第43話 擬似人魚《セイレーン》の脅威
三人が声を発する間もなく、空中で背後から肩を掴まれるような感覚に襲われたサフィールは、頭から落下していく。
「サフィール……‼」
「あー……魔法が間に合わなかったか」
「――嘘だろう……? あの空中を支配していた青玉の君が、海へ落下するなんて……」
「なんで……この男たち! もっと心配しなさいよ! サフィール‼」
魔導船は音遮断によって海へ落ちたサフィールの衝撃音は聞こえない。
物理的な衝撃でも魔女の防護結界魔法によって守られて痛みはなかった。洪水で荒れた海中は夜のように暗く、複数の小さな渦が視界を奪う。
当然、魔女の防護結界魔法でも海水に対しては無力だった。
魔導師で、脅威しかない海へ入る者はいない。すぐに息が苦しくなった。
「ぐっ……」
沈む体でどうにか耳の装身具へ触れる。
『使い方は、水中で触れること! そうしたら、使用者の魔力を認証して変身するから』譲り受けたあと、教えてもらった使い方。使用は一回のみ。時間になったら変身が解けて、砕けるとのことだ。
海へ落ちたことに気づいた擬似人魚の群れが、サフィールを捕捉する。数は五匹。
その中で、一匹の長くて太い尻尾がサフィールをからめとろうとする。
だが、次の瞬間。耳の装身具が赤く光りを放ち、擬似人魚の視界を奪う。
「キェェェェ……‼」
金切り声のように騒ぐ擬似人魚を、今度はサフィールが捕捉した。
水の濁りすら気にならない視界。楽な呼吸に、バタバタと動かしている感覚がない足を見る。水中に漂う水色の尾びれがあった。
思い出したように腰へ手を添えるとベルトが触れ、魔導銃もなくなっていない。
下半身だけが人魚の尾びれに変化して、上半身はローブのままだった。ただ、服の中まで確認は出来ない。
「――これは、凄いな……。あっ、水中でも話せるのか」
思わず呟いた言葉が鮮明に聞こえる。目眩ましをされて怒り狂う擬似人魚は気にせず襲いかかってきた。
長くて太い尻尾を振り回す姿から、水中での狩りは下半身だと分かる。
魔導銃を手にするが、水中で魔弾を撃ったことはない。
見様見真似で尾びれを動かして、尻尾の攻撃を避けると魔導銃を構えて魔弾を放つ。ボコボコと空気が溢れる中、放たれた魔弾が擬似人魚の尻尾へ触れた。
水の抵抗で時間がゆっくり進んだかのような動きだったが、距離が近いことで着弾した魔弾は数匹を巻き込んで水中爆発する。
そのとき、頭へ直接声が聞こえてきた。
『――サフィール、生きてるー?』
なんともふざけた問いかけに、返答ではなく眉間に皺が寄る。サフィールの感情を察したように紡がれる言葉は、相変わらずだった。
『ゴメンゴメン……怒らないでよ? これでも心配はしてたんだからさぁ』
(……怒ってない。呆れていたんだ)
『あー、なるほどねぇ。心配はしてたんだけど、例の装身具もあるからさぁ……それで調子はどう?』
(尾びれの感覚を掴むのに一時間は短すぎるが、悪くない。ただ……魔導銃の威力は半減以上だ)
念話も通常なら互いに使えないと会話は一方通行なのだが、ニルは場所を特定して脳波を拾っていた。これも魔法の一種だが、高度な技術と繊細さを求められる。千年以上生きているニルならではだ。
水中でも中級魔法の威力はあったようで、丸焦げになった三匹が力なく漂っていた。
だが、残りの二匹に加えて、爆発音で魔導船の反対側にいた五匹が勢いよく泳いでくる姿に眉を寄せる。
『全員そっちに行っちゃったみたいだけど、いまの魔導銃じゃ不利だよねぇ』
(……アンタの緊張の無さは昔からか。俺ばかりにやらせないで、どうにかしろ)
『うわー。命令形……まぁ、相手によるけどぉ……オマエになら、従ってもいいかな――魔導船の下に隠れて』
一方的に途切れた念話のあと、暗かった水中が急に明るくなった。言われたとおり、魔導船の下へ潜った直後。小さな渦が逆流するように大きく回転し、海水ごと巻き上げられる。
擬似人魚たちも抵抗虚しく竜巻に飲み込まれていき、サフィールは反対側の安全な方から海上へ顔を出した。
すると、太陽のように燃える球体が竜巻を飲み込んでいる姿を目撃する。
見覚えのある炎の球体はグランツだ。竜巻を起こしているのが高笑いしているニルだった。
後ろ姿しか分からないネフリティスは、ジリジリと距離を置いていくところから明らかに引いている。
ただ、竜巻に飲まれた擬似人魚たちは、熱せられた炎で焼かれて姿すら残らず、魔石だけが船内へ転がっていた。
「……あれは、どうなんだ」
敵意を見せる魔物は人間や妖精族にとっても排除対象である。形が残らないのは少し異常だった。
「ちょ、ちょっと……やりすぎなんだけどぉぉ⁉」
辛うじて叫ぶネフリティスの声だけが耳へ届く。
その直後、耳の装身具がパラパラと砂のように分解されていった。制限時間の終わりを意味している。擬似人魚の攻撃が止んだことで、海面も穏やかな波を立てていた。
普段叫ぶことをしないサフィールにとって、船内の二人へ知らせるのは至難の業である。
一か八か、水中へ潜ると勢いよく尾びれを動かして海面から魔導船へ飛び上がった。
大型魔導船は思った以上に高く、手を伸ばしても囲いすら掴める距離まで飛び上がれない。
装身具の割れる小さな音が耳に届くと、当然足は人間へ戻っていた。再び、海面へ落ちるサフィールは三人の名前を叫ぶ。
その声は激しい音を立てている他の二人まで届くことなく、ネフリティスだけが背後へ振り返った。
「えっ……? サフィール⁉ ――浮遊移動!」
落下していた体の動きが止まり、釣り上げられるように魔導船へ引っ張られる。
荒っぽく船内へ引き揚げられると、ようやく二人も気づいた様子で警戒を剥き出しにした視線が刺さった。
「えっ……青玉の君じゃないか! 心配していたんだよ? 念話も通じないし……」
「あ、ああ……悪かった。慣れない装身具を使っていたのと」
「オレが先に念話で話していたからねぇ? 妖精族だろうと、横やりは出来ないよ」
先に倒した擬似人魚も焼かれたようで、船内には十個の中くらいな魔石が転がっている。
擬似人魚は魔物の中でも頭が良く、集団で狩りをするため討伐は難しい。泊のついた中級魔石は高価だ。
船長や船員も目を覚ましたようで、すべての擬似人魚が消えて上空の暗雲も晴れる。
「――あ、私……」
「フロワ嬢……! 良かった、本当に……どこか痛いところはないかい?」
「一件落着かなぁ? オマエに命令されたことで、久しぶりに興奮した」
不穏なことを口にするニルから視線を外すと、サフィールの無事を一番喜んでいるネフリティスに向き直った。
「――ネフリティス、またお前に助けられたな。有り難う」
「えっ⁉ ううん……なんて言っても相棒だもん! これくらい朝飯前よ」
胸を張るネフリティスへ笑いそうになって咳払いする。
グランツたちも気づいておらず、船長の呼び声ですぐ復旧作業を済ませた魔導船は再び動き出した。




