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旅人の話2

 翌日の夕方、エミルは約束通りやってきた。

 俺は一日中狭い部屋で話をしたり、体を調べられたりと、訳の分からない男達に連れ回されていたせいでひどく疲れていた、昨日以上に体がだるくて重い。早く、あのひんやりとした檻の中で寝転がりたい。さすがに石造りであるため、体はバキバキに痛るが。


「やあ、こんにちは!」


 取り調べをしていた狭い部屋からでると、エミルが立っていた。昨日とはうってかわり、ずいぶんときれいな服装をしている。金色の装飾がちりばめられた、真っ白なローブを着ている。靴は昨日と同じきれいな靴を履いている。今日は髪を一つに結わえているようだった。


 俺の取り調べをしていた男は慌てて片膝をつき、エミルの手のひらに口づけをした。エミルはその男に対して小さく「神のご加護を」とつぶやいた。その声は、昨日しゃべっていた人とは同じ子と思えないほどに美しく、優しく、神秘的な声だった。

 エミルは男に何かをつぶやいてから、俺の手を取って歩き出した。



 取り調べをしていた男の姿が見えなくなり、周囲から人がいなくなると、エミルは手を離しおもむろにローブを脱ぎ始めた。


「え、っちょ!!」


 年端もいかない子どもの着替え姿を見てはいけない一心で、あわてて顔を背けた。


「どうしたの、おじさん?」


「いやいや、突然脱ぎ始めないでくれよ……」


「え、おじさん、まさか私のことを女だと思っているのかい?」


 その言葉に驚いて、エミルの方を見てしまった。昨日と同じような薄汚れた茶色い服に着替えている。さっきまで着ていたローブはたたまれて腕にかかっていた。


「……違うのか?」


「さあ、どう思う?」


 エミルはいたずらっ子のような二マっとした笑顔で、俺の顔を見上げた。大きな黒い瞳に俺の姿が映っている。


「……正直、どうでもいい。」


「ははっ! おじさんは面倒くさくなくていいね。」


 エミルは満足そうに俺に背を向けて歩き出した。青と白の髪紐で一つに結わえた髪が歩くたびに左右に揺れている。尻尾みたいだ、と思いながらついて行った。

 俺はここを勝手に牢獄かなんかだと思っていたが、檻や取り調べをしていた部屋から少し歩くと、白い壁と白い床が続く空間が続くきれいな建物であったことが分かった。廊下の左右には植物が植えられており、緑豊かな場所である。木も多く生えているため、鳥たちも気持ちよさそうにさえずっている。廊下は吹き抜けになっているため、外から風が心地よく吹いている。時折遠くから合唱のような声が聞こえてくる。


「ここはなんなんだ?」


 思わず、口からこぼれでてしまった。エミルは前を向いたまま話し続ける。


「んー……、みんなは神殿って呼んでるところの裏庭かな。」


「神殿? そんなところに俺なんかが入っていいのか?」


「一番国の端に神殿があって、そこにおじさんが来ちゃったから、仕方なく入れたんだよ。」


「入れたって、まさか君が許可を出したのか?」


「まあね。私、実は偉いから」


 ふふんっと鼻を鳴らしてエミルは応える。


「それにおじさんがこの国に入れちゃったのって、私のせいだからね。」


「ちょっと待て、それはどういう――――――」


「ついた!」


 俺の言葉は遮られた。ツタが絡まって一見すると何もないような場所に見えるが、よく見ると扉があった。


「おじさん、旅人なんでしょ?」


 エミルは振り返った。その表情はなんだか誇らしげに見える。


「この東の都市をぜひ見て、気に入ってほしいんだ。そして、できることなら他の国に、この国を自慢してほしい。」


 エミルはゆっくりと扉を開けた。

 まず最初に目に入ってきたのは、高くそびえる山だった。西日に照らされて山が赤く燃え上がっているように見える。壮大で、神秘的な山だった。

 それと共に、街を囲むようにある山脈。なるほど山に囲まれているから少しひんやりしているのか、と合点がいった。街並みは赤いレンガが特徴的で、どこか懐かしさを感じさせるような温かみがあった。

 車は走っていない、バイクも走っていないことは「ガソリン」を知らなかった時点でなんとなく察していた。しかし思わぬことに街には馬車が走っていた。あまり数は多くないようだが、初めて見た馬車に少し興奮してしまった。


「馬車すごいな。」


「え、そこ?」


 口からこぼれた感想に、エミルは怪訝な目を向ける。


「あいやいや、目の前の高い山が神秘的だな、とか街がきれいだなとか、もちろん思ったんだけど、俺も男の子だから、初めて見る乗り物に嬉しくなっちゃって。」


 言い訳している訳ではないが、つい早口になってしまう。


「ふーん」


 つんと唇をとがらせてエミルは山を指さした。


「あの山は、テオグリフ山っていうんだ。山頂にはこの神聖王国の首都がある。あの山を見ると、神のご加護を感じないか?」


 まっすぐと山を見つめるエミルを一目見た。純粋な目をしていた。

 きっとこの子は神の存在を信じて育ってきた子なのだろう。こういう子には、嘘でも肯定の言葉を投げかけた方がいいのだろうが、なんだか嘘をつきたくなかった。


「あいにくだが、俺は神を信じていない。」


「――――そうか。」


 山を指さしていた手が力なく降りる。ぽつりと「そういう人もいるんだよな」という声が聞こえた気がした。心なしかしょんぼりとしたように見えたので、


「だが、あの山はきれいだと思うぞ。」


 俺はエミルの頭をぐしゃぐしゃとなでた。エミルは慌てたのか、俺の手を止めようとしてくる。その反応が年相応の子どものようで、ほっとした。







 その後、エミルは自分のお気に入りだという店を案内してくれた。

 武器屋、パン屋、古物屋など、選ぶ店が若干男臭く、おじさんに気をつかったのかと思ったが、本当にエミルの行きつけの店のようで、どの店の店主にも明るく声をかけていた。

 エミルは街中で有名らしく、どの店へ行っても、道を歩くだけで声をかけられていた。ただ、俺の姿を見ると明らかに警戒している様子だった。中には「この子に手を出すんじゃないよ」と牽制してくる人もいた。そのたびにエミルは慌てて「行商人だ」と言って俺を紹介した。こんなちび助に手を出そうと思われていることが多少ショックではあったが、まぁこの街の人にエミルが愛されていることがよく伝わってきた。




「本当は私の友達を紹介したかったんだけど、ちょうど昨日旅立っちゃったんだよね。」


 パン屋で購入したパンを噴水に腰掛けながら食べていると、不意にぽつりとつぶやいた。


「なんだ。お前の友達に旅人がいたのか。」


「いいや、彼は行商人なんだ。多分少し年上なんだけど、もう立派に働いていて尊敬してるんだ。」


「そうか。」


「私はあまり神殿から出られないし、この国のこともこの都市のこともあまりよく知らない。それでもなぜか、私はこの神聖王国が大好きだし、この都市の人のことも大好きなんだ。」


 夜が近づく空を見つめるエミルの横顔をのぞき見る。その表情はなんだか大人びて見えた。


「おじさんは、この都市のこと気に入ってくれた?」


「まあ、悪い場所ではなさそうだな。旅人がこの国を知らないのがもったいないとは思うぞ。」


「本当はね、おじさんはこの都市に入れない存在なんだよ。」


「なんだそりゃ。」


 苦笑する。他国に入れないような重罪人ではない。そんな気持ちが表情にでていたからか、エミルはふっと笑う。


「おじさんだけじゃなくて、この国の人以外はこの国を知らないんだ。だって、この国は外から入れないからね。」


 さらっと衝撃の事実を告白されて、思わずむせてしまった。慌ててエミルを見るが、嘘をついて人をからかっているような表情ではない。


「おじさんがこの国に入れたのは、私がこの国の結界を少し緩めたからなんだ。」


「結界?」


 むせた俺を気にせず、エミルは話し続ける。その声は若干さっき神殿にいた男に向けていたような美しく神秘的な声が混じっている。


「そう、結界。おじさんはこの国のことを今まで聞いたことがなかったでしょう?」


「ああ、聞いたことがなかった。」


「それは、私たちのような聖女がそれぞれの都市に結界を張って、他の国からこの国を見えなくしているからなんだ。私はずっとそれが正しいことだと思っている。軍や武器を持たない私たちが安心して暮らすには大切なことなんだと思う。でも、それだけだと私はこの国が死んでいくだけにしか思えてならない。だから――――」


 エミルが正面から俺を見る。その目には強い意志が籠もっていた。




「だから、私はこの国におじさん――――いえ、隣国の王弟である貴方をこの国へ招待したんです。」




 冷たい山風が頬をなでる。家々に明かりがともり始め、夜が近づいていることを教えてくれる。

 少し沈黙が訪れた後、エミルの目が伏せられる。


「森で迷子になり、この国にたどり着くように仕向けたのは私なんです。申し訳ないです。」


「なぜ――――」


 喉から出たのは、情けない声だった。


「なぜ、君が、私が王弟であることを知っているんだ。」


「それは、」


 いつものいたずらっ子のような表情でも、二マっとした笑い方でもなく、慈愛に溢れ、それでいて恐れを感じさせる表情。美しく、深い声。その時、なぜか目の前の子どもに神の存在を感じた。





「それは、神が私に教えてくださったから。」






 エミルは手を差し出してきた。握手などではない。本能で分かった。

 思わず手を取り、手のひらに口づけをした。そうすることが自然であるように、そうならざるを得ないように、俺の体は動いた。




 俺が神を感じたのは、このときが初めてだった。

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