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盗賊《シーフ》


 死臭は、火の匂いより先に鼻の奥へ貼りついてくる。血と焦げた革、焼けた毛。――馬のものか、人のものか、もう区別はつかなかった。


 盗賊たちは散っていた。


 火をかざしながら、倒れた騎士の鞍袋、腰の革嚢、胸当ての内側を漁っている。金目のものだけではない。紙、札、印。持ち主が死ねば、残る物はすべて情報に変わる。


 レナートは、崩れた木の陰に半身を預けたまま、喉の奥を押さえていた。与えられた革袋の水を飲み、パンにはまだ手が伸びないでいる。空腹のはずが、身体がまだ受け付けない。


 ━━人を焼いた。


 強要されたと自分に言い聞かせても、唱え、狙い、放った事実が重くのしかかる。


 殺人。言い訳はできなかった。


 沈む身体と精神をなんとか保ちながら見ると、傍に焚いた小さな火の向こうで、女盗賊――リズが、膝を折った騎士の首元から布を引き抜いた。黒羊騎士団の紋。濡れた布が光る。


 「……」


 彼女は何も言わない。


 剣を納める音すら、必要最低限だった。静かな所作が、逆に周囲の空気を固める。


 男たちが死体をひっくり返すたび、金属が鳴る。


 同時に、森の底から風が抜けた。枝が擦れ、遠くの鳥が声を落とす。怯えたか、それとも早くも獲物を嗅ぎつけたか。

 

 リズが顔を上げた。焚き火の橙が、彼女の頬骨の線に淡く影をつくる。


 「……魔導師」


 呼ばれたのだと分かるまで、レナートは一拍遅れた。自分の名ではない言葉で呼ばれることに、まだ慣れていない。


 レナートはふらつきながら近づいた。土に膝をつくと、視線が自然と死体へ落ちる。


 さっきまで人だったもの。言葉を発していたもの。焦げた髪の束。開いたままの目。恐怖から胃が迫り上がる寸前で声がかかる。


 「顔を上げて」


 リズの声は低い。優しくも、怒ってもいない。

 

 ただ――従わせる声だった。


 レナートは無理に顔を上げた。


 「お前、どこの出だ」


 「……ブルーリーの大学……いえ、正式に出てはいません。中退です」


 「ふうん。……詠唱が早かった」


 褒めたのではない。

 “記録した”だけの口調だった。


 リズは、死体の鞍袋から手を伸ばし、油布に包まれた細い筒を引き抜いた。

 封は、蝋ではなく硬い樹脂。小さな刻印が押されている。

 

 リズが黙ってそれを開き、内側の紙を広げた。

 暫く目を通した後、レナートに差し出した。


 「学があるなら、読めるだろう」


 レナートは喉を鳴らした。


 紙の匂いがした。血よりずっと冷たい匂い。


 「……見てみます」


 文字は整っていた。軍務の書式に似せているが、妙に硬い。――官の文章だ。


 レナートの目が、ある一節で止まる。


 「賊徒の捕縛を優先とせず。

  回収対象を第一とし、必要とあらば全員を処分せよ。目撃者は残すな。」


 息が、喉で引っかかった。


 「……ぞもそも、捕縛じゃなかったのか」


 レナートは、自分の声が掠れているのに気づいた。


 「そう」


 リズは頷きもしない。


 肯定は、すでに彼女の目の中にあった。


 「捕縛ではなく、抹殺。……それに“回収対象”。」


 レナートは紙面を指でなぞった。

 さらに下に、短い符牒と、印についての記述がある。


 「回収対象:封印印《ブルーリー副印》の木箱」

 「鴉之参拾八、同封の荷札束に準ず」


 レナートは顔を上げた。言葉が、頭の中で繋がっていく。勝手に、形を作る。


 「……ブルーリー」


 リズが目の前に道具箱を置いた。中身は、封蝋棒数本、火皿、印章。印章の意匠は、素人目にも“領”のものに見えた。


 「どう思う?」


 リズが聞く。


 問いは短い。答えを急かさない。逃げ道も作らない。


 レナートは唾を飲んだ。何も考えたくはない意識とは裏腹に、言葉が紡ぎ出されていく。掠れて、ところどころで喉を詰まらせながらの声。


 「……符牒、つまり暗号がある時点で、これはただの荷物じゃありません。それに…」レナートは道具箱に視線を落とした。「普通追討隊はこんなもの携行しない。改め印は、領の役所か、商の検め所にあるべきです」


 言いながら、レナートは自分が“生き延びるために喋っている”と理解した。


 些細な悪事から人に魔法を放ってしまった。


 罪の意識から逃れるために身体は拒絶を示し、心も罰を望んでいるのに、意識の底が生存の道を探ってしまう。


 頭を使え。ここで黙れば、価値がなくなる。


 自己嫌悪のなか、それでも魂がそう駆動する。


 リズが、焚き火の向こうへ目を向けた。


 視線だけで促す。続きを言え、と。


 「……封蝋は“荷の出所”を作れます。箱を入れ替えなくても、荷札を差し替えれば、同じ箱が“別の道を通った”ことにできる」


 「つまり?」


 「……密輸です」


 口にした瞬間、レナートの背筋が冷えた。

 密輸という言葉は、剣よりも重い。場合によっては、戦より血が流れる。


 リズは薄く笑った。


 笑みは温度を持たない。焚き火の光が当たっても、暖まらない類のものだった。


 「この領の騎士団が、賊を捕まえに来たんじゃない。――盗品を取り返しに来た」


 「……はい」


 「妙に早いと思った。襲撃して荷を奪ってまだ三日。全員始末したのにだ。普通の荷ならあり得ない」


 リズは、密書をレナートから奪い返すようには取らず、指先でそっと紙端をつまみ、火の光へ翳した。


 紙面の余白に、正式な官印とは別の、小さな“副印”。


 「“副印”ってのは、面倒なときにだけ使う。正面から出せない仕事の印よ」


 彼女は淡々と言う。その言い方に、レナートは身震いした。理解しているのではなく、見慣れている声音だった。


 「お前、事情は知らぬが逃げているな?」


 「……はい…」

 唐突な問いだったが、正直に答えなければ不利になると直感した。


 「魔導にある程度の学。差し出せるな?」


 「……わかり、ました」


 レナートは言ってから、吐き気がぶり返した。

 人を焼いた知識だ。誇れるものではない。それでも、出すしかない。


 リズは頷かない。


 ただ、命令を言う。


 「なら見て。これから“箱”を開ける」


 やがて盗賊たちが、先の襲撃で奪ったという荷を引きずってきた。


 外側は粗い木箱。蝋封は確かに“ブルーリー”。

 当然、まだ開けられていない。


 リズが顎で示すと、男が釘抜きを差し込んだ。

 板が軋み、蓋が開く。


 中から現れたのは、さらに小さな包み。

 そして――蝋の色が違った。


 ヴェルディア封蝋。


 異国の、敵国の紋の刻印が、火の光に鈍く浮く。


 場が、静まった。

 盗賊たちの喉が鳴る音だけがする。


 レナートは、声が出ない。

 それは物証だった。逃げ場のない、火薬の匂いのする証拠。


 「……面白い」


 リズが言った。誰に向けた言葉でもない。


 「ブルーリーの封蝋で、ヴェルディアの荷を中へ運ぶ。しかも、その回収を騎士団にやらせる。――領主が噛んでる」


 レナートは、喉の奥で何かがほどけるのを感じた。

 怖い。だが、怖さが“形”になった。形になれば、対処のしようがある。


 「……この密書、宛先が“追討隊”じゃない。肩書きが……回収担当です。領主府の内務に近い」


 「ふうん」


 リズは、初めてほんの少し興味を見せた。


 「名前は?」


 「……書いてない。ただ、符牒がある。たぶん役所の者です」


 「なら、役所に裏がある」


 彼女は、箱の中の小包を一つ手に取った。


 重さを確かめるように掌で転がし、耳元で振る。――硬い音。


 「こいつが“物”ね」


 リズは小包を戻し、盗賊たちへ視線を投げた。


 「出立の準備をして。火は消す。死体は埋めない」


 手下の一人が小走りにやってきてリズに一枚の紙を渡した。


 「お頭、懐に入ってやした。地図のようです」


 リズは男が差し出した紙を受け取り、目を通しながら言葉を継いだ。


 「奴らはここを知っていたようだから、すぐにまた━━」


 リズは何かに勘付いたように言葉を切った。

 

 「待て」


 つぶさに地図と思しき紙を眺めていたリズの唇が、微かな弧を描く。


 おもむろにレナートへと顔を向けた。


 「お前」


 レナートの背筋が伸びた。自分が“次に捨てられる”可能性を、身体が理解している。


 「生きたいなら、役に立ちなさい。今日から、"盗賊"として」


 その微笑みは冷たく、有無を言わせない迫力があった。

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