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半端者の火


 息をする度に喉が鳴り、鋭い痛みが走った。


 脚は泥濘を歩くように重く、一歩踏み出す毎に全身の筋肉が悲鳴をあげる。


 薄暗い旧道を外れ、森に入ってから半刻。そろそろのはずだと、レナートは歯を食いしばって歩みを進めていた。


 魔物が出るなら、そのときは命運を神に委ねる。


 出来心から村の役場の金をちょろまかし、バレて逃げ出してから五日。魔物と遭遇する危険を冒してでも表の街道を歩くわけにはいかなかった。


 それでも、捕まるよりはまだ望みがあった。捕まれば良くて脚を落とされ、悪くすれば車裂き。一方、法で裁く人間とは違い、魔物はそんな"論理的"ではない。


 ━━兎に角今は逃げろ。


 空腹で朦朧とする意識のなか、その一心で脚を前に出す。


 月光の弱い光が木々の間から差し込み、泥濘んだ獣道をかすかに照らしている。


 不意に、道が開けた場所へと出た。


 戦争か、魔物の襲撃か、遥か昔に捨てられ忘れさられた廃村が月光の下に朧げな姿を現す。長年の枯れ葉が堆積し、村の半分は土と葉に埋もれている。


 瞬間の安堵がレナートの中に湧いた。

 しかし、彼の注意深い性格がすぐさまそれを払う。


 暫く辺りを見回しながら慎重に歩を進める。

 やがて木と蔦に覆われたお目当ての隠し倉を見つけた。

 レナートは扉の前に膝をつくと錠前を確かめた。

 それは古く、錆に覆われてはいるが、確かに錠ではある。


 「頼む…」


 レナートは掠れた声でそう呟くと、細い鉄片を取り出し、錠前の鍵穴へと近づけた。


 だが寒さで手が震え、穴へと合わない。

 白い息が水滴となって錠前に付着する。


 難儀の末に、ようやく鉄片を鍵穴へと入れ込むと、レナートはナイフの柄を梃子にして乱雑にそれを動かした。

 

 ピッキングの経験も知識もありはしない。機構を探るのではなく、錆ついて弱っているこの錠前の"弱点"を探した。開けるのではなく、壊すために。


 やがて錆が崩れるような感覚が伝わった。レナートは強引にそこを中心に力を込めると、不意に何かが崩れるような音と感覚が伝わり、錠が開いた。


 「あぁ…神よ…!」


 レナートは扉を開き、這い入るようにして内部へと侵入した。


 入ると視覚よりも先に嗅覚が刺激を受けた。

 微かな油と、湿った埃の臭い。


 嫌な予感がレナートの心を瞬間掠めた。


 確かめたかったが、視界が暗く、判然としない。

 目が慣れるのを待ったが、まともに輪郭も捉えられなかった。

 広いようだが、火を起こそうにも道具も部屋の状況も分からないため、このまま朝を待つか、どうしたものかと考えた。


 しかしもう3日も何も口にしておらず、彼の空腹と渇きは限界に近い。寒さは体力をさらに奪っていく。


 逃亡者にとって光と火は大きなリスクとなる。が、背に腹は変えられなかった。


 「今死ぬよりはいいか…」


 そう独り言を呟くと、レナートは震える呼吸を少しでも落ち着かせて、目を閉じた。

 両手を前に緩くだし、手平の間に空間を作る。


 「…Δοττ…Ξιψ…」


 震える声を抑えながら、音程と発音を整え、何とか"あちら"に伝わるよう祈りながら呪文を唱える。


 「…γνς!」


 最後の一句を唱えると、手の間に光が発生した。レナートはゆっくりとそれを頭上に掲げていき、やがて軽く投げるように手を放すと、光は音もなく上昇し、やがて宙空で停止した。


 影倉はやはり広かった。両手を広げても壁に当たらず、槍を立ててもなお、高さに余裕がある。


 そして、中央に小さなな焚火の跡が一つ。


 小さく固唾をのみ、警戒して側の棚に目を移すと、封蝋に印章、荷札が箱のなかに入れられている。


 他には穀物袋が壁際に積まれ、干し肉や干し魚、棚にはいくつもの壺や野菜に薬草の類、酒樽と思われる樽も下に置かれてあった。


 「参ったな…最近も使用してる…」


 しかし動く気力もすでに失せていた。


 三日三晩まともな食事も取らず歩き続け、体力は限界。今夜ここで休まなければ野垂れ死にだ。休むより他に選択肢はもうない。


 そう自分に言い聞かせて腰を降ろした瞬間、背後の扉から声が響いた。


 「…鼠が入ってる」


 背筋が凍った。そのまま振り返るよりも早く、扉が開いたかと思うと、またたく間に視界が揺らぎ地面へと叩きつけられた。遅れて、後ろ手を取られ取り押さえられていることを認識する。


 「ま、待ってくれ!俺は迷いこんだだけで何も取っちゃいない!」


 反射的にそう声が出た。


 「鍵を壊しておいて良く言う」


 取り押さえられている腕に力が加わり、重い痛みが走った。


 「だが、残念ながら、お前の処分の前に先約があるようだ…」


 ━━同時に、森が鳴った。

 激しい馬蹄の音に、金属が触れ合う音が混ざる。

 続けて闇夜に声がこだました。


 「賊ども聞けい!当領の法により、街道襲撃ならびに強盗の嫌疑をもって拘束する!直ちに投降せよ!」


 レナートは即座に推測する。

 騎馬に重厚そうな装備、勧告の内容、このブルーリー領の領主、ザイン家の黒羊騎士団で間違いなかった。


 ━━よりにもよって黒羊騎士団。レナートは瞬時に状況を整理した。盗賊、騎士団、どちらに捕まっても命運は尽きる。今の自分の体力で逃げ延びるには混乱に乗じたとしても難しいだろう。

 

 不意にレナートの拘束が解かれた。


 見ると動転していて気付かなかったが、女の盗賊がそこにいた。深い緑の外套に革の鎧を装備し剣を吊るしている。束の間、観察するようにレナートを見ると、やがて口を開いた。


 「お前、魔導を使えるな?」


 「投降し悔い改めるか!全員首を並べるか!今すぐ決めろ!」


 騎士団の勧告が続き、女盗賊は苦々しい視線を向けた。


 「騒々しい。貴族の豚どもが」


 女盗賊がおもむろに剣を抜いた。

 小さな悲鳴を上げ、レナートが咄嗟に手を前に出して顔を伏せる。

 盗賊は強引に髪を引き掴むと、顔を寄せた。


 「手際が良い。照明魔法だけではないだろう…?答えろ」


 「あ、あぁ。簡単なものなら…」


 「助かりたければ、奴らにそれを使え。でなければ今すぐに殺す」


 首筋にあてられた剣を見ながら、レナートは小刻みに頷いていた。


 選択の余地はなかった。どちらに捕まっても終わりなら、少しでも可能性のある方に賭けるしかない。

 

 「頭。まだ、我々の位置は把握していないようです。入り口からゆっくりと前進してきています。数は五騎。」

 

 側の大柄な男が低く言った。


 「奪った荷は?」


 「へい、廃村奥に」


 「五人は私に続け。残りは身を潜め戦闘が始まったら側面から叩け。そしてお前、私が注意を引いている間に奴らに叩き込め。それが開始の合図」


 盗賊が踵を返し表へと出ていく。大柄な男が首根っこを掴んでレナートを起こした。


 「来い」


 引きずられるように倉の側の石垣から、屋根の上に登らされていく。倉の周囲は堆積した腐葉土で盛り上がり、屋根へ這い登ることが出来た。


 男は弓を取り出し、姿勢を低くしている。

 レナートも顔をだすと、騎士団と盗賊、双方が手にする松明の明かりで向き合う両者が見て取れた。


 声の若い騎士が一歩前に出て声を張った。


 「武器を捨て大人しく投降せよ!命だけは保障する!」


 盗賊たちが笑った。


 レナートの隣の男が低く言った。


 「始めろ」


 レナートは言われるがまま、意識を落ち着かせ、息に魔力を込めながら詠唱を開始する。


 「Λακ†ττ…δοεε…」


 リズム、抑揚、発音、音程、間違えないように慎重に声を乗せていく。


 「笑わせるな!貴様らが約束を守ったことなんて一度でもあったか?」


 盗賊たちが口々に同意を表し、さらに笑う。


 詠唱を悟られぬよう、殊更声を荒げているのだろう。


 「愚かな…!」


 「そこまでです、ジェラード様。野蛮なきやつらめに言葉は届かぬようです」


 壮年の騎士がそう言いながら腕を出し制止する。


 詠唱を終えたレナートは目を開いた。手は震えたが、口先はかつての修練の賜物か淀みはなかった。おそらく成功している。


 見ると騎士たちは五騎並んでいた。

 ゆっくりと剣を抜き構え始めている。


 「サー・ライモン。あの頭目らしき女は殺すな。楽しんでからだ」


 先程とは雰囲気を違えた若いジェラードと呼ばれた騎士は、目を細めながらそう言うと、剣を抜き頭上にかざした。馬が前脚を蹴り上げる。━━同時に、レナートは最後の一句を唱えて魔力を解放した。


 瞬間、爆炎がジェラードを包んだ。

 赤々とした炎が馬や装備に燃え移り炎上する。


 ジェラードはうめき声とともに落馬し、騎士たちの目を奪った。騎士たちの間に広がった一瞬の驚愕と混乱を、盗賊は見逃さなかった。


 潜んでいた複数人が一斉に矢を放ち、馬と騎士に命中させる。先手を取られた騎士は総崩れとなり、あっという間に盗賊たちが接近し数で襲撃していく。


 激しい金属音が響き、やがて悲鳴に変わる。

 馬の嘶く声と走り去っていく足音が響き、肉と髪の焦げる臭いと血の臭いがたちまち周囲に立ち込めた。


 制圧はまたたく間に完了した。遺体が転がっているなか、動くものかあった。まだ息のあるジェラードが地に這いつくばりながら、リズへと懸命に腕を伸ばした。


 「なんて…ことを…貴様ら…地獄に、」


 女盗賊がその背に剣を突き立てた。


 静寂が戻ると、森を抜ける風の音が聞こえた。


 レナートは、込み上げる吐き気に思わず口を抑えた。空腹で吐きだせるものなどないというのに、身体は拒絶の反応を繰り返す。


 女盗賊が倉の前から視線を上げ、レナートに言った。


 「降りてきなさい。褒美に餌をくれてやる」 




 

 

 

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