僕の未来を満たすもの
感想をお待ちしております。
十年前の僕へ。
お元気ですか。風邪など引いていませんか。人生に絶望していませんか。美味しいお肉を食べていますか。大学生活は楽しいですか。
この手紙を書いている十年後の僕はとても健康的で、エネルギーが全身に満ち溢れています。今ならフルマラソンを完走できるかもしれません。嫌で嫌でたまらない飲み会の一発芸でさえも、快く披露することができるような気がします。
どうして今の僕がこんなに元気なのか、十年前の僕はきっと不思議に感じていることでしょう。
根暗で意気地なしで陰気だったはずの男が、手紙の中ではしゃぐ様子に不気味さを覚えたに違いありません。
では、何があったのか今から説明しますね。
結論から言います。つい先日彼女ができました。
モテない僕にもようやく春が訪れたのです。
お相手はもう随分と綺麗な方で、正直僕には勿体ないくらいだと思います。そんな女性がこの僕と真剣にお付き合いしてくださることになったのです。
もしかしたら、僕は一生分の運を使い果たしたのかもしれません。最悪、明日死んでもおかしくありません。
ちょっと心配になってきましたが、そうではないことを願っています。十年前の僕も一緒に祈ってください。どうかこの幸せがずっと続きますように……と。
昨日はデートに行ってきました。初デートです。
それまでにも何度か彼女と二人きりで出かける機会はありましたが、正式に交際することになってからお出かけをしたのはこれが初めてです。
彼女を連れて街を歩いていると、まわりの男たちは僕を羨ましそうに見てきます。僕はとても誇らしい気分になりました。
今までは道端でカップルとすれ違うたびに言葉にならない切なさや悔しさがこみ上げてくる日々でしたが、もう嫉妬に狂うことはありません。今の僕は勝者の側に立っているのですから。
彼女の名は由美子といいます。
スラリと細い体躯、色白の肌をした方です。長い黒髪が似合っています。彼女の姿を見た人は「清楚美人」という印象を抱くことでしょう。
夕日が沈む頃、僕は予約していたレストランに由美子さんと一緒に入りました。商業ビルの十一階にあるお洒落なイタリアンの店です。ネットでの評判がよく、料理の値段も高過ぎず安過ぎずちょうどいい感じだったので、そこに決めた次第です。我ながら悪くないチョイスだったと思います。
僕と由美子さんは窓際のテーブル席に案内されたのですが、そこから見える景色はとても素晴らしいものでした。高層ビルの光が夕闇と混ざり合う光景に僕は心を奪われました。
店内にはカップルの客が僕たち以外にも何組かいて、それぞれが料理と夜景を楽しんでいました。
いい雰囲気の中、テーブルを挟んで向かい合う僕と由美子さんの二人は、さっそく料理を注文することになりました。
メニュー表を眺める由美子さんは「どれにしよう」と迷っている様子でした。その間、僕はずっと彼女の美しい顔を見つめていました。すごく幸せな気持ちになりました。
「祐輔さんはどれにするのですか?」
ふと顔を上げて、由美子さんが問いかけてきました。僕は「このステーキにしようかな」とメニュー表に掲載されている料理の写真を指差しながら答えました。イタリアンなのにパスタやピザでもなくステーキを選ぶとは、いかにも肉好きな僕って感じがしますよね。
おっと、話が逸れました。僕が何を注文したのかはどうでもいいことです。この手紙の主旨とは関係ありませんので。
結局、由美子さんはカルボナーラを注文しました。彼女は「美味しい」と言いながら、それを食べていました。満足してくれたようなのでよかったです。
すっかりいい気になっていた僕は、酒に弱いくせに調子に乗ってワインを何杯も飲みました。緊張を解くという目的もありましたが、酒の力を借りて勝負に出るしかなかったのです。
この後、僕は彼女とホテルに行きました。そこで何があったのかは……ご想像にお任せします。
いや、ホントにね。最高の夜になったわけですよ。
僕は思うのです。これは夢じゃないのかと。
いいえ。夢ではありません。本当のことなのです。
僕はついに幸せを手に入れたのです。
つまるところ、今の僕が十年前の僕に対して何が言いたいのかというと、「未来ではいいことが待っているから諦めずに頑張れ」ということです。それを伝えるためにこの手紙を書きました。
いいですか。由美子さんは最高の女性です。
こんな可愛い彼女がいたら、毎日がハッピーですよ。
君の未来は希望で満ちている!
――十年後の僕より。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「十年後の僕」を名乗る人物から手紙が届いた。僕はそれを読むと、鼻で笑った。同時に怒りと悲しみがこみ上げてきた。
馬鹿な男だな、十年後の僕という人間は。
ああ、なんて哀れなのだろう。
未来は希望で満ちている? 冗談もほどほどにしてくれ。
僕は知っている。僕の未来は絶望に支配されていることを。
大学生になっても彼女がいない。そんなダメ男に十年後、いきなり素敵な彼女などできるわけがないだろう。
その由美子とかいう女は僕を愛してなどいなかったのだ。
未来の僕は彼女に弄ばれる運命であるらしい。
僕は「二十年後の僕」からの手紙を先に受け取っていた。
そこにはこう記されていた。
『二十年前の僕へ。由美子とは絶対に付き合うな。あいつは僕の人生を台無しにした! 間違っても結婚なんてするんじゃないぞ! 彼女のおかげで、僕は一生消えない悲しみを背負うことになるんだからな!』
どのような目に遭ったのか、詳しくは書かれていない。が、恐らく金でも騙し取られたのだろう。
未来の僕はモテない男の心理に付け込む卑怯なやり口にまんまと引っかかったのだ。
「ぬか喜びだったな、十年後の僕。由美子に言っておいてくれ。一瞬の夢をありがとう、ってね」
そう呟き、僕は十年後と二十年後の僕からの手紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てた。
さて、現在に意識を戻そう。今の僕にはやるべきことがあるのだ。
大学の講義でレポートの課題が出ている。
僕はドキュメント作成のためノートパソコンを起動した。
パソコンには差出人不明のメールが一件届いていた。件名はない。
本文は「三十年前の僕へ」という文言で始まっているのだった。
◇ ◇ ◇ ◇
三十年前の僕へ。
お元気ですか。僕は元気です。
今日は朝からお墓参りに行ってきました。晴れていてよかったです。
三十年前の今日は晴れていますか。それとも雨ですか。
晴れているといいですね。
大学生活は楽しいですか。美味しい肉料理を食べていますか。人生は希望に満ちていますか。
毎日幸せだといいですね。
前置きはこのくらいにしておきましょう。
早速ですが、本題に入りますね。
これは未来の僕からのお願いです。
どうか最後まで読んでください。
十年前の今日、僕は由美子という最愛の妻を亡くしました。それ以降、悲しみに暮れた僕は自暴自棄になり、酒浸りの日々を過ごすことになりました。
由美子との間に子はいません。彼女は病気で子を産めない身体だったのです。
一人残された僕は、この先もずっと孤独の中で生きていくしかありません。
ですが、由美子と結婚したことは間違いだとは思っていません。
僕には彼女しかいなかったのですから。僕のようなダメ男を愛してくれたのは、生涯で由美子ただ一人なのです。彼女に出会わなければ、僕は最初から最後まで孤独でした。彼女と過ごした十年間だけは、夢を見ることができたのです。
十年前の僕は三十年前の僕に向けて手紙を送りました。由美子とは付き合うな、と書いたはずです。
それは撤回させてください。
やはり由美子とは結婚してほしいのです。
僕を、君を一人にしないでください。
少しの間でいいから、君には幸せを感じてほしいのです。
いいですか。由美子は最高の女です。
こんな素敵な妻がいたら、毎日がハッピーですよ。
君の未来は愛で満たされている!
――三十年後の僕より。
お読みいただきありがとうございます。
感想をお待ちしております。