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王子の従者の話2

 王宮を出て、首都のどこかで職を探して暮らしていこう。

 そう思っていたが、現実は厳しかった。

 勉強のできるだけの15歳の子どもを雇ってくれる場所などどこにもなかった。

 ある店では、なにか技術をもっていないか聞かれた。下働きで毎日していた掃除や洗濯について話したが、そんなことは誰にだってできる、と言われて追い払われた。

 ある店では、15歳で学校を卒業するような子どもが、当てもなく街をさまようはずもない、嘘をついていると言われ追い払われた。

 ある店では、親の承諾書が必要だと言われた。親が他界していることを伝えると、孤児院に連れて行かれそうになったので、慌てて逃げた。


 俺は何も知らない、何もできない無力で非力な子どもだった。

 しかし一度飛び出した場所に戻る勇気もなかった。


 1ヶ月も経つと持っていた路銀も尽き、路地裏で寝る日々が始まった。

 昼間は行商人の使いっ走りや日雇いの仕事を探す。仕事にありつけた日は食べ物があったが、仕事がない日は空腹を紛らわすためにずっと路地裏で寝ていた。自分が段々と薄汚れ、きつい匂いが漂い始めたことは分かっていたが、もうそこから抜け出すことはできなかった。

 パルモルをしようとしても、目をそらしたり、ひどい場合だと手を払う人もいる。パルモルを拒否するということは、一切の会話をしないという合図である。特にこの大聖堂近くだと、それが顕著だった。

 神はきっと私を怒っているんだ。逃げ出すような男に、差し伸べる手などないんだ。暗い気持ちが心を真っ黒に塗りつぶしていた。



 王宮を抜け出して2ヶ月が経つ頃、肌寒い風が冷たさを帯び、雪が舞い散るようになってきた。数週間前から咳がでるようになっていたが、寒さのせいもあったのか悪化していき、咳がとまらなくなっていた。また、夜は寒さと咳のせいでろくに寝ることができなかった。夜に寝られないと自然と体力も落ちていき、昼間に体を起こして働くことができなくなった。働けないから食べるものもなく、一日中横になるだけの生活が続いた。咳が止まらず、吐いてしまうこともあったが、液体しかでてこなかった。ただ、水分が勿体ないので、その液体も飲むこともあった。


 3日ほど動けなかった日の夜に、今まで寒くて震えていたのに、震えが止まった。

 なんとなく死、という概念を身近に感じた。

 脳裏をエミル様のニマっとした笑顔がよぎる。もう1年以上エミル様をお見かけしていない。エミル様に会いたい。エミリア様に会いたい。母に、会いたい。

 首都の喧噪が水の中にいるように遠くから聞こえてくる。寒いはずなのに額に汗がにじんでくるのを感じる。何だかとても眠くなってきた。

 遠くから、自分の名前を呼ぶ声がしたが、意識は遠く離れていった。




 目が覚めた時、懐かしい香りがした。幼い時によく感じていた、幸せの象徴のような香り。

 状況を確認しようと体を動かそうとするが、上手く動かない。体が鉛のように思い。身を起こそうと身じろぎしようと息を吸い込むと、思わず咳き込んでしまった。背中に感じる感触は、いつもの冷たい地面ではなかった。


「気づきましたか?」


 咳で視界がにじみながらも、声のした方向を見た。そこには以前見たことのあるエリミア様の侍女がいた。その侍女は俺の体を横にさせた。咳を止めようと頑張るが、止めようとする度にまた咳がこみ上げてくる。気持ち悪さが胸の奥からこみあげてきて、枕元に吐いてしまった。申し訳なさから、タオルを探すが次第と視界が暗くなっていった。


 次に目が覚めたときには、明るかった部屋が暗く、暖炉の明かりだけがともっていた。先ほどの吐瀉物はきっとあの侍女が片付けてくれたのだろう。申し訳がない。

 ふと横を見ると、だれかが座って寝ていた。長い絹のような黒髪の少女―――エミリア様だ。エミリア様がいらっしゃるということは、俺は王宮で保護されたということか。あの懐かしい香りは王宮の香りだったのだ。

 自分から逃げ出したくせに、王宮に連れ戻されるなんて、なんて情けないのだろうか。

 所詮、俺はたった15歳の、ひとりじゃ何も出来ない子どもだったんだ、情けなさと悔しさ、そして思い上がっていた情けなさに思わず涙が出てくる。それが引き金となったのか再び胸が苦しくなる。咳が止まらなり、息ができない。エミリア様に気づかれないように彼女に背を向け、体をくの字に曲げて息を整えようとする。


「リオのばか」


 そんな声が背後から聞こえた気がする。そして、背中に温かい手が添えられ、さすられている。小さな手なのに、大きな安心感に包まれる。


「すみま……せん」


「もういいの。もういいから、ゆっくり休んで。」


 俺の声は思ったよりもかすれていた。エミリア様は聞こえたのか分からないようなかすかな俺の声を聞き取ってくださった。

 エミリア様の声は震えているように感じた。でも、俺を心配してくれることが分かる、優しい声だった。エミリア様に心配をかけてしまった申し訳なさから、何度も何度も謝った。そのたびにエミリア様は優しく「もういいのよ」と声をかけてくださった。





 数日すると、体を起こせるようになってきた。この数日の間に、以前の上司が部屋にやってくることもあった。彼は心配の言葉をかけるでもなく、次の会議に提出するため資料を渡してきた。


「来週の会議の資料だ。待ってるからな。」


 ぶっきらぼうに告げ、背を向けた。仕事を放り投げたのは俺なのに、居場所を用意してくれる、その遠回しな優しさに感謝の気持ちがこみ上げてくる。他にも、同僚が俺のいない間に進んだ仕事の話や、なんてことない人間関係の話をしてくれることもあった。

 俺は周囲の人に恵まれていたのに、自分から心を閉ざしていたんだ。手を差し伸べてくれる人はたくさんいて、その手をつかむかつかまないかは自分次第だったんだ。

 今度こそ、ここで誰かの役に立ちたい。俺のいるべき場所を自分でつくりたい。そう思い、資料を読み込んだ。


 一週間後、なんとか体調を整え会議に参加した。熱も下がり元気になったと思い、積極的に参加した。周囲の人たちは、意外にも俺の帰還を喜んでくれていた。あとから聞いた話だと、上司が様々な場所に根回しをして、俺の場所を守ってくれていたらしい。つくづく恵まれた部署に配属された、と感謝する。

 しかし、体力がなかなか戻らず、すぐに発熱してしまったり、立ち続けることが多い会議ではめまいで倒れたりすることがあった。さらに、視察などの屋外の業務では、その寒さから、やはり咳が止まらず周囲に迷惑をかけるようになってしまった。

 今日も会議で発言している最中に目の前が暗くなり、自力で歩けなくなってしまったため同僚に背負われて医務室に運ばれた。

 情けない。自業自得だ。そんな言葉が胸の中を占める。情けない姿を同僚に見せたくなくて、同僚には仕事へ戻ってもらった。考えていることはたくさんあるのに、以前のように体が動かない。横になると、役に立ちたいと思うのに体が思うようについてきてくれない歯がゆさが心の中に積もっていく。

 そんなとき、扉ががちゃりと開き、誰かが入ってきた。


「邪魔するぞ。」


 そう言って入ってきたのは、王様だった。驚いてすぐに体を起こす。しかし、急に体を起こしたからか視界が真っ白になって、起きていられなくなる。脂汗がにじむ。ぎゅっと目をつぶった。耳鳴りがして、音が遠ざかる。

 なぜ王様はここに来たのだろう。もしかしたら、王宮を出て行けといわれるのかもしれない、と思った。一度逃げ出した場所だったが、王宮の外では誰からも受け入れてもらえなかったことを思い出すと、王宮を出たくないと強く思った。


「ここで……働きたいです。」


 喉からでたのはあまりにも貧弱な声だ。徐々に視界が色を取り戻していく。首筋に流れる脂汗が気持ち悪い。しかしそれよりも、王様にこんな弱々しい姿を見せていること、さらに王様の前で横になっていることが情けなかった。医官が水を飲ませてくれた。徐々に周囲の音が正常に聞こえるようになってきた。


「そなたの上司と話をしてきた。体調が戻らないのに、無理をしているそうだな。」


 ぐっと唇をかむ。肯定とも否定とも言いたくない。図星だったからだ。俺の表情を見て察したのか、王様は苦笑する。


「そなたは幼い頃から我慢強く、人に弱いところを見せたがらなかったな。王子と王女の良き友、そして良き兄として共に成長してくれたことに、感謝する。」


 思っていたことと全く異なることを言われて拍子抜けした。王様に感謝されたことなど一度も無かったため、戸惑ってしまった。


「ここからが本題だ。そなたが幼い頃、王子の友となってほしいと私が言ったことを覚えているか?」


「はい、もちろんです。」


「そなたを王子から遠ざけてしまって申し訳なかった。しかし、やはり王子のそばにはそなたが必要なのだ。王子の従者として、戻ってきてはくれないか?」


 王子の――――従者として?

 エミル様はこの王宮にいらっしゃるのか。今までどこにいらっしゃったのか。


「エミル様は、ご存命だったのですか?」


 つい口にだしてしまった。王は眉を寄せる。


「エミルは先日の会議にも出席していたはずだが。」


「差し出がましいことを申し上げますが、会議にいらっしゃったのは、エミリア様でございましょう? エミリア様がエミル様のお召し物を着て、会議にいらっしゃっているので私はてっきり――――」


「そなたの目は欺けないのだな。」


 これで見たぶったのは二人目だ、と王はつぶやいた。そして、医官を遠ざけさせる。ここからは機密の話だ、と言わんばかりの雰囲気に思わず喉が鳴ってしまう。


「エミルは私たちの元から去ってしまった。妃がそれで心を病んでしまってな。公の場に立つときだけ、エミリアがエミルの代わりをしているのだ。」


 やはり。エミリア様がエミル様の代わりをなさっているのだ。


「俺――じゃなくて、私以外に入れ替わりに気づいたのは、どなたなのですか?」


「そなたの母だ。親子揃って、私たちの子をよく見てくれているのだな。」


 そう言って、王様は私の頭を撫でた。王様の手はとても大きく、きっと父がいたのならこんな風に頭を撫でてくれたのだろう、と思わせてくれた。


「顔色が真っ青だ。よく休みなさい。元気になったら王子の従者として、王宮へ参じなさい。そなた以外に我が子を任せられる者はいないと思っている。励めよ。」


 そう言って医務室を出て行った。王がいなくなったあとも、しばらくその手のひらの熱は冷めなかった。

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