悪を断罪せよ
「ねえシスター」
「何でしょう」
「シスターは、神に導かれてシスターになったって前に行ったよね?」
教会の椅子に座り手を頭の後ろにして脚を組みながら、僕は十字架に祈りを捧げるシスターに向かってそう訊いた。
「そうですよ。私は神のお告げを聞いてこの教会へと入信いたしました。今も、そしてこの先も、この身も心も神のために捧げております」
膝をつき頭を下げ手を組みながら、彼女はそう言った。
「ふーん……」
僕はその十字架を睨みつけた。
何とも不快で不愉快な神だと。
「あなたは何故入信なさったのですか?」
姿勢を崩さず神に祈りをささげたまま、彼女は訊いてくる。
「神の導きのままに、って奴だよ」
僕はぶっきらぼうにそう答えた。
「なるほど。あなたも神に愛されし人間だったのですね」
「そんな大層な人間じゃないし、僕を見る神様はそう立派な神でもないよ」
「神の御前でそのような言葉を口にするものではありません」
「へいへい」
「下品な返事ですね。素直に『ごめんなさい』と言えば済む話です」
「僕に懺悔しろって? 何馬鹿なことを言ってんの。この程度の言葉で怒りを露にするほど僕の神は小さくない」
「いずれその言葉の代償を支払うことになるのです」
「だったら今すぐ僕を殺せばいい。雷でも何でもなんならシスター、あなたが僕を殺せばいい」
「わたくしは罪を犯しません。神にそう誓っているのです」
「真面目だねえ」
立ち上がり、教会内を歩く。
今日は日曜日。
皆が仕事を休み、休日を過ごす大切な日だ。
けれど僕は、賃貸でこれと言って何かをすることがない。
仕事が趣味みたいなもの。だからここへ来た。
ここなら話し相手に事欠かない。シスターは真面目だから、日曜日であっても決して祈りを怠らない。
「お仕事は順調ですか?」
「そうだね。失敗してもお咎めなしって感じで苦労がないよ」
「苦労がないのではありません。神があなたに代わって不浄を肩代わりしてくれているのです。未来の試練のために力を温存せよと、そうおっしゃっているのですよ」
「にしては、子供のころからずっとそうだよ? まるで操り人形みたいにさ。悪さだってできない」
「神があなたを見張り、そして護っているのでしょう。あなたもこちらに来て祈りを捧げなさい」
「やだね。僕の人生を一から百まで決めてその通りに僕を動かしている、そんな人生を強要されているのになんで祈りを捧げないといけないんだよ」
椅子へ土足のまま上り、椅子から椅子へと移動して適当に遊ぶ。
これは悪ではない。許されているから。
もし悪と言うなら、今頃椅子から転げ落ちたり、そもそも上った時点ですっころんでいる。
今も椅子から椅子へと移動して、児戯みたく遊んでいる僕を咎めない。
僕の価値観か、それとも神の価値観か。
僕がそれによって罰を受けることはない、そう確信めいた感覚が頭の中を漂っていた。
チラリとシスターを見る。
彼女は今も祈りを続けていた。
「まるで子供ですね」
僕の動きを察したのか、彼女は呆れた声を出した。
「こういう時こそ遊びは大切さ」
「人様の、ましてや神様のための椅子をそうして汚していることが残念でなりません」
「違うね。こうして汚すことに意味がある。この世は真っ白じゃないんだから」
「真っ白ですよ。そしてかくも美しい。環境によって、人は悪にならざるを得なかっただけです」
「白々しいなあ。ほんとは解ってるんだろ?」
「いいえ。何度でも言いましょう。この世界は美しい」
そう言い切る彼女が羨ましく感じた。
そう言い切るには僕は――手を汚しすぎている。
なのに悪ではない。
そう、断罪だ。
「シスターはすごいね。なんでそう信じられるの?」
椅子から降りて、椅子に座る。
微かに汚れた椅子の表面を、僕のズボンが綺麗にした。
「信じているからです。信じているからこそ、世界を美しいと感じるのです」
「ただの思い込みじゃん。刷り込みでもされた?」
「わたくしは見たのです。この世界の真理を」
そして彼女から感じる神聖な空気。
彼女そのものがまさに神だと、そう思えるほどに。
「ふーん……」
適当に頷いた。
「どんな真理?」
立ち上がり、シスターに近づいた。
「人々を救済する神の姿を」
そう言って、彼女は落ち着いた息を吐く。
僕も息を吐き。
「でもさシスター」
サッとポケットからナイフを取り出し、シスターの首元へとそれを添わせた。
ピクッ、と。
シスターの表情が動く。
「この教会が位置するこの土地周辺の地域は、確かに美しくも幸せな場所だよ。皆が幸せそうで、皆が楽しそうで、皆が仲良しこよしだ。まるで楽園であるかのよう」
言葉を続ける。
「この土地では、あなたは天使って呼ばれてるみたいだね。綺麗な顔、綺麗な身体、綺麗な心、確かに天使だ。だが腹の底が知れない。人間以上に恐ろしい」
「口が過ぎますよ」
「神に偽りを宣う偽物――」
トンと背後へと飛んだ。
シスターが振り返りざまに振るった小さなナイフ。
恐ろしいほどに致死性をはらんだ殺意を感じた。
「ほとほと恐ろしい」
「最期に楽園を暮らせるのです。これほどの幸せが何処にありましょう」
後ろに下がり、十字架を手にする。
何百キロとありそうなその金属の塊を、彼女は両手で握りしめ、引き抜いた。
いや、もとから外れていた。
その十字架は十字架じゃない。
――彼女の武器。
悔い改めろ、まさにその通り。
「堕落こそ、人間が真価を発揮する最良の状態であり、最高の輝きであるのです」
「それは神の教え?」
彼女は屈託のない笑顔で。
「幸せをかみしめ前を向くことを辞めた人間が、堕落しきった人間が、私の手によって最後に死を迎える。その時の絶望した表情がたまらないのですよ」
そして、恍惚とした息を吐いた。
「悪魔め」
「いいえ、天使ですよ」
金属の塊を両手に、彼女は突っ込んでくる。
振りかぶった十字架を、振り下ろして。
地響きが上がり大理石の床に亀裂が入った。
その間から腐敗した臭い。
「死んだ人間を埋めてるの?」
「さぞ恐ろしいでしょう? 自分たちが祈りを捧げていたこの教会の下に、いくつもの死体が眠っている何てこと」
十字架を振り回す。
僕はそれをスレスレで躱しながら距離を取る。
避けた際に扉にあたり、粉々に砕いた。
外から中が丸見えになる。
けれど誰もいない。誰も気にしない。
「日曜日は皆に静かに眠るように伝えているのですよ。私が渡したお香を焚いてね」
「誰も聞いてないよ、あなたの話なんて」
教会の椅子が粉々に破壊されていく。
壁が、柱が、次々と破壊されていく。
「逃げているだけですか?」
背後に壁。
突きが迫り、飛ぶ。
後ろで壁が壊されるのを聞きながら、十字架に着地して走る。
一瞬で距離を詰め、蹴る。
「あらま」
ブオンと大きな音を立てて空振り。
十字架から手を離したシスター。
それとともに床に落ちる。
ゴオオオンッと床にめり込む十字架。
僕は駆ける。
「あら、私に接近戦ですか」
攻撃を仕掛けるも、そのすべてを躱された。
一発一発が人体を破壊するほどの力だ。
だが彼女はそれに臆することもなくひらりひらりと簡単に躱す。
「場慣れしてるね、あんたっ」
「幼い頃より命の奪い合いをしてきたのですよ? 今更何を恐れるというのです」
「それは僕だって同じだ」
攻撃が当たらない。
「同じではありません。私は人殺しの天才ですから」
ゆったりとした動作で膝を上げる彼女。
来るッ。
ドンッ、と腕に伝わる途轍もない重い一撃。
腕が引き千切れそうな痛み。
身体は壊れていない。けれどこれは。
後ろへと飛ばされ、壊れた壁の外へ。
墓場。
まともではないだろう。
「あら、生きていますわね」
驚いた顔で十字架を肩に担ぎながら出てくる女。
ふふんと笑って、楽しそうに僕を見る。
「なんて怪力だ」
「言ったでしょう? 私は殺しの天才なのです」
「そういう問題じゃないだろう」
冷汗が流れる。
「ふふっ、あなたはどんな華を咲かせて死ぬのかしら?」
笑顔の彼女。
そして弾丸のように加速して、間合いを詰めて来た。
振り下ろされる十字架。
受け止める。
地面がひび割れ、墓標もまた崩れ落ちた。
「あなたも大概じゃないのかしら?」
両腕が折れた。
けれど生きている。
飛び退き、腕に意識を向けた。
「へえ……」
折れた腕が急速に回復していく。
そして数秒裁つ頃には、腕はすっかり完治していた。
「私が言うのもなんだけれど、あなたも十分怪物ですよ?」
「僕は『祝福』を受けた人間だからな。言うなれば使徒って奴だ」
「……ふふっ、羨ましい限りですわ」
上へ飛んだ彼女。
数メートル? それ以上?
オリンピックに出たら確実に優勝だ。
振り下ろしか、それとも――。
十字架が加速して飛んできた。
文字通り飛来した。
投擲されたそれ。
僕が飛び退くと、そこに突き刺さって十字がこちらを向いた。
十字架に着地した女。
蹴りをかまし、こちらに十字架を飛ばしてきた。
「うぐっ」
躱しきれず、十字架に巻き込まれて背後に飛ばされた。
全身の骨と言う骨が、そして内臓がやられる。
致命傷、けれど死にはしない。
辛うじて十字架を弾いて横へ逸らす。
地面に無様に転がって、ボロボロのまま回復に努めた。
「あら、まだよ」
すぐ近くに彼女がいた。
踏みつけ。
その一発一発がまるで砲撃だった。
回復だけに専念し、即時怪我を治療した。
「あははははっ!」
何度も何度も踏みつけられた。
踏みつけられるたびに全身に痛みが走る。
攻撃が繰り返されるにつれ、その威力が増していく。
いつ僕の回復力が追い付かなくなってもおかしくないくらいに――。
「……あら?」
いきなり体勢を崩す女。
その隙をつき、足を払って地面に倒した。
距離を取る僕。
地面に倒れる女。
「……」
彼女は自分の脚を見た。
微かに震える筋肉。
「毒ね」
首筋を押さえてそう言う。
最初のナイフの段階で微かに首筋に切り傷を入れたのだ。
まさかここまでの化け物だとは思いもよらなかったが、結果は上々。
「僕の勝ちだ」
「いいえ、私の勝ちよ」
立ち上がり、十字架を持つ彼女。
「?」
しかし、片手で十字架を掴んでいる。
「え?」
「ふふっ、命の危機ね。コレは上がっちゃうわあ♪」
片腕でブンブン十字架を振り回す女。
嗚呼、時折いるのだ。
死の縁に立ったとき、劇的に生存能力を上げて、生き残ろうとする正真正銘の化け物が。
「くそ……」
「あなたの回復力と私の破壊力、どっちが上かしらねえッ」
突っ込んでくる。
さっきよりもさらに速いッ。
横薙ぎを腕でガード。
腕が破壊される。胸が破壊される。心臓が破壊される。身体が事実引き千切れそうになる。
「ゴハアアッ!」
「あら、断絶したと思ったのに」
吹き飛び、隣家へとぶち込まれた。
何軒もの家の壁を貫き、区画を飛び越えて。
「ごふッ」
血を大量に吐き出す。
殴られながら、破壊されながら回復するという荒業。
死ななかったのが奇跡だ。
吹き飛ばされた経路を見る。
無惨にも破壊された家々。そして染みわたる血液。
「あらあら、人が死んじゃったわ」
フラフラとした足取りで、十字架を杖代わりにやって来る女。
ケラケラと笑って、血肉を踏みつぶしながらやって来る。
「外道が」
「あら、誉め言葉として受け取っておきましょう」
ダンと宙へ舞う彼女。
さっきよりもなお高い位置。
何十メートル以上。
「死になさい」
十字架をもって縦に回転を始める。
十字架の重さと彼女の腕力が重なって、途轍もない遠心力が発生。
まるで嵐。
あんな威力のものに殴られれば流石に死ぬ。
移動しようとして。
だが足が動かない。
体力がない。持たない。動けない。
「あらあら、万事休すね」
近づいてくる死の風車。
死。
ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオッ!
――
「……死んだわね」
そして十字架の下敷きになってミンチになった彼。
四肢が吹き飛び、身体が爆散していた。
「ふふっ。久しぶりの運動だったわ」
お遊びで軍事基地に忍び込んで暴れた時以来ね。
「はあ~♪ 楽しかったわあ♡」
粉々になった死体。
感慨深く注視して、この目に焼き付ける。
これまで戦った中で一番に強く、そして強靭だったモノ。
中々以上に楽しめた。
真っ赤に咲き乱れる華。
これまでのどの華よりも綺麗だった。
「解毒薬を取りに行かなくっちゃ」
十字架を杖代わりに、教会へと向かう。
こんなこともあろうかと万能の解毒薬を作っていたのだ。
この毒は遅効性。
死ぬにはまだ時間がある。
「けど少し動き過ぎたわ」
身体が重い。身体が痛い。
今すぐにも倒れて目を閉じてしまいたいくらい。
「でももっと暴れるには、もっと楽しむには生きなきゃね」
また別の場所へ行って天使にならなくてはならない。
顔や体を整形して、別人へとなり変わる。
今回は少し暴れすぎたから、少し大人しくしないと。
「ふふっ、次が楽しみだわあ」
膨れ上がる幸福感。
愉しみで仕方がない――。
「……え?」
鉄棒が突き刺さった。
身体から伸びている。
それに触れて、傷口に触れて。
何故、どうして?
疑問。
痛い、痛いわ?
知覚。
「言っただろ。俺の勝ちだって」
振り向くと、身体を構築しながら。
まるでゾンビの姿で服も着ずに、彼は私に鉄棒を突き刺していた。
血を吐き出すわたくし。
心臓を貫かれた。
明確な致命傷だ。
「かはっ」
激痛が脳を揺らす。
「ま、さか……」
「死んだよ、自分でも驚いている」
骨が、筋肉が、肌が再生されていき。
彼はぴんぴんした様子で生きていた。
「まさか死んだ状態から治癒するなんて、夢にも思わなかったよ」
意識が薄れていく。
身体から感覚が無くなっていく。冷たくなっていく。
「あはは……この化け物が」
それがわたくしの最後の言葉。
わたくしらしくない、わたくしだけの言葉。
「アー、メン……」
意識が消えた。
――
「はあ……はあ……」
女が崩れていった。
その場に力なく倒れる躯。
立っていたのは僕。勝ったのは僕だ。
「神様……」
転がっていた布切れを羽織りながら天を見た。
犯罪者を、悪を滅するという使命。
そのための力、そのための命。
操り人形の僕、道化の僕。
この結果も、死に戻ることもまた運命だったと。
そう言いたげなその快晴を見て、僕は肩を落とした。
「何が使徒だ。これじゃあただの化け物じゃないか」
運命に逆らい、罪を犯した。
彼女は力に溺れ、溺れ狂った。
彼女は力を悪に使い、浸かってしまったのだ。
「はは……」
かく言う僕も、彼女と同じ化け物だ。
唯一違う点は、悪に染まっていないということ。
ナイフを拾い、傷をつける。
滴り落ち、血管の如く拡がった。
今瞬間に死んでしまった人間。
彼等は僕の血液によって生き返る。
潰れた身体が蘇生され、瓦礫の上へと横たわる。
神の御業。
まさしく神。
「違う、違うなあ……」
僕は人間だ。
神の力を承っただけの、ただの人間だ。
自戒し、抑制する生き物は人間だけだ。
僕は、人間だ。
「次……か」
伝わってきた神の啓示。
次の目標を滅せよ、と受け取る。
僕一人だけでは殺しきれない犯罪者。
しからば、僕と同じような境遇にいる人間もいるだろう。
「くそったれ……」
天に向かって中指を突き立てる。
何秒、何十秒と続けても、僕に何かしらの罰は起こりえなかった。
「……違うな。これが罰だ」
自らを死に貶めた僕。
その苦痛を、僕は『回復』という力で今味わっているではないか。
痛みを。
何度も。
「……次だ」
崩れ落ちた家から服を拝借して着る。
道路を歩き、指示された使命に従って。
僕は、用意された道を歩き続ける。
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【集】我が家の隣には神様が居る
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