第5話 ネフリティスの事象
「――当然だが、この中にネフリティスという名前はない。お前の正体を突き止める必要はありそうだ」
「えっ……それって、わたしのこと……調べてくれるの?」
「俺のためだ。だから、お前に協力してもらう」
パタンと資料を閉めると、喜んでサフィールの周りを回るネフリティスに無言で短い息を吐いた。
少しして、冷静になったネフリティスは疑問を口にする。
「ねぇ、白の魔女の名前はなかったように思えたんだけど……」
「――ああ、白の魔女は他の魔女とは違う。アイツは急に現れたらしいからな……」
「なんだか、わたしみたい……。そうそう! わたし、あの偉大な女魔導師ペルル・エルピスの再来って言われてたんだから!」
明らかに信用していない眼差しを向けるサフィールに、頬をふくらませて抗議するネフリティスを無視して立ち上がった。
グラスの水を飲み干すサフィールは不意に入ってきた出入り口の床へ耳を当てる。
不思議に思ったネフリティスも真似するが、幽霊だということを忘れていたため、そのまま頭だけ床を抜けて地下室まで到達してしまった。
「……誰か、見えるか?」
「えっ? あっ! 誰か、暗くて分からないけど……歩いてくる!」
「――嗅ぎつけられたか……」
「えっ……でも、二重の魔力認証もあったし、貴方が狙われる理由は?」
「――白の魔女に負けて姿をくらましたこと……。無期限の長期休業と申請したが……」
足音が近づいてきたことを告げるネフリティスに、サフィールは本棚の中心に触れる。
すると、二重の魔力認証と同じ青い魔法文字が浮かび上がった。
今度は焦げ茶色の双眸が一瞬だけ青く輝くと、本棚が真っ二つに割れて、暗い穴の道が現れる。
「まさかの第三段⁉ って、それより階段登り始めたわ!」
「分かってる。この街とも一旦お別れだな……。行くぞ、ネフリティス」
「う、うん! って、いま名前で呼んでくれた!?」
名前で呼ばれたことを喜ぶネフリティスを先に行かせ、サフィールが中に入ると自動で本棚が閉じた。
その裏側にある装置を起動する。
直後に大きな地響きが聞こえ、足元が揺れた。
「えっ⁉ 何が起きてるの⁉ わたしにはまったく関係ないけど」
「幽霊は便利でいいな……。家に仕掛けていた魔法を起動させた。証拠隠滅ってやつだ」
「なんか、本当に悪人って感じがするんだけど……。犯人は分からなくて良かったの?」
「どうせ同業者だ……。興味ないことに時間はかけられないからな」
暗い穴を抜けた先は、魔導院からもだいぶ離れた路地裏にある倉庫。
埃が充満し、空気はお世辞でも良いとは言えない場所。
明らかに嫌そうな顔をするネフリティスと違って胸元からハンカチーフを取り出して鼻と口に当てるサフィールは、そのまま倉庫の出口から外へ出た。
いつの間にか日も沈んできていて、黄昏時になったことで早朝より人が増えてきた大通りへ戻る。
「――あまり、話をしていると俺が怪しまれる。だから、お前は俺のあとについて来い」
「むう……命令形」
サフィールからの返答はなく渋々後ろから飛んでついていくネフリティスは、それでも笑顔だった。
大通りには魔導具店以外で、宿屋、大衆酒場、服屋、装飾品店、宝石商がある。
サフィールが通っていた酒場は路地裏にあって、ひっそりしているのが人気だ。
連なった店を横切るサフィールは、窓ガラスに映らないネフリティスへ視線を流す。
「――本当に幽霊なんだな」
「そ、そうよ! 悪い⁉」
「いや、幽霊を視たのも学生時代が最後だったからな」
魔法学校によっては魔法暦の時代に亡くなった幽霊がいた。
その時代では幽霊を視ても会話をするなと言われていたらしい。いまでは普通に接している。
ネフリティスの記憶は曖昧で、自分が天才だと豪語する割に自宅は覚えていないという。
そのため、五年前に亡くなった十六歳の少女ネフリティスという名前だけで探すことになった。
あからさまに面倒くさそうな表情を見せたサフィールにショックを受けながらも、手掛かりを探して一軒の家にたどり着く。
「ハァ……魔導院の情報を使えたら楽だったが、怪しまれても今後に支障をきたすからな」
「そうよね……使えそうで、使えない職業だわ」
「……死刑執行者で活動していたときは、魔法に頼っていたから潜入して情報を集めたりしていたからな――」
「そ、そうだった……。魔法使えないって、思ったより不便かも――てっ……ここが、わたしの家……?」
夜が近づいて他の家は明かりで包まれている中、目の前に聳え立つ二階建ての家は、お通夜のように暗く淀んでいた。
二人で漠然と眺めていたとき、急に後ろから声をかけられ振り返る。
目を見開く女性はネフリティスに似ていた。隣の男性は明らかにサフィールを警戒して手を前に出している。
体より前に手を出す行為は魔導師の攻撃姿勢の一つだ。
「えっ……もしかして、お母さんと、お父さん――?」
「あの……どちら様でしょうか? 若い男性の方に、娘の知り合いはいなかったかと……」
「――信じてもらえないかと思いますが、怪しい者じゃありません。魔導隊の者です」
話しかけられ、まさか視えているのではと思ったネフリティスは顔を歪ませ落胆している。
サフィールはこういうときのために所持している、魔導院に属する魔導隊である証を見せた。
これは死刑執行者など関係なく、一般の魔導師にも知られている血の色のように赤く、人ではない不思議な目を模した徽章。
両親の強張っていた顔はすぐにホッとした表情へ変わった。
「それで、話を聞かせてほしい。アンタたちの娘、ネフリティス・プランドールについて」
「……わたしの、一族の名前……」
「分かりました……家の中へどうぞ、お上がりください」
二人に案内されるまま開かれた扉から中へ入ると、暗かった室内に明かりが灯される。
ただ、それでも他の家と比べたら暗い……。明かりというよりも、空気が重かった。
長いテーブルとソファーのある部屋に案内され、視線だけ周りに配るサフィールは生活感のなさに違和感を覚える。
上質な銀のカップに注がれるお茶。この時期に採れる花の匂いが感じられる。
魔導師は毒なども分かる魔法を使えた。だが、基本的に各家一つは高価な銀の器を所持していて、客に出すのが風習になっている。
「それで、私たちにどんなことを聞きたいのでしょうか……」
「単刀直入に言う。娘の死について。不思議なことはなかったか? 魔力熱に侵されて亡くなったと聞いた」
「あっ……もしかして、魔女症候群の……いまになって調査を?」
「ああ。一般魔導師には秘匿の話だ」
少しだけ暗い表情が垣間見える両親は沈黙したあと、俯いたままネフリティスの死について語りだした。
「――えっ……わたし、自決したの……?」
「なるほど……」
ネフリティスは通常なら問題のない魔力熱に侵されたあと、魔導院が派遣した魔導隊の治療部によって、治療を施されていた最中、涙を流して突然自決したという。
「――良くあるおとぎ話の魔女のように、炎へ包まれ……泣きながら亡くなりました――」
「その際に、何か言葉を発したりは?」
涙ぐむ両親など見えていないように質問をするサフィールは心がない冷酷な人間にしか見えなかった。
だが、国民が決めた魔導院に属する魔導隊へ物申す者はいない。
自決に対して横で頭を抱えるネフリティスの配慮すらしないのがサフィールという男だ。
「あっ……一つだけ。『ああ……これが、魔女になる儀式――』と、聞こえた気がします……」
「それは本当か?」
「は、はい……多分、治療部の魔導師様も聞かれたかと……」
「――五年前、そんな話。耳にしたことがない……」
治療部と言ったら回復魔法の使い手が集まった一番人間性としても出来た場所である。
魔女症候群を発症することなく自決したのを称賛して隠したということもあり得るが、サフィールの表情は硬い。
「……魔女を排出した家は、一族共に、断絶と聞きました……」
「ああ、そうらしいな。アンタたちの娘は天才だったらしいが、その勇気を誇るといい」
「えっ……それって、わたしのこと褒めてくれてるの?」
大体ネフリティスについて把握出来ると、お茶に口をつけることなくサフィールは立ち去った。
ただ、自決に関しては勿論、最後の言葉すら本人は思い出せず頭を抱えている。
「お前が魔女症候群を発症して、魔女になりかけたのは確からしい」
「うん……わたし、一人っ子だから、両親に迷惑をかけたくなかったんだろうな……」
「――魔女になった女たちが最初に殺すのは目の前にいる相手、つまり身内だろうからな」
少女が魔力熱に侵された状態で外にはいない。
冷酷なことばかり言うサフィールにネフリティスは頬を膨らませる。
「魔女の知識はあるから‼ それ以上酷いこと言わないで!」
「お前と敵対しても俺に利益はない。それに、俺の仮説が正しい可能性は濃厚だな」
「……それって、貴方が魔女だから……わたしが視えるってこと?」
「そういうことだ。俺が魔女というのが気に食わないが……。俺の魔法を取り戻すには、今後も魔女に関わる必要がありそうだ」
話を聞いて最初はモジモジしていたネフリティスも、両手を握りしめて体をピンと前へ伸ばした。
「……お願いします‼ わたしも、連れて行ってください! 記憶を取り戻して、両親のためにも成仏したいの……」
「――俺に利益がなさそうだが、幽霊だから足手まといにはならないな」
「そうよ! 幽霊だから、貴方が行けない場所にも入れるし、情報を持ってこられると思うの! なんて言っても元は天才美少女魔導師だし!」
「――俺の目的が明確になったら考えてやる。ただ、この街からは出る必要があるか……」
相変わらず不要な部分としてネフリティスの主張は無視され、二人は夜の街へ消えていく。