ってやろうと思えばこの様……俺には魔王は荷が重過ぎたようだな」


 ハア、と重いため息が勇者の口から零れた。苛立ったように剣の柄を指でトントンと叩いている。


「そうだな、まだお前にはわからないだろう。……だが、人間とはそういう一面も持つ生き物なんだよ……」


「いや、そんなんどうでもいいから。ってか、昔話っていうからお宝の在りかでも教えてくれるのかと思えば……気が利かんやつ」


「………」


 疲れてるんだな、と魔王は考えた。幻聴が聞こえる。


「魔王ルティリウス。あんたの名前は?」


 魔王は少し元気を取り戻した。フッ、と出来るだけ渋い微笑みを浮かべる。


「俺の名か……最後に言い残しておくのも悪くないな。ルティリウス・フェリク・サランバードだ……」


「なるほど」


 薄目を開けて勇者のあどけなさの残る顔を見て、魔王はなんとなく不吉な予感を覚えた。何か企んでいるような顔をしている。


「《ルティリウス・フェリク・サランバード》」


「なっ……?」


 体中が真名に反応してざわめく。勇者の剣が魔王を指した。


「《縮め》」


 骨という骨が溶けだすような言葉に出来ない感覚。そして、勇者は懐から小さな硝子壜を取り出し。指よりも小さくなってしまった魔王の襟首を摘んで壜に入れ、キュポッと蓋を閉めた。


『何をするっ!?』


「ふーっ。あー、疲れた」


 勇者は騒ぐ魔王を無視して小壜に鎖を通した。疲労で指がいうことを利かないのか、何度もやり直している。


『答えろ、勇者! 何のつもりだ!』


 こんな小さな壜を破壊する力すら残っていないとは、と臍を噛み、ドンドンと壁を叩く。びくともしない。


「五月蝿いな。なんのつもりも何も……えっと、奴隷? じゃなかった、下僕? でもなくて、んとんと、そう、捕虜! 身代金を払ってくれる人がいないからルティには体で支払って貰おうか……クククッ」


『か、体!? 支払うって、どういう意味だ。生き恥を曝すくらいならいっそ殺せ!』



「そんなことするわけないよ。己がどれほど罪深いか、あんたはまだよくわかっていない。死では罰が軽すぎる」


『……確かに、俺は己の野望のために……』


「そう。だから生きて罪を償いなさい」


『そ、そうか。その通りだな……』





*****




「騙された……」


 キリカは呻く元魔王を壜から取り出し、背後に向かって放り投げる。「うぅわあああぁ!」 と叫ぶ声は段々と遠くなり、ややあって、ドン!と爆発音が聞こえてきた。振り向くと、追っ手の影はない。爆風に飛ばされた元魔王の体をキリカはキャッチした。――何と言うか、相変わらず詰めが甘い。


「おい、コラ、逆さまにぶら下げるな! 頭に血が上る!」


「私が思うにルティはたいてい頭に血が上ってるから、あんま変わんないって」


「それはお前がありえんようなことばかりするからだ! さっさと壜を出せ!」


「………」


 キリカは笑いを堪えながら壜を差し出した。自分から入っていく。キュポン、と壜に詮をしてからキリカは語りかけた。


「あのさぁ……今の隙に逃げようとか、考えなかったの? 何、馬鹿正直に自分から壜に戻ってるわけ?」


『………。……ぬかったわ!』


 壜の中で地団駄を踏む魔王にキリカはニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべた。その気配を感じてペガサスが『うわぁ』と呆れとも感嘆とも嘆きともつかない声を漏らす。


「ま、そんなにこき使われるのが大好きなら遠慮なく」


『ヒィッ。くそう、お前は悪魔だ!』


「魔王が何を今更……人はね、お金と安楽な生活のためには鬼にも悪魔にもなれるのよ!……私もね、本来血も涙もないような人間じゃあないのよ。それが城に誘拐され、三年間鬼のよーなしごきに堪え……ご飯が美味しくなかったらとっくに逃げ出してたわね。私がただの村娘でいられなかったのはなんでかわかる? ルティが傍迷惑にも自棄を起こして世界征服しちゃおうとか思ったからだよ。わかってる?」


『む……そうか……大変申し訳ないことをした……お前の性格がねじまがったのは俺のせいなのか。どう償えばいいのやら……』


「ねじまがってない!」


『自覚ないのか』


 哀れな、と静かな目で見られ、キリカは謂われない敗北感に拳を握り締めた。時々この魔王は悟りを開いた老僧のような雰囲気を醸し出す。魔王のくせに……!


『嘘ばっか言わないでください。キリカが僕と会ったのは五年も前でしょ。その時から恩に着せて僕をこき使って、三年の訓練期間もキリカが城の人々虐めてたようなもんじゃないですか。可哀相に……』


「ペガサス、五月蝿いよ」


 ペガサスにも魔王にも互いの声は聞こえないが、二人がかりで攻められるとどうにも旗色が悪い。普段ならどうってことないが、この老僧じみた元魔王は苦手なのだ。


「まーとにかく。十二歳から十六歳までの時間を私はルティに取られたようなもんよ。慰謝料として、私の平穏な老後のためにルティにはキリキリ働いてもらいますからね」


『む……そういうことなら仕方ないな……』


「ルティ……」


――典型的な詐欺師にひっかかるタイプだな。と、キリカはしみじみ思った。








 後世、第二十四代イリステア国王アリスト・ツィータ・ストレス・イリステアの御代において、魔王が蘇ったという公式な記録はない。その他の伝聞に頼った不確実な記録は、魔王を倒したのは勇者であったり聖女であったり天から舞い降りた女神であったりと一貫性にかける。面白いのはとある騎士の手による勇者が魔王という記録だ。真実であれば興味深いが、おそらくは愉快犯の類であろう。

 在位の始めの頃に魔族の活動が活発になったということは公式にも辛うじて記録されているが、その魔族への対応も、全てが消え去っている。偶然というには余りにも徹底した方法で。

 唯一王宮の奥深くに眠る記録は、なぜかロココ草を大量に使ったことを示している。記憶を曖昧にさせる効果のあるロココ草。それも数万人に使えそうなほどの量を何に使ったのか、過ぎ去った時は何も教えてはくれない――。

 読んでくださってありがとうございます。


 本編はこれでおしまい、以降はおまけです。

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