第53話 精神世界
稲妻のような光線はサフィールの右肩を貫く。
痛みで握っていた白金の魔導銃が手からすり抜け、落下音を響かせた。パキパキと甲高い音を立てて、穴が空いた部分から広がるように体が凍りついていく。すぐさま左手の相棒で自分自身へ放った。
「サフィール――‼」
「うっ……ぐ……!」
魔弾が命中した瞬間、体に稲妻が走る。
なぜかグランツとは違って貫かれた部分から徐々に凍りついていったことで解除できた。
痺れる感覚で肩が揺れると、その場で立膝をついて鮮血の流れる右肩を押さえる。
◆◆◆
――少し前にさかのぼり、複製の魔女を殺したあと溢れる思いで思考を手放したグランツは、消えていく粒子を目で追っていた。
戦闘中だということを忘れて呆けていたことで、魔女の魔法をくらって意識を失っていたグランツが目を覚ます。体を起こしてみるが、痛みはなく、視界に移る世界へ目を見開いた。
一面は白一色で他に誰もいない。複製の魔女を倒す前までは確かに下から支援魔法が飛んでいた。透明感のある、音の波が少ないフロワの声も……。
「――僕は、死んだのか……?」
呟かれた問いかけに応えてくれる者はいない。
少しだけ動いてみて分かった。景色が変わらないだけで歩いている感覚も薄れていく。
青の魔女の魔法が胴体を貫いた感覚が思い起こされ、おもむろにローブをめくった。
しかし、なんの痕跡もない。服をめくって肌を露出してみても、色白な腹部が覗くだけだった。
「……もう少し鍛えるべきだろうか? フロワ嬢は、どちらが好みだろう……なんて笑える話か」
自分の状況は分からないが、現実世界でないことだけは確実である。無駄だと分かっていながら魔法を出す感覚を体に指示した。
だが、魔法は形になることなくシーンと静まりかえっている。
もう少しだけ歩いてみようと足を動かしたときだった。
「――お兄ちゃん……」
うっすらと耳の鼓膜を震わせるか細い声で勢いよく背後へ振り返る。
先ほどまでは誰もいなかった場所に、一人の少女が立っていた。
なんの飾り気もない白いワンピースを着た栗色の髪をして、大きく見える同色の瞳が幼さを表している。
少女を目の当たりにしたグランツは、声を失ったように立ち尽くしていた。
白いワンピースだからか背景と同化して見える姿は、透けているようにも感じる。
「……グランツ、お兄ちゃん……だよね?」
「ハッ……そ、そうだよ。君は……あのときの」
なぜか名前が出てこない。
数百年前で遠い記憶になってしまったのか、憎しみを抱えて青の魔女と対峙したのに忘れるわけがなかった。
何かの魔法か、この世界の影響かは分からない。発しようとしても言葉が出てこなかったのだ。
「そうだよ……わたし、――□△。ここは、グランツお兄ちゃんの“精神世界”だよ?」
「えっ……?」
精神世界という聞き慣れない単語に再び言葉を失うグランツの頬を何かが伝う。
そっと触れてみて双眸から溢れる涙だと分かった。
自分が泣いていることにも気づかないほど、動揺していたと分かって口元を押さえる。
泣き笑いに聞こえる声が静かな空間へ響いた。
少女の姿が見えなくなったと思った瞬間、小さな手のひらが目に入る。
「あたま……いいこ、いいこしてあげる」
記憶の中で笑っていた、氷に閉ざされたときも穏やかな表情をしていた少女が目の前にいた。
泣き崩れるようにその場に膝をつくグランツを少女は「いいこ、いいこ」と優しく撫でる。
その手から温もりは感じない。だけど、グランツは縋り付くように男泣きした。
謝罪の言葉に終始首を傾げる少女は笑顔で、座り込んだままのグランツと同じ高さでしゃがんでいる。
落ち着きを取り戻したグランツの顔は、色白のため長い耳まで赤くなって見えた。
「フハッ……まさか、こんな醜態を晒すことになるなんてね」
「しゅーたい?」
少女は昔から難しい言葉を発する度に聞き返してくる。最初は面倒臭い子供だと、無視していたにも関わらず嫌な顔もせず近寄ってきた、たった一人の町人だった。
魔導歴になっても大人たちは妖精族を警戒して近寄ろうとせず、少女も注意を受けていたのに健気な姿へ絆されていった。
当時を思い出すように笑みを浮かべるグランツは、立ち上がると少女へ手を伸ばす。
だが、少女は曇った表情を浮かべて首を横に振った。
「ごめんなさい……お兄ちゃんの手は、ギュッてできない……」
「えっ……?」
俯く少女が、生者と死者は交われないと寂しそうに話す。
知らないはずの言葉を口にする少女は、どこか大人びて見えた。
そして、急に人差し指を上に向ける。
「グランツお兄ちゃんが行くところ。私は、お兄ちゃんの思い描く案内人……」
「あっ……」
少女の話し方が変わると同時に見えている姿も大人の女性へ変化した。少女が生きていたら会えていたかもしれない想像上の姿である。
癖のない髪は肩から腰まで伸びていて、大きかった瞳は優しさを帯びたまま、女性らしい肢体が眩しく映った。
「――グラ――――様」
指し示す上から、終わりが近いことの分かる、ここ数年で一番身近な声に肩を揺らす。
顔を上げると、ぼんやり人の影が映って見えた。
覚醒を感じたとき、氷の割れるような音が耳を刺す。
防護魔法が割れる音と同じように、白い世界が割れ始めた。
再び前を向くと、元に戻った少女が遠くにいる。
「――お別れか……僕は、まだ……君たちの元へは行けないんだね?」
少女を介して数年。グランツは町の人間に受け入れられ、穏やかに過ごせていた。
そんな幸せも長く続かず、青の魔女に襲撃されて数百年の時間を生きている――。
少女は何も言わない代わりに満面の笑みを浮かべていた。
グランツも、笑顔に応えるよう精一杯の笑みを浮かべる。
ふっと視界が暗闇に閉ざされたグランツの耳へ懐かしくすら感じる声が届いた。
「――グランツ様‼」
眩しすぎる光で目を細めるグランツに、フロワの顔で影ができる。涙を堪えていた顔は抑えきれず崩れていた。
「……美人が、台無しじゃないか……」
「――まったく、人騒がせなヤツだ」
隣から聞こえてくる声は、面倒くささと、安堵が混じっている。温かさを感じる胸へ視線を向けるグランツは、とっさに体を起こそうとして止められた。
暑いとばかりにパタパタ顔を手で扇ぐ仕草のニルへ、フッと口が緩む。
「……まさか、ね?」
「ああ、オレだけなら見捨ててた……感謝しろよ」
誰にとは言わず、役目を終えたニルは身体強化の魔法を掛けて走って行った。
片腕だけ伸ばすグランツは優しくフロワの涙を拭いながら、空を見据える――。
◇◇◇
――その頃。痛みで膝をついたまま動けなくなったサフィールは、容赦なく与えられる青の魔女の魔法からどうにか逃れていた。
魔法が使えたら氷で固めたり、火で焼いて一時的な止血処理も出来る。魔弾に付与されているのは、火華以外中級ばかり。いまのサフィールは、魔女の共鳴でさらに魔法力が増している。さらに悪化しかねない。
側でオロオロしているネフリティスも、浮遊移動など幽霊が使う魔法しかできなかった。
体を引きずるように移動して、家屋に隠れやり過ごしている。
「サフィール……大丈夫……じゃないよね」
「これくらい、どうってことない……それよりも、青の魔女は」
「う、うん……! サフィールのこと見失ってるみたい……」
あれからもう一度だけ、ネフリティスの力を借りて煙玉を投げた。案の定、見失ってくれたことは有り難いが、グランツたちの方に行かれるのはまずいと内心焦っている。
痛みで額から垂れる汗を拭ったとき、こちらへ駆けてくる足音に気づいて左手に持った魔導銃を向けた。
ネフリティスも庇うように前で両手を広げる。
「あー……悪い、悪い。大丈夫ーじゃあ……ねぇな」
最悪な状況下で、二人の前に現れたのはニルだった。




