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 リズは受け取った紙を、焚き火の光に(かざ)した。


 濡れた羊皮紙に炭の走り描き。地図というには粗い。だが谷筋、沢、旧道、そして――幾つかの印。


 小円に短い線。矢羽のような形が、二つ三つ。


 「……これ」


 リズの指が、ひとつの印の上で止まった。


 手下が覗き込む。


 「何です?」


 「“鴉羽”だ」


 男たちの空気が、僅かに硬くなる。


 「あ、そういやたしかに…」


 鴉羽――このあたりの谷筋を食い荒らしている、黒い矢羽で名を売る徒党。若手が中心で盗むだけでなく、見せしめの首を並べると噂の連中だ。


 リズは紙面を指先で弾いた。


 「黒羊は、こいつらの“巣穴”をたまたま掴みかけてた。でも団そのものは掴めてない。賊の拠点や隠し倉の目星だけ」


 大柄の男がそれに応える。


 「…なるほど。ひとまず襲撃カ所から近い"目星"に小隊を向かわせ、結果的にその中の一つが当たり。うちらを追撃する形になった」


 レナートは咳き込みそうになる喉を押さえ、目を細めた。


 確かに、地図の書き方が雑だ。軍の測量図ではない。――現地で聞き集めた噂を線にしただけのような。


 「……これ、盗賊掃討計画の下書きです」


 リズが視線を寄越す。


 レナートは喉を鳴らし、言葉を選んだ。


 「領主側が“掃討したいが手が回らない”という話……俺も、村にいた頃に噂で聞きました。拠点は幾つか知ってる。でもそれだけで賊の規模も実態もしらない。だからまだ踏み込めず、こういう“目星の地図”を作成してる段階」


 リズは頷かない。だが紙面から視線を外さずに、静かに聞いている。手下の男が言葉を繋いだ。


 「……鴉羽は、ここ数ヶ月、谷を越えて動き始め不用意に目立っていやした。縄張り争いで最近はうちとも何度か擦っていやす。黒い矢羽を残すのが癖で、名を売ってやす」


 「癖、ね」


 リズの口元が、ほんの僅かに歪んだ。


 それは笑みというより、刃を抜く"起こり"だった。


 「ちょうどいい」


 手下のひとりが顔を上げた。


 「何がです…?」


 リズは地図を丸め、焚き火の横に置いた。


 「さっきの密書、回収対象は“ブルーリー副印の箱”。騎士団は盗賊を捕まえに来たんじゃない。取り返しに来た」


 男たちの目が、箱へ向く。ヴェルディア封蝋の小包は、まだ開けられずに鎮座している。


 リズは淡々と続けた。


 「つまり領主は焦ってる。焦ってる奴は、手が足りない。手が足りない奴は、裏に手を伸ばす」


 沈黙。

 焚き火が弾けた。


 「まさか……うちらが、その“裏”に…?」


 誰かが、そう呟いた。


 リズは答えない。その代わり、レナートを見た。


 「お前」


 呼ばれた瞬間、レナートの背が勝手に伸びた。


 「さっき言ったな。封蝋は出所を作れる、と」


 「……はい」


 「なら、出所も“犯人”も作れる」


 レナートは息を呑んだ。


 理解が先に走り、胃が遅れて縮む。


 「……この追討隊殺害を、鴉羽の仕業にするんですか」


 「形ができれば、話ができる」


 リズは焚き火の向こうを見た。そこには、焦げた死体と、黒羊の紋の布。


 「荷が奪われ、追っ手の黒羊が殺された。盗品も回収できず消失。犯人もわからなくて、領主は困る。――困った時に現れる“便利な賊”が必要になる」


 手下たちの目が、次々にリズへ集まる。


 リズは指を二本立てた。


 「巣穴を叩き、鴉羽を潰す。頭を取り、印を取る」


 「皆殺しですか?」


 問うたのは弓を手にしている男だった。


 リズは首を僅かに傾けた。


 「生かして逃がせば、話が漏れる。話が漏れれば、うちは“便利”じゃなくなる」


 冷たい声だった。


 「死体は?」


 「埋めない。埋めれば土が盛り上がる。獣に食わせて散らす。血は水で流す。火は使わない。煙は目立つ」


 命令が次々と落ちる。男たちが、それを受けて動き始める。


 「矢羽は?」


 リズが一瞬だけ目を細めた。


 「黒く塗って、矢尻は抜くな。刺さったまま残せ。鴉羽はそういう見せ方を好む」


 レナートは唾を飲み、言葉を絞り出した。


 「……でも、明らかに疑われます。すり替えだって」


 「疑わせていい。体裁だけ」


 リズは焚き火の火を見たまま言った。


 「疑いは“交渉の種”になる。領主は密輸を隠したい。なら、犯人が誰でもいい。鴉羽なら、なおいい」


 その言葉に、レナートの背筋が冷えた。


 「誰が犯人か、じゃない。誰が犯人がいいか、だ」


 この女は、正義でも復讐でもない。

 ただ、“利”で世界を切っている。


 「……お前、字が読める。符牒も解ける。封蝋の扱いも分かる」


 リズがこちらを見る。


 「生きたいなら、仕事をしろ。まずはこの地図の印、全部言え。どれが鴉羽で、どれが別の穴か。分からないなら、分かるように考えろ」


 レナートは頷くしかなかった。


 頭の中で、かつて学んだ“帳合”と“検め”の知識が、嫌なほど役に立つ。


 ――知識は人を救う。

 そんな綺麗事は、ここにはない。

 知識は、人を殺す。

 そして、自分を生かす。


 「……わかりました」


 レナートは震える指で地図を押さえ、火の光を借りて目を走らせた。


 「この印は……谷の見張り小屋。多分、荷の受け渡し点です。こっちは……水場。馬を休ませる場所。で……ここ」


 レナートの指が、地図の端の小さな×印に触れた。


 「ここが……おそらく巣穴に近い。狭い谷で、道が一本しかない。待ち伏せに向いてる」


 リズの目が、わずかに光る。


 「決まりね」


 彼女は立ち上がった。


 「夜明け前に出る。火は消せ。荷は最小限。まずは"鹿の井戸"へ移動する」


 盗賊たちが散り、準備のために闇へ溶けていく。


 リズは最後に、レナートへ近づいた。


 距離が詰まる。息がかかるほどに。


 「——名前」


 レナートは瞬きした。


 「……レナート、リュセルです」


 リズは首を振った。


 「捨てろ。盗賊に本名なんていらない。お前の“今”の名前を私がくれてやる」


 レナートの喉が鳴る。逃げ道がない。

 リズが至近距離から探るように見つめてくる。

 しばらくそうしたあと、不釣り合いな笑顔が瞬間浮かんで消えた。


 「……ソルト」


 リズは満足したようでもなく、ただ当然のように言った。


 「よし。"灰喰い"へようこそ、ソルト。次は“鴉羽”だ。生き残れば、飯は腹いっぱい食わせてやる」


 そして、踵を返す。


 焚き火の光の外へ、女は静かに消えていった。


 残されたのはリズの僅かに甘い匂いと、死体、紙の地図、そして名を奪われた男だけだった。

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