第49話 雪の結晶
指定された場所は目印にしやすい時計台。子供でも迷わない場所だ。旅を始めてから滅多に雨も降らず、今日も雲はかかっているが晴天だった。
魔導院へ行くと言っていたグランツたちはまだ来ていないようで、堂々とそびえ立つ建物を見上げる。
大体の高さ、形状や色はインフィニートと変わらない。違うところはなんと言っても時計部分の装飾だ。インフィニートは針の後ろが月を模した硝子細工で、夜の神秘的な雰囲気を醸し出している。ここプローディギウムは、太陽を模した明るい色合いの硝子細工で華やかさを演出していた。
「確か、三大都市エリュシオンは星だったよな?」
「ああ、そうだねぇ……どんな意味を持たせてるのか分からないけど。興味なくて考えたこともなかったなぁ」
「えー⁉ あんなに神秘的で素敵なのに……残念な男ね。海なんて渡ったことなかったから、初めてづくしだけど……太陽は明るくて好きだなぁ」
幽霊の便利さを余すことなく利用して、一人だけ眼前で眺める姿に自然と笑みが浮かぶ。
氷漬けの町が嘘のように平和な街並みへ少しだけ心が緩んでいた。
ポカポカした陽射しの下で、流れる風も心地良く頬を撫でる。時折、噴水広場のそばに置かれた花壇から華やかな色合いの花弁が流れてきた。
風にあおられ上空へ巻き上げられる花弁を目で追いかけ、おもむろに顎を上げるサフィールは、どこか空の色が濃い青へ染まったように感じて目を凝らす。
急に心がざわつき始めた瞬間『青の魔女、来たる時。空は海のように青く染まる』ギーアの手記が頭をよぎった。
「……青って、どんな色だ?」
「えっ? サフィール、何か言った?」
いつの間にか雲一つない青天に、嫌な予感を覚え始めた頃。近くを通り過ぎた恋人同士だろう女性の不可思議な言葉が耳に入る。
「綺麗ー!」
男女が歩いて行った先に女性が喜ぶような綺麗なものはない。なぜなら、先ほど通ってきた道だったから。
思わず視線を向けたサフィールは、目を輝かす女性が手のひらで何かへ触れた瞬間、一瞬で氷の彫刻に変わる。
「――え……? ひっ! うわぁぁぁあ‼」
一緒にいた男性の悲鳴が上がった。ニルとネフリティスも異常に気づき空を見上げる。
明るくて分かりづらいが、太陽の光に反射してキラキラと空から雪の結晶が降り注いでいた。
「――雪の結晶……? 赤の魔女の赤い花弁と同じか――!」
数はまだ少なく、他に気づいている人間はいない。
女性にすがりつくように声を荒げる男性の前には、美しくも悲しい氷の彫刻が出来上がっていた。
すぐに青の魔女だと気づくサフィールは周囲へ呼びかける。
「雪の結晶に触れるな! 凍死させられるぞ」
サフィールの呼びかけで、近くにいた人間は気づいて空を見上げていた。ただ、赤の魔女と同じで雪の結晶を見た者は魅了されたように動かなくなってしまう。
「あー……逆効果だったか? サフィール、オレが避難誘導する。オマエはこの状況を打破しろ」
「……今度はお前が命令口調か。仕方ない、これは俺の仕事だからな……」
フロワがしたように、ニルも魅了の魔法を解除する効果を付与した警報魔法で避難誘導し始めた。けれど数の多さと逃げ場の無さに多数の悲鳴が上がり始める。
避難誘導から凄さ離れた場所で、合図の火華が入った魔弾を上空へ放ち、それを範囲魔法の入った白金の魔導銃で撃った。
範囲魔法の入った魔弾も多少縦に長いが、水中用と比べたら大差なく着弾すると、赤い火華に覆い被るような形で炎の雨が降る。
当然、炎の雨は雪の結晶へ触れると反発し合うように消えていった。
討伐した赤の魔女を含め、残り二体の魔女の魔法はこちらの防護魔法もすり抜けるため意味がない。逃げ惑う魔導師たちは、サフィールと同じく魔法を封じられた状態だった。
「クソッ……このままじゃ被害が増える」
「サフィール! あそこ‼」
サフィールが取りこぼした雪の結晶は街へ降り注ぎ、家屋を凍りつかせていく。
そんな中、ネフリティスが青の魔女を見つけて指さした。
街の中心。上空に浮かぶドレス姿の人形――。
うなじにかかる程度の短い、青い髪が風に揺れることなく主張している。固められたように斜めで切りそろえられた前髪と、作り物のような青い瞳。人形のような肌の白さ、髪型と色が違う以外――他の魔女と瓜二つの顔。
ただ、服装も他の魔女同様違っている。
体の線が分かるほど張り付いた藍色のドレスを纏い、足元には切れ目が入っていて白い生足が覗いていた。首元では、その姿にそぐわない魔法書を模した首飾りが光っている。
青の魔女にとっての大切なもの――。
「あれが、青の魔女か……」
「……本当に、顔の作りは同じなのね……」
怯えを含んだ声のネフリティスに、サフィールは相棒の魔導銃を青の魔女へ向ける。赤の魔女と同じなら、攻撃されて動きを止める可能性が高い。牽制のため一発を放とうとしたときだった。
「青玉の君――!」
良く知る透明な声が背後から聞こえてくる。振り返るとグランツに、フロワの姿があった。まったく似合わない避難誘導をしていたニルも二人に気づいたようで戻って来る。
「おい、避難誘導はオマエたちの仕事だろ?」
「――代わりの避難誘導感謝します。グランツ様、私はニル様のあとを引き継いで避難誘導します」
「あ、ああ……任せるよ。それより、どういう風の吹き回しだい?」
「いま、そんなことはどうでもいい……青の魔女を撃ち落とすぞ」
サフィールの呼びかけで、動揺して唾を飲み込むグランツも上空へ視線を向けた。
風で揺れることのない青い短髪に、人間でも妖精族とも違う作り物の青い瞳――。
急に青白くなる顔で頭を抱えるグランツに、ネフリティスは慌てたように周りを飛び回る。
だが、グランツの異変に構っている暇もなく、牽制をしなかったことで再び降り注ぐ雪の結晶に向けて、今度は白金の魔導銃で連続六発を上空へ撃ち込む。
「――青の魔女……憎き、厄災……僕は、無能だ――」
小声で呟く声は近くにいるネフリティスでも聞こえないほど繰り返される。頭から顔へ移動した手で覆い隠され、グランツの表情は分からない。
ただ、勢いのまま攻撃をしかけたい気持ちと、サフィールの話を聞いてそれが無意味なことに葛藤して見えた。
他人が色でしか見えなくなったグランツの苦痛は、サフィールに分かるはずもない。利害の一致で、青の魔女を討伐するだけ。
魔弾の魔法は物体に当ててこそ解放されるため、空中では障害物もない。それを分かった上で、サフィールはニルとグランツの名前を叫ぶ。
頭を抱えていたグランツも青白い顔を上げ、ニルと同時に小さな魔弾目掛けて魔法を放った。二人の魔法が魔弾に命中した瞬間、街全域に炎の雨が降り注ぐ。
あの町のように凍った家屋や人を溶かし、炎は街中に広がっていった。ただ、炎が家を焼くことはなく、次第に赤い色は白へと変化していく。
「フハッ……まさか、光の炎かい?」
「いや……俺は魔法を封印されている……はずだ」
明らかに光の魔法ではあるが、光属性は選ばれた者だけが扱えるため、魔弾の魔法として付与できない。魔弾に魔法を付与したニルは大罪人でもあるため、そもそも光の魔法は使えないはず……。
範囲魔法で氷から解き放たれた女性を横たわらせて、泣き叫ぶ男性を目にしたサフィールは、本当に一瞬で凍死してしまって救えないのかという疑問が浮かんだ。
男性は涙を拭うと彼女に触れ、冷たくなった体を擦りながら心肺蘇生を始める。水中や雪での凍死以上に冷たいだろう彼女へ、震えながら懸命な姿を凝視していたとき、ピクリと体が反応した。
「――呼吸が戻った‼」
叫ぶ男性に、その場にいた誰もが驚いた顔をする。青の魔女の氷に閉ざされた者は、即死だと文献に記されていたから……。深呼吸するグランツはフロワの声に被せるよう、警報魔法を使う。被害者も外に運び出して、安全が確保されたら心肺蘇生してほしいと頼んだのだ。
街には人の姿が消え、光の炎に包まれた一帯で青の魔女もようやくサフィールを捕捉する。
「……まさか、赤の魔女を模範したんじゃないだろうな?」
「……嫌な進化だねぇ」
いままで単体魔法を使っていた青の魔女の進化――。
文献では、赤の魔女と違って厄介なのは触れた瞬間、一瞬ですべてを凍りつかすこと。
広範囲といい、明らかに威力が増している。
青の魔女の手がサフィールへ向けられた瞬間。手にしていた白金の魔導銃にも異変が起きた。




