一話目 一度きりの裏イベント
続きです。
草原での狩りに一段落つけ、最初の街へ戻った叶天は、掲示板の隅に浮かんでいる赤縁のウィンドウに気づく。
≪特殊クエスト発生≫
≪一度きりの挑戦≫
「へえ……」
タップすると、注意文がずらりと並んだ。
≪本クエストは再挑戦不可です≫
≪クエスト中の死亡は失敗となります≫
≪失敗時、報酬は一切得られません≫
「一発勝負、か」
珍しいな、とは思ったが、怖いとは感じなかった。
死んだら失敗。
ただ、それだけだ。
普段やっていることと、本質は変わらない。
いつも通り、動いて、避けて、斬る。
違うのは、やり直しがないこと。
「……まあ、やればわかるよね」
そう呟いて、承諾を選ぶ。
≪クエスト《試練:静寂の回廊》を開始します≫
視界が暗転し、次に映ったのは、細長い石造りの通路だった。
壁は高く、天井は低い。
音が吸い込まれるような、妙な静けさ。
「……音、反響しない?」
足音が、やけに小さい。
ナイフを構え、慎重に歩き出す。
角を曲がった瞬間、影が動いた。
『サイレント・スケルトンが出現しました』
「音感知型、かな」
叶天は一歩下がり、壁際に身を寄せる。
敵の索敵範囲を探るように、ゆっくりと移動する。
――いける。
背後を取り、一撃。
だが、骨が軋む音が響いた瞬間、通路の奥で別の影が揺れた。
「……連動?」
二体目、三体目。
敵は強くない。
だが、数と配置がいやらしい。
被弾しないように、距離を取り、回り込み、処理する。
心拍数は、いつもと変わらない。
「落ち着いて……」
通路を抜け、小さな広間に出る。
≪中間地点到達≫
「半分、くらいかな」
そのときだった。
床の紋様が淡く光る。
「……あ」
一瞬遅れて、足元から衝撃が走った。
『トラップ起動:拘束』
「しまっ――」
身体が硬直する。
壁際から、細長い影が滑り出てきた。
『静寂の番人』
「ボス、ここで……!」
硬直がとけナイフを振ろうとするが、間に合わない。
鋭い一撃。
『NqBiは死亡しました』
視界が暗転する。
すぐに、街の広場に立っていた。
≪クエスト失敗≫
≪再挑戦はできません≫
「……」
叶天は、しばらく動かなかった。
失敗。
それ自体は、珍しくない。
いつもなら、「次はこうしよう」で終わる。
だが今回は――
「……次、ないのか」
胸の奥が、じわりと熱くなる。
トラップ。
初見殺し。
注意していれば、見抜けたかもしれない。
音の少なさ、床の違和感、敵配置。
「……気づけた」
そう思った瞬間、悔しさが込み上げた。
やり直せない。
検証も、修正も、再現もできない。
「……あー……」
思わず、髪をかき乱す。
負けたことが悔しいんじゃない。
*うまくなれるはずだったのに、それを試せなかったこと*が、悔しかった。
「……しくじったなあ」
小さく笑おうとして、失敗する。
胸の奥に残る、妙な感情。
これが、取り返しのつかない失敗。
作業じゃ、どうにもならないやつ。
「……」
叶天は深く息を吐く。
「……でもさ」
誰に言うでもなく、呟いた。
「こういうの、嫌いじゃない」
悔しい。
だから、覚えている。
次は、見抜く。
次は、通す。
街の雑踏が、やけに遠く感じられた。
行き交うプレイヤーたちは相変わらず楽しそうで、レベル上げだの装備だの、そんな話題で盛り上がっている。
その中に立っている自分だけが、ほんの少し、置いていかれたような感覚だった。
「……」
叶天はメニューを開き、無意識にクエストログを確認する。
そこに、《静寂の回廊》の名前はない。
最初から存在しなかったかのように、きれいさっぱり消えていた。
「消えるんだ……」
思っていた以上に、胸に来た。
失敗した証拠も、反省点を書き留める場所もない。
あのトラップも、番人の動きも、すべては記憶の中だけだ。
叶天は目を閉じて、通路を思い出す。
床の紋様。
静かすぎる空気。
骨が擦れる、あの音。
「……あそこだ」
確信があった。
だからこそ、悔しかった。
自分は間違っていなかった。
やり方も、判断も、方向性も。
ほんの一歩、ほんの一拍。
それが足りなかっただけだ。
「……次があれば、絶対いけたのに」
ぽつりと漏れた言葉は、すぐに人混みに飲み込まれる。
その瞬間、叶天は理解した。
この世界には、
*次がない失敗*がある。
積み重ねられない経験。
修正できないミス。
作業に落とし込めない敗北。
それは、今までのゲームにはなかった感触だった。
「……でもさ」
叶天は、ゆっくりと目を開く。
「だから、いいんだよな」
胸の奥に残るこの感情を、彼は嫌いじゃなかった。
楽しい。
悔しい。
だから、覚えている。
この世界は、思っていたよりもずっと面倒で、
思っていたよりも、ずっと面白い。
叶天はナイフを握り直し、再び街の外へと歩き出した。
――次の“一度きり”に、負けないために。




