第9話 「ラブラブ旅行」
季節は初夏。
期末テストも終わり、ほんの少しだけ訪れた静かな休息の時間。
学校では先生と生徒、けれど外では“夫婦”。
そんな二人が、誰にも知られない小旅行へ――。
笑いあり、胸の高鳴りあり、少しの切なさも。
めぐみと斉藤先生の、甘くて静かな逃避行が始まる。
朝の光がカーテンの隙間からやわらかく差し込む。
「……起きて、先生」
そっと肩を揺らすと、隣のベッドで眠っていた斉藤先生がゆっくりと目を開けた。
寝ぼけた声で「ん……おはよう、めぐみ」と囁く。
その呼び方を聞くだけで、胸がくすぐったくなる。
学校では絶対に言えない――でも、今だけは。
「もう起きてください、旅行の日ですよ!」
「そんなに早く起きなくても、めぐみは元気だなぁ」
先生は苦笑しながら上体を起こし、寝ぐせのまま髪をかき上げた。
その姿が妙に自然で、優しくて、思わず見惚れてしまう。
私たちは、学校には絶対に知られてはいけない“夫婦旅行”に来ていた。
朝の海が見えるホテル、潮の香りが漂うベランダ。
めぐみの指先に、まだ昨日のぬくもりが残っていた。
「ねぇ、先生。今日どこ行くんですか?」
「ん? “先生”じゃなくて、“斉藤さん”でもいいんじゃないか?」
「だ、だめです! なんか変な感じします」
「はは、そうか。じゃあ、めぐみの好きなように呼べばいい」
海沿いのレストランで食べた朝食は、ふたりで笑いっぱなしだった。
「めぐみ、それ俺のベーコンだぞ」
「だって、美味しそうだったからつい!」
「まったく……もう一枚どうぞ」
先生が自分の皿から分けてくれる。
その仕草ひとつひとつが、優しさそのものだった。
午前中は海辺を散歩し、午後は展望台や小さな神社を巡った。
絵馬に願いを書くとき、私は迷わず書いた。
“これからも、ずっと一緒にいられますように。”
隣を見ると、先生も静かに筆を動かしていた。
“めぐみの笑顔を守れますように。”
それを見て、胸が熱くなった。
夕方。
オレンジ色の海を見ながら並んで歩く。
「めぐみ、風強いな」
先生がそっと肩に上着を掛けてくれる。
「ありがとう……先生って、ほんと優しい」
「優しくなんかないさ。めぐみが頑張ってるから、守りたくなるだけだ」
その言葉に、心の奥が震えた。
夜。
ホテルの灯りを落とし、ベッドサイドランプの淡い光の中で、私は小さくつぶやく。
「ねぇ、先生……幸せですか?」
「もちろん。めぐみが笑ってる、それだけで十分だ」
そう言って私の髪を撫でる手は、穏やかで温かかった。
波の音が遠くで響き、時がゆっくりと溶けていく。
この時間が永遠に続けばいい――そう願わずにはいられなかった。
けれど、明日にはまた“先生と生徒”の関係に戻る。
「めぐみ」なんて呼ばれない日常が待っている。
だからこそ、今だけは心の底から笑いたかった。
「先生、だいすきです」
「俺もだよ、めぐみ」
月明かりの下、ふたりの影が重なった。
誰にも知られない、秘密の旅行の夜だった。
ほんの数日だったけれど、めぐみにとっては一生忘れられない旅になった。
先生が見せた柔らかな笑顔、名前を呼ぶ声、そして寄り添った夜。
でも、その幸せの裏にある“秘密”の重さも、確かに感じている。
学校に戻れば、また日常が始まる。
それでも、めぐみの胸の奥では、先生の「めぐみ」という呼び方がずっと響いていた。




