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第5話 抱き枕と、忍び寄る影

 朝の光が、木々の隙間からそっと庵の中に差し込んでいた。柔らかな光が、まるで優しく包み込むように部屋を満たしている。

 風が葉を揺らし、さらさらと穏やかな音を立てる。鳥のさえずりが夢と現実の境目を溶かすように響き、木の壁を伝う水の音が静かなリズムを刻んでいた。

 

 その光の中で――

 セラは小さく息をつきながら、目を覚ました。

 

 温もりが頬に触れ、身体がどこか心地よい。まだ夢の余韻が残っていて、頭の中はぼんやりと靄がかかったようだ。

 

(……あれ、私……?)

 

 眠気を振り払いながら、セラは少しだけ身体を起こした。

 すると、すぐ目の前に――短く流れる銀色の髪。微かに動く喉元。そして、整った顔の輪郭。

 

「っっっ……!?」

 

 一瞬でセラの全身に電撃が走った。

 自分の両腕が、がっちりと。まるでぬいぐるみを抱くように、シードの身体をぎゅっと抱きしめていた。片脚まで絡めて、ぴったりくっついてる状態だ。

 なのに、シードは僅かに疲労の色を浮かべつつ、ぐっすり眠っているようだ。

 

「!?!?」

 

 セラの顔が、まるで火がついたように真っ赤に燃え上がる。

 

(ど、どうしてこんなことに……!?)

 

 セラは頭をフル回転させて思い出そうとする。

 ――そう、夢の中で、父シードが「ありがとう」と抱きしめてくれた。あの優しくて、温かい感触が……。

 

(……ま、まさか、夢のまま……!?)

 

 混乱する中、頭上から男の声が降りてくる。

 

「アラアラ……なんて見事な『抱き枕っぷり』なのかしらァ、セラちゃん♡」

 

 ねっとりしたその声に、セラの心臓が跳ねる。顔を上げれば、時の神ゼオラシュトが、扇子で口元を隠しながらニンマリとした目でセラを見下ろしている。

 

「ゼオラシュト!? い、いつからそこに――」

 

「最初から、ず〜っと♡ウッフフ、朝からなかなか眼福なものを見せてもらったワ〜! まさかセラちゃん、寝ながら彼に甘えてたの? あんなにぎゅーって……よだれも少し垂れてたわよ?」

 

「ちょ、ちょっとやめてください!! そ、そういうのじゃないんですから……!!」

 

 顔を真っ赤にして飛び起き、シードから距離を取るセラ。言い訳もまともにできず、ぷるぷる震える。寝ぐせで跳ねた白い髪は、まるで羽を逆立てた小鳥のようだ。

 

「ウッフフ、あんなに密着しておいて『そういうのじゃない』は無理があるんじゃな〜い?」

 

「だ、黙っててくださいっ……!」

 

 恥ずかしさのあまり、セラは思わずゼオラシュトに枕(=木の葉でできたクッション)を投げつける。でも、煙のようにに消えた彼にはまるで当たらない。

 

 ――そんな騒ぎの最中。

 

「……ん、……ぅ……」

 

 微かな呻き声が、二人のやりとりを遮った。


 振り返ると、シードが眉を寄せて身体を動かしている。

 まぶたがゆっくり開き、薄い銀色の瞳がぼんやりと光を捉える。

 

「……ここは……?」

 

「お、お父……っ、じゃなくて、シード様っ!」

 

 うっかり「お父様」と言いかけた自分に慌てて口を押さえるセラ。

 ゼオラシュトは面白おかしげにくすくす笑う。その姿も声も、セラにしか認識できない。

 

「ふふ……朝から面白くなってきたわねェ♡」


 銀色の瞳が、ゆっくりと空を見上げる。

 シードは少し眉をしかめ、首に手を当てながら身体を起こした。首筋の奥に、微かな痛みがまだ残っている。

 縄に締め上げられたその場所は、「死」の記憶をまだ引きずっていた。


「……ここは……」

 

 つぶやきながら、彼は周りを見回す。そして、すぐそばに立つセラに目を止めた。

 銀の視線が彼女を捉える。

 

「……君が、僕を助けたのですか?」

 

 セラは一瞬固まり、慌てて背筋を伸ばして軽く頭を下げる。

 

「は、はいっ……私はセラと言います。旅をしてて……あの、たまたま処刑を見て、どうしても放っておけなくて……」

 

 しどろもどろになりながら、なんとか言葉を並べる。

 しかし、シードはセラをじっと見つめ、少し呆れたように小さく息をついた。


「なるほど。君も……僕の身体が目当て、という事ですか」

 

「……へ?」

 

 その言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。

 

「か、かかか……身体!? ち、違います! ぜんぜんそんなんじゃないです! 私とあなたは……ええっと、いえ……そんな目でなんて見てませんから!!」

 

 顔を真っ赤にして、手をぶんぶん振って否定するセラ。

 頭の上から、なおもゼオラシュトのくすくす笑いが降ってくる。

 

「ウッフフ……朝からピュアな反応♡見てるこっちが照れちゃうわァ〜」

 

「ゼ、ゼオラシュト、黙っててください……!」

 

 小声で言い返すセラ。でも、シードにはそのやりとりは聞こえていない。


「……僕を助ければ、何か得られるとでも?」


「え……?」


「この身体も、魔力も……あの国にとっては資源です。君も、それを狙ったのでは?」


 それは軽口ではなく、長く人を疑い続けてきた者の冷酷な声音だった。


「ち、違います! そんなつもりは――」


 セラは必死に否定する。

 

(この娘……本当に、何も知らないのか?)

 

 その声を遮るように、シードは視線を外してゆっくり立ち上がる。

 

「……ここは、ヴァルグレア領ではないようですね」

 

 その言葉に、セラは小さく首を傾げる。

 シードは森を見渡しながら、言葉を続けた。

 

「僕が処刑されかけていたあの都市――あそこは禁葬国家ヴァルグレアの処刑都市、トゥレイノスです。『死んだ人間を利用すること』に特化した街。ヴァルグレアは、魔術も死体を資源とするために使われる、恐ろしい国です」

 

 セラは思わず息を呑んだ。

 シードの声は静かだったが、その奥には怒りと諦めのようなものが滲んでいた。

 

「もし、あのまま処刑されていたら……僕の身体は解体され、心臓も、骨も、魔力も、『製品』として利用されていたでしょう」

 

「……ひどい……」

 

 セラは顔を青くして、拳をぎゅっと握りしめる。人間が人間にそんなことをするなど、信じられなかった。

 だが、シードはそんな反応にも、まるで予想していたように目を細めるだけだった。

 

「……君が、そうではないと言うなら――なぜ僕を助けた?」

 

 その問いに、セラは言葉に詰まった。

 

 本当のことを言うわけにはいかない。未来の娘だなどと言えば、この時代の彼に大変な影響を与えてしまう。

 

 だが、何も言わなければ、彼の信頼は得られない。

 

(……どうすれば……)

 

 迷いと焦りで口を開きかけたその時だった。シードの視線が、森の外に向けられる。

 何かを感じたのだ。風に混じる、微かな「靴音」、そして濃密な「殺気」を。

 

 感覚を研ぎ澄ますと、確かにそれはそこにあった。

 木々の間をすり抜けるように潜む気配。

 

「……追手か」

 

 シードの銀の瞳が、先ほどまでの虚ろなものから、戦う者の鋭さに変わる。

 そして、冷たく言い放つ。

 

「単独……敵は一人。追跡者か、斥候か……自殺行為ですね」

 

 空気が一気に張り詰める。庵の中の温度が、急激に低下したかのような霊気が横溢する。

 

 ――彼は追手を殺すつもりだ。

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