第6話 対峙
曇天が森の上に広がる。風の音に混じって、土を踏みしめる硬質な足音が響く。
一行が庵の外へ出ると、木々の合間から女が現れた。
濃紺のローブ、鋼のブーツ、腰には、おそらく人間の骨で装飾された短杖。
長い黒髪を揺らし、彼らを見つけるや否や即座に武器を抜いた。
――ヴァルグレアの死体資源管理担当・執処術官ミーティア・フォルツ。
「見つけたぜ、死霊術師シード……てめえの『死体』、国の医療資源として徴収させてもらう」
声は低く、濁っていた。怒りではない。殺気のように滲み出るのは、絶望と焦燥。
シードはセラを庇うように一歩前に出る。その銀の瞳は、まるで氷のように静かだった。
「……なるほど。処刑を妨害されたことで、採取予定の『素材』が手に入らなかったというわけですか」
「そうだ。俺の妹は、てめえの魔力を抽出した薬でなけりゃ助からねぇ。……心臓から流れる血だ。それ以外は意味がねぇんだよ」
「つまり、僕を『殺して』血を搾り取りたいと。国家資源として人間の心臓を抜き取る。その異常を『制度』という言葉で隠蔽できるのが、ヴァルグレアという国なのですね」
「国のためじゃねぇ。俺の――妹のためだ」
シードの眉が僅かに動いた。
「……私情であれば、なおさら応じる理由はありませんね」
その言葉に、ミーティアの黒いまなこが鋭く細められる。
「なら、力ずくでいくしかねぇな」
振り抜いた彼女の短杖から魔力が迸る。
その瞬間、セラが割って入った。
「待って! それなら……私を殺してください!」
――場が静まり返った。
シードはセラを冷たい瞳で見据え、ミーティアも眉をしかめる。
『ちょっとォ、セラちゃんたら何考えてるの!?』
蝶の髪飾りからも、ゼオラシュトの驚愕の声が漏れる。
「はァ? てめえ……何言ってやがる」
ミーティアが肩をすくめると、セラは震える手を胸元にあて、自らを示した。
「……私の魔力の濃度は、彼ほどじゃないかもしれません。でも……きっと、役に立つはずです。だから……だから、代わりに――」
「無理だ」
ミーティアは即答した。
その目に宿るのは、冷酷な判断力ではなく、現実を知る者の諦観だった。
「てめえは『ただの一般人』だ。高位血統でもねぇし、魔力の質も足りねぇ。何より……てめえを殺しても、誰も喜ばねぇ」
セラの瞳が大きく見開かれる。
ミーティアは「妹のため」と言った。彼女も、誰かを救たくて動いている。
その衝撃の中で、セラは何も言えなかった。
シードがゆっくりと前に出る。
「……彼女を巻き込むのは筋違いです、ミーティア。あなたの目的がどうあれ、こちらにはこちらの『生きる理由』があります」
「聞く耳持たねぇ。邪魔するつもりならその女も殺す。俺にとっては、てめえが生きてる限り、妹が死ぬってことなんだ」
「ならば、交渉の余地はありませんね」
シードが指先を掲げる。その周囲に、死霊たちが薄らと浮かび上がる。
彼が従える数多の「従霊」の気配。
冷たい風が森を吹き抜け、周囲は不気味な静寂に包まれた。
「……どうしても奪いたいというなら、力ずくでどうぞ。ただし……命を賭けてください」
その声音は、凍りつくような理知の刃。
ミーティアが短杖を構え、セラが叫びを飲み込む中、空気が張り詰める。
そして次の瞬間、戦いの火蓋が切られた。
ミーティアが先制する。
地に浮かぶ魔方陣が白煙を巻き、氷のつぶてが竜巻のように吹き荒れた。
彼女の短杖がなす魔法は、即座に術式を描き詠唱を短縮する、独特の魔術だった。
「相手が彼でなければ」敵は瞬時に氷像になっていただろう。
「面白い技ですが……果たしてそんな子供騙しが通用するでしょうか」
一方、シードの放つ攻撃は、魔法というより「絶対的な支配」だった。
「霊び遍く宿怨の魂魄よ。死霊の慟哭を以て此に跪け――」
セラにとって聞き慣れない、短い死霊術の詠唱。
術式が展開され、空気を引き裂くような寒気が、この場に立つ者の肌を刻みつける。
氷のつぶてがシードに迫る瞬間、彼の指が軽く振られた。従霊へ命令を下すかのような、優雅で無駄のない動き。
その刹那、死霊たちの影が一斉に蠢き、氷の嵐を飲み込むように黒い霧が広がった。ミーティアの魔法は、まるで水面に投じた小石の如く、音もなく消滅する。
「なっ――!?」
ミーティアの瞳が見開かれる。彼女の魔術は、戦場を一瞬で凍てつかせるほどの威力を持っていた。それが、シードの前ではまるで子供の悪戯のように扱われたのだ。
「無駄ですよ」
シードの声は静かだが、どこか楽しげだった。さながら獲物を弄ぶ猛獣の余裕。
彼の背後に浮かぶ死霊たちが、突如としてミーティアの周囲に実体化する。無数の骸骨戦士、幽霊のような影、そして獣の形をした怨霊――その全てが、シードの意志に従い、ミーティアを取り囲んだ。
「くっ……こいつら……」
彼女は死霊術をよく知っている。見たこともある。
人間が一度に操れる亡霊はせいぜい三体ほどだ。
だが、目の前の男の背後には、無数の気配。嘆き、叫び、嗚咽――。
熟達者であるミーティア一瞬で理解する。
「勝てる相手ではない」と。
シードは静かに歩み寄る。
右手には、次の魔術を発動させる光が練られている。
その眼差しに、一切のためらいはなかった。
「……殺さなければ、また繰り返す。そういう目をしていますね、あなたは」
「……ッ!」
シードがもう一歩近づくと、ミーティアは身構えた。しかし、その場から動くことができない。死霊たちの身も凍るおぞましい霊気に、完全に足がすくんでいた
戦闘は始まったばかりだが、結果は誰の目にも明らかだった。
運や小手先などで到底埋められない程の、圧倒的な力量の差。
だがその時――セラの手が震えた。