第38話 黒猫と半身霊
表に面した壁はすべてガラス張りにも関わらず暗い。外の光を遮っているのか、中も明かりがついていないようで何も見えなかった。壁の一部は所々に亀裂が入っていて、鮮やかな色をした屋根も欠けた部分がある。
身長によっては頭を下げないとぶつけそうな扉の下が四角く外れそうな跡があった。
そこは猫用の出入り口だったようで、頭を触れさせた黒猫は無言で中へ入っていってしまう。
黒猫がいなくなったことでサフィールは肩を揺らした。横にいるニルは何かを唱えようとしていたようで、小さく息を吐く。
「――俺、いま何をしていたんだ……?」
「ハァァ……しっかりしてよねぇ? ――それにしても、あの鈴……かなりの精神魔法を練り込んでいたな。場合によっては破壊するか……」
「良かったぁぁあ‼ もぉぉ! 心配させないでよねぇ……さっきの黒猫ちゃんが特殊な匂いでも放っていたのかしら」
正気に戻ったサフィールは状況を把握出来ず困惑していたが、ニルの説明で目を見開いた。
黒猫がつけていた『銀の鈴』は精神魔法が付与された魔導具で、男の魔女であるサフィールに影響を及ぼすほど複雑に練られていたという。
「条件は分からないけど、オレとしては魔女関連かなって……。因みに、キミの防護結界魔法が精神魔法に効くって分かっちゃったねぇ」
「……魔女関連……。それは弱点になるのか? 精神魔法は免疫をつけてきたつもりだったんだけどな……」
「……それより早く戻りましょうよ……。不気味だし⁉ あの幽霊屋敷を思い出すからー!」
精神魔法の魔導具をつけた使い魔の黒猫が連れてきた怪しい家を前に、立ち話はないなと戻ろうとした途端、一瞬だけ中が明るくなった。
それと同じくして、キーッと音を立て勝手に中から扉が開く。思わず臨戦態勢となる二人に対して、誰か出てくるわけでもなく、シーンとしていた。
腰に手を添えたままサフィールが前へ出て中の様子が見えそうな扉を思い切り開ける。
光が差し込んでいない割に、目を凝らしたら分かる薄暗い室内。
ホコリ臭さはないが、古びた室内はどこか見覚えのある高い棚が二つ置かれている。加えて、扉横にある小さめな棚やテーブルに置かれていたのは、まさかの魔導具だった。しかも、すべて装身具……。
「えっ……。まさか、ここって――魔導具店なのか?」
「……ふーん。そうみたいだねぇ……面白い魔力を感じるし」
「……どうして薄暗いのよぉぉぉお‼ 明かりつけてー!」
ネフリティスだけが騒ぐ中、奥の方からゆっくりとした靴音が響く。魔導具に驚くサフィールと、ニルのもとへ現れたのは黒髪を三つ編みにしたおさげで、丸眼鏡の地味な少女と、腕に抱かれた先ほどの黒猫。
ただ、一つだけ……三人して驚くことがある。
チカチカと音をさせて点いたり消えたりを繰り返す紫色をした明かりの中、少女の体が半分だけ半透明をしていた。
この現象は、半分幽霊で、半分肉体ということ。
『半身霊』
しかもニルだけ、驚きのあと笑いをこぼす。
「ククッ……。こんな現象は千年以上生きてきた中で初めてだよ……」
「えっ? 半分肉体で、半分霊体だからか……?」
「へぇ……キミたちには、そう見えているんだねぇ。つまり、魔女関連だ」
幽霊部分はニルから見えておらず、体を縦から真っ二つにしたような姿の少女だった。
目を見張るサフィールたちに少女は複雑そうな笑みを向ける。
「ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったの……。あたしは、ミセリア。ここは、あたしの小さな箱庭。ようこそ、良い方の魔女さん?」
ミセリアと名乗る少女は、奥から椅子を三つ運んできて座るよう促した。
サフィール以外でネフリティスを視える存在かもしれないと、喜んだのも束の間に首を横へ振られる。
チカチカしたまま心許ない明かりの下で、ミセリアが話す内容は想像を超えるものだった。
港町ルイーバも十年以上前、赤の魔女に襲われた経験があったという。それについてはニルも知っていた。
そのときに、被害から逃げ延びたミセリアは赤の魔女と遭遇する。恐怖で足がすくんだミセリアは、逃げられないまま赤の魔女の冷たい手で顔を触れられた。顔に触れた瞬間、体が凍りついたという。
炎を操る魔女なのに、その状況はまったくサフィールと似たものだった。
ただ、姿は赤の魔女そのものだったという。
「――あたしは死を覚悟したの……そしたら、頭の中で声が聞こえてきて……。“偽りの魔女になれ”って……」
「なっ……偽りの魔女、だと……?」
「へぇ……思っていたよりも、面白い話じゃないか」
体は拒否反応を起こして意識が飛びかけたときに、使い魔だった黒猫が魔女に飛びかかった。気づいたときには窓ガラスに映る自分の体が、半分消えていたという。つまり、魂が半分消失して、半分留まってしまった。
しかも、魂が壊れているからか、肉体の年齢も止まってしまったという。
「……実年齢は、三十を超えてるの……」
話を聞いただけでは到底信じられないが、状況がすべてを物語っていた。
サフィールたちは確信する。行方不明の少女は全員、魔女に殺されていたと。ただ、偽りの魔女になれという言葉が理解できない。
「……それで、町に出ると化け物って怖がらレちゃうから、元々家だったここを改装して……趣味だった装身具作りを嗜んでいたの」
「とても有益な情報だ。だけど、俺に精神魔法を施して連れてきた理由は分かるが……どうやって見抜いた」
「そ、それは……半分が魔女のせいで幽霊になったからか、分かるようになったの……。魔力へ染みついた、魔女の匂いが」
魔女の力を得て、以前よりも魔力量や質が高まったことは感じていたサフィールだった。匂いに関して考えるはずもなく、横のネフリティスへ視線を向けるが首を振っている。
匂いが分かったのは、近くで赤の魔女に町を壊されたときだったらしい。それ以来、風に流れてくる僅かな魔力すら感じ取れるようになったという。
「一種の特殊な能力みたいだねぇ。実験したいなぁ……」
「えっ⁉ こ、この人……危ない人なの⁉」
「……ニル。俺の前で無意味に罪を増やすなら、いますぐに始末するぞ」
「……冗談だよ。まぁ、赤の魔女を殺したいまのキミなら……オレをどうにか出来るかもねぇ」
赤の魔女を殺したと聞いた瞬間、ミセリアは大げさに立ち上がった。
赤の魔女が倒されたら元に戻るかもしれないと淡い期待を抱いていたらしく、椅子の上で膝を組んで頭を下げてしまう。
「……あたし、死ぬまで一生このままなんだ……」
「俺には何も出来ないが……」
「うーん、オレにも半身霊は知らないからねぇ。気分転換で、装身具を見せてもらったらどう? そこのテーブルにあるのなんて、キミが欲しがっていた海のモノじゃない?」
少しだけ気になっていたすぐ隣の装身具は、ニルが見せてくれた海の装身具そのものだった。
しかも、二倍価格で売られていた魔導具店よりも質が良さそうに見える。
「気分転換って……それは、ミセリアだろう。だけど、そうだな……これ、全部海に関した装身具か?」
「えっ……あ、うん! あたしが丹精込めた装身具……。えへへ……趣味が高じて、海限定で突き詰めたんだぁ。あっ、はしゃいでごめんなさい……」
「別に構わない。好きなことを話すと、大体そんなものだろう」
「そうだねぇ……。まぁ、オレはそんなことにならないけど? キミは、そもそも趣味がないね」
サフィールとニルのやり取りを見ていたミセリアが急に笑いだした瞬間。チカチカしていた紫色の魔導灯が、落ち着きを取り戻したように淡い明かりを灯した。




