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第8話 禁忌の救済

 一行がたどり着いたのは、ヴァルグレア領郊外の森にひっそりと佇む、小さな木造の家だった。家の周囲には枯れ葉が積もり、風が軋む音だけが寂しげに響く。

 

 室内に足を踏み入れると、凍てつくような静けさが三人を迎えた。

 簡素な部屋には古びた家具が僅かに置かれ、片隅に敷かれたベッドの上で、黒髪の少女が蒼白な顔で横たわっていた。歳は十六歳ぐらいだろう。

 彼女の呼吸は弱く、命の灯が今にも消えそうな儚さだった。

 

 ミーティアは扉の前で立ち尽くしていた。その背中に戦場で見せる雄々しき佇まいはなく、深い悲しみに沈んでいた。

 妹の姿を見つめる彼女の瞳には、恐怖と無力感、そして抑えきれぬ愛情が交錯していた。

 

「……この子が妹……エルネアだ……」

 

 ミーティアが重々しげに呟いた。

 セラは静かに頷き、胸にこみ上げる同情を抑えた。シードは無言で少女の傍に歩み寄り、ゆっくりとしゃがみ込む。指先をそっとエルネアの額に当て、その表情が僅かに動いた。

 冷たい空気が彼の周囲で揺らぎ、まるで時間が止まったかのようだった。

 

「……なるほど。これは……」

 

 シードの声に、微かな驚きが滲んだ。

 

「非常に強力な悪霊に取り憑かれています。霊体は深層まで根を張り、身体機能を抑え込んでいる」

 

「……悪霊……だと…? そんなはずは……!」

 

 ミーティアの声が震えた。セラも息を呑み、少女の蒼白な顔を見つめた。部屋の空気が一層重くなり、窓の外で揺れる枯れ枝の影が、不気味に壁を這った。

 

「並の医師や魔術師では、『病』としか見えないでしょう。霊視か魔法感知に優れた術者でも、この類の霊的侵蝕には気付けません」

 

 シードの説明に、ミーティアが呻くように言葉を絞り出した。

 

「……国の医者は……『高位血統の魔術師の心臓の血』から作れる薬じゃなきゃ助からないって、そう言いやがった……」

 

 その声には、怒りと自責が絡み合っていた。妹を救えなかった無力感が、彼女の心を締め付けていた。

 

 シードは目を細め、静かに首を振った。

 

「……その診断は、明らかに『誘導』されていますね」

 

「誘導……?」

 

 ミーティアの問いに、シードの声は冷たく響いた。

 

「この国、禁葬国家ヴァルグレアの理念をご存知でしょう。『死すら国家の財産である』――命は国に貸し、死は国が借りる。個人の死体に私権はなく、死後のすべては国のものとなる」


 シードは窓の外を一瞥した。

 枯れ木の枝先に、風に揺れる白骨化した腕がぶら下がっている。

 部屋の空気が凍りつき、窓を叩く風がまるで何かを警告するようだった。

 

「つまり、彼らにとって重要なのは『治療』ではない。どの死体が、どれだけの価値を持つか。妹さんが『高位魔術師の心臓』を必要とするような重病と診断されれば、それを理由に『素材』の収集が正当化される」

 

 セラの目が大きく見開かれた。彼女の心臓は、恐怖と嫌悪で締め付けられるようだった。

 

「まさか……そんな……」

 

「エルネアさんの霊的侵蝕は、確かに深刻ですが、命に関わる段階ではなかった。治療は可能だった。それを『救えない』と偽って、高価な魔術師の心臓を要求した――要するに、国家が『資源』を欲しがっていたということです」

 

 ミーティアの唇が震えた。怒りと悔しさが、彼女の拳を硬く強張らせる。

 

「そんなの……俺の家族を……材料扱いしてるじゃないか……」

 

 シードは短く頷いた。

 

「それが、『ヴァルグレア』の本質です。死者は死んだ後も、国の道具となる」

 

 セラは言葉を失った。人の命と死を冷徹に「資源」とみなす国家の理念が、彼女の心を凍りつかせた。組織的な冷酷さが、まるでこの部屋の空気すら冷たくしていた。

 

 ミーティアもまた、拳を握りしめたまま黙り込んだ。

 エルネアの診断に「おかしい」と感じながらも、声を上げられなかった自分を悔やんでいた。その無力感が、彼女の胸を締め付けていた。

 

「……そんなことのために……この子は……」

 

 セラの声は、絞り出すように小さく響き、静かな部屋に落ちた。彼女の瞳には、やり場のない憤りと悲しみが滲んでいた。

 

 シードは再びエルネアに視線を戻し、指先を額から心臓のあたりへと滑らせた。少女の弱々しい呼吸が、彼の動きに合わせて僅かに揺れた。

 

「霊の侵蝕は深いですが……助かります。まだ心臓は完全には汚染されていません」

 

 その確信に満ちた言葉に、ミーティアの肩がビクリと震えた。彼女はうつむき、唇を固く噛んだ。次の瞬間、顔を上げ、シードを睨みつけた。

 

「……てめぇには……分かるのか? 本当に助けられるのかよ……!」

 

 その目は、希望を求めるものではなかった。失う恐怖と、信じたいのに信じられない怒り、そして自分の無力さへの苛立ちが渦巻いていた。

 

 シードは動じず、その視線を正面から受け止めた。

 

「――あなたが『死ぬほど嫌う』死霊術を使えば、救えます。どうしますか?」

 

 その言葉に、ミーティアの瞳が揺れた。

 死霊術――死体を資源とするヴァルグレアでは、それを操る術は最も忌み嫌われ、制御不能な禁術。使う者は異端者として処刑される運命にある。

 

(俺は何にも知らずに、国に騙され続けていた……)

 

 だが、今、目の前の命を救うにはそれしか道がなかった。

 

 ミーティアの顔が悲痛に歪む。

 彼女は妹の手を、知らず知らずのうちに握りしめていた。その手が震え、爪が自分の掌に食い込む。

 痛みが走っても、決して放そうとはしなかった

 

 

 長い葛藤の末、視線がゆっくりと逸れた。

 

「……やってくれ」

 

 沈黙の中で小さく響く声に、諦めと祈りが滲み出る。

 

 セラは息を飲み、シードは静かにまぶたを伏せた。家の外では、風が梢を揺らし、淡い陽光がエルネアの頬を照らしていた。

 

「……霊び遍く宿怨の魂魄よ」 

 

 シードは頷き、目を閉じて術式を紡ぎ始めた。部屋の空気が一変し、壁が軋み、木の床ががたがたと音を上げて振動した。

 

(本来なら呼ぶべきではない存在だが……今は、手段を選んでいる場合ではない、か)

 

 彼の背後の空間にひび割れが生じ、黒い霧が漏れ出す。

 

「屍人の狂宴を以て此に跪け――」 

 

 凄まじい霊気と、圧倒的な威圧感が部屋を満たした。

 

 そこに現れたのは、異形の存在だった。

 

 無数の触手が蠢き、顔とも仮面ともつかぬ姿――決して人の形ではない「女」。

 かつてシードの祖国を滅ぼした、最悪の亡霊にして彼の母、ヒューメリアだった。

 

(お父様の……死霊術……)

 

 セラは息を呑み、声を失い、ミーティアは言葉もなく後ずさった。部屋の空気が一瞬で凍りつき、陽の光すら薄暗く感じられた。

 

 ヒューメリアは静かにエルネアを見下ろし、喉を鳴らすように囁いた。

 

「――喰ッテ、イイノネ……?」

 

 シードの声が、短く応じる。

 

「……存分に、どうぞ」

 

 次の瞬間、ヒューメリアの触手がうねり、エルネアの胸元に絡みついた。

 肉を抉るような異様な音とともに、目に見えない悪霊だけがずるりと引き剥がされ、一瞬のうちに飲み込まれる。

 

 呻き声も悲鳴もなく、ただ圧倒的な「捕食」の力がそこにあった。まるでこの世の全てを飲み込む、底なしの死の気配だった。

 

 

 しばしの静寂が訪れた。ヒューメリアは満足げに唇を吊り上げ、霧とともに消えた。

 まるで時間が止まったかのように、誰も動けなかった。

 

 やがて外の風が、枯れ葉を一枚だけ室内へ運び込む。

 その軽い音が、ようやく彼らを現実に引き戻した。

 

 陽の光が再び柔らかく差し込み、冷たい空気が僅かに和らいだ。

 

「……ん……」

 

 微かな声が響く。エルネアの唇が動き、ゆっくりと目を開けた。

 彼女の視線は虚空を彷徨い――やがてミーティアの姿を見つけた。


「……お姉ちゃん……?」

 

 囁く少女の顔色に血色が戻り、声も透き通るように響く。

 その瞬間、ミーティアが堰を切ったように叫んだ。

 

「エルっ……!!」

 

 膝をつき、少女のそばに駆け寄る。細い身体を抱きしめ、顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくった。

 

「……ごめん……ごめんな……っ……助かって……よかった……!」

 

 セラも涙を拭い、胸の奥で安堵が広がるのを感じていた。その時、頭の蝶の髪飾りが煌めき、彼女にだけ聞こえる声でゼオラシュトが囁いた。


『ううっ……なんて感動的なシーンかしらっ! アタシ泣いちゃうぅ〜!!』


 シードは背を向け、窓の外を見やる。

 陽光が銀色の瞳に映り込み、その奥でほんの一瞬だけ迷いが揺れた。

 すぐにそれは消え、いつもの冷徹な光だけが残った。

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