第55話 残り一体
あのときと同じく魔法の絵本が前触れもなく燃え始める。すぐに手放すと、地面に転がって跡形もなく燃え尽きた。
驚くグランツたちへ事情を説明する前に、再び光の中から知識の書が現れる。
だが、グランツとフロワも姿は見えなかった。
『まさか、こうも早く二体目を倒してしまうとは思わなかった……』
再び直接的な声がサフィールだけに聞こえてくる。周囲を気にしながら、サフィールはその問いかけに応えず、主導権を握っていると言わんばかりに冷めた目を向けた。
『そんなことはどうでもいい……。約束どおり、俺の問いに答えてもらう』
静かな時間が流れる中、初めての状況に戸惑いの表情が見える二人。やれやれと言う素振りをしたニルが代わりに説明していた。
約束したように一つだけ情報開示するという知識の書。グランツの話で色が見えるという魂の証や魔女を操っている黒幕はいるのかなど、聞きたいことは沢山あったが……サフィールの答えは一つだった。
「白の魔女の居場所はどこだ」
思わず口から飛び出した言葉で、サフィール以外の全員が息を呑む。本人すら口に出していたことに気づいていないほど真剣だった。
沈黙する知識の書から脳内へ映像が流れ込む。最初に話していた魔力生命樹を介して魔法界で得た知識だということは分かった。
見えたのは空に浮かぶ街――。
三大都市インフィニートから出ることのなかったサフィールも良く知る……魔法界で唯一、天空に浮かぶ街である。
そして、白の魔女誕生の地と呼ばれ、街はそのとき――五百年前に地面を割って浮かび上がった。
『三大都市の一つ、エリュシオン』
『――白の魔女が生まれた場所か……』
青の魔女で映像を見せられたからか、大して驚くことはなく冷静に分析する。
いままで倒してきた魔女や、二体の魔女も誕生の地は一切絡んできていない。
それどころか、誕生のときに刻まれた痕跡が消滅とともに消えている。
顎に手を当て考えるサフィールは、放置していた四人へ視線だけ向けた。
ニルの説明を聞いたグランツはなぜか目を輝かせている。
有益な情報に変わりはなく、最後の目的地が決まった。
サフィールが全員に目的地を伝えるため口を開きかけた直後。
知識の書に風穴が開く――。
突然のことに驚くサフィールとネフリティスは、飛んできた方向へ振り返った。どこからともなく飛んできた見えない光……。他の三人にも飛んできた光は見えていて、すぐさま警戒態勢をとる。
知識を与えて消えていくのとは違って、灰色になっていく知識の書へ向き直った。
塵になるように端から本が欠けていく。
『わしの行為は許されず、あの方に認められたわけでなく。終わりは近い。あの方を陥落出来ることを願わん――』
「待て、あの方って誰だ……お前を葬った正体の名前を教えろ」
他には何も伝えることなく消えてしまった知識の書。
ネフリティスも口を押さえて何も言えずにいた。
だが、魔力生命樹から生まれ、魔法界の知識を有した存在を邪魔だと排除する者は自ずと限られる。
嫌な予感しかしないサフィールは額に手を当てた。
何が起きたのか分からない他の三人は困惑した様子で立ち尽くす。
「……この先、俺たちが戦うべき存在は白の魔女だけじゃないかもしれない」
「あー……考えたくないねぇ」
「青玉の君……どう言うことだい?」
頭のキレるニルは大体察した様子で天を仰いだ。
妖精族であるグランツはそもそも頭に敵として浮かばない存在。
知識の書が消えてしまったことで、知りたかった情報は自分たちで探すしかなくなった。
厄災の魔女に隠れた黒幕は大体察することが出来たが、他にも肝心の『魔女症候群』や『魂の証』それから、白の魔女が誰から生まれたのか……。
他にも気になることはある。防護結界魔法を破壊してから、魔法力が増したこと。赤の魔女も、本格的な戦闘になったのは防護結界魔法を破壊してからだった。
「此処で時間を潰していても仕方ないな。目的地は、三大都市エリュシオン」
沈黙を破る言葉にグランツは笑いを堪えて口を押さえる。色々ありすぎて発言を抑えていたフロワも続けた。
「フハッ……まさか、最後の地は“天空都市”かい?」
「それでしたら、魔導飛空艇でしか迎えませんので。向かうべき場所は、港町ドリブン」
港町ドリブンは唯一、エリュシオンへ行き来できる乗り物“魔導飛空艇”がある町だ。
別名『天空都市』と呼ばれるだけあって、高度が高すぎて浮遊魔法は使えず、空気も薄いため円を描くように防護結界魔法で守られている。単身で行けるのは翼を持った妖精族『有翼人』と、本物の竜人族だけだ。
思うことは色々あるが、目的のため立ち止まっているわけにはいかないサフィールは空を見上げる。
二度しか話ができなかった知識の書。淡々とした言葉でも、心の通ったような楽しい思いが伝わってきていた。
だからこそ、秘匿情報を開示して殺された――。
住人は全員無事だったことを確認して、知識の書が消えてなくなった地面へ視線を落とし、後ろ髪を引かれながら街を後にする。
◆◆◆
サフィールたちが立ち去ったあと、氷が溶けて半壊した街の中で一人の男がじっと後ろ姿を見つめていた。
人間でも入っていそうなほど、大きな革袋を背負った優男。ゴーグルのような特徴的な眼鏡をして、くすんだ緑色をしたローブが風に揺れて、白に近い裏地が見える。
その手には大事そうに白い艶のある髪と瞳をしたローブ姿の人形が抱かれていた。
「アァー……やっぱり、彼の魂を器に入れることで、ぼくの理想とする人形が完成する……」
人形を抱いていない手のひらで、顔を覆い隠す姿は傍から見たら危険人物にしか見えない。フードを目深に被り、素顔の分からない優男は高揚した笑みを浮かべている。
人形に話しかけるように「もう少しだからね……」と話しかける姿は、不気味だった。
ゆっくりと同じ方角へ歩き出す優男は、不意に思い出した様子で立ち止まる。
「ああ……そうだった。その前に、やることがあったんだ――みんなに教えないといけないことが……」
「ちょっと、そこの君……此処は、魔導隊以外立ち入り禁――」
「――人形劇。え? 何か言った? ああ、ごめんよ……雑音がうるさかったよね」
ドサッと音がしてうつ伏せに倒れる魔導隊員の腹部から、染みのように広がる鮮血。魔導隊員の上には、親指ほど小さな人形の姿があった。手にしているのは生々しい血がついた小さな刃物……。
気分良さそうに鼻歌混じりの優男は、何食わぬ顔で手の中の白髪の髪を撫でながら平然と立ち去っていった。




