8.お風呂みたいな地中の罠
「ん……よいしょ」
日は昇りきって、天頂から下り始めて。
「おみごとです、ネインさん!」
「……ちょっと声落とせな」
「はいっ」
こそこそ声ではしゃぐエルファルを無視して、ひっついたままの縄を引っ張ってユリを引き寄せる。手の届くところまでそうしてから、あとは素手で持ちあげ、放り投げる。
林とクルワの境界には、巨大な紫ユリが積み上がっていた。
樹木の高さを超えるくらい。
最後に残った『蜘蛛の糸』をなぞり、息を吹きかける。それで魔法の縄はするりとほどけて、霧散した。
一連の作業を終えると、エルファルが木の陰から駆け寄ってくる。
「お疲れ様です!」
「だからもうちょい声を落としてだな……」
「これでもう、十本目ですね! 先が見えてきましたよ!」
ぎりぎりをはかるみたいに微妙な声量で騒ぐエルファル。いちいち怖いが、一応他のユリの反応はない。一つ一つ見回して、溜め息をつき、俺は正面に向き直った。
「華麗というか、惚れ惚れするというか、職人技というか!」
「ユリを切り倒す職人……」
「それで食べて行けそうな腕前です」
「稼ごうとはしているけど」
褒め言葉の圧がすごい。
困惑しながらも、切り倒した巨大ユリの茎を踏む。主となる器官を全て切り倒したからか、もう反応はない。いちいち確認して、その先へ足を踏み入れる。
これならもう、大丈夫だろう。
次の層へ行っても。
「エルファル、お前も来い」
「え……」
言外に「いいのか」と、その顔が強ばる。そこに恐怖の色はない。
相変わらず、気の遣い方がおかしい奴だった。
「ユリが動き出したら、離れてたほうが危険だからな。この先は一緒の方が安全だ」
「……はいっ」
たったそれだけで顔をほころばせて、エルファルは俺の後ろにぴったりとつく。しばし一人で笑声をこぼして、それからふと、俺の袖を引っ張った。
「それにしても……中はこんな風になっていたんですね」
薄気味悪そうな呟き。
俺もつられてそっちを向いた。
正面のユリをかたっぱしから取り除くと、領域はおかしな姿を見せていた。
そこには何もなかった。
比喩でもなんでもなく、そこにはただ剥き出しの地面だけがあった。雑草も、落ち葉も、まして巨大なユリもない。平坦で、何もない地面。
クルワグサの領域は円状に広がっていくという。つまりこの空白も、ユリの層の内側に位置する、一つの層なのだろう。
その証拠に、ずっと奥には背の低い草が集っていた。
ほんのりと、日光を返すシダも見える。
「え、あれ……ですか?」
「そうだな」
「ってことは、もう目と鼻の先じゃないですか!」
「結構遠いけどな」
目測百歩はある。
迎撃を想定すれば多分、もっと遠い。
それでも先が見えたのが嬉しいのか、はたまたようやく木陰から出られたのが楽しいのか、エルファルはくるくるはしゃいでいた。
呆れながらも、少し微笑ましいそれをしばし眺めて。
「……待て、エルファル」
「はい?」
ふと、思いだした。
立ち止まるほどの大事を。
「どうかしたんですか?」
「気をつけろ。こんだけ育っているって事は……多分、罠型の器官もある」
「罠、ですか?」
「ああ」
クルワグサの迎撃器官は一つじゃない。お化けユリの殲滅力は確かに凄まじいが、それだけエネルギーを食うということでもある。故に多種多様な器官を揃え、状況に応じて敵を討つのだ。
それこそ、「郭」の名の通り。
アサガオのような器官の蔓による罠、チューリップを逆さにしたような器官の腐食液を垂らす罠、いくつかの例を挙げていると、ふらりとエルファルが話を遮る。
「少し前から思っていましたが……詳しいですよね、ネインさん」
「……まぁ、職業柄だよ」
「クルワグサの専門家だったのですか?」
「そんな面白い職業はねぇよ」
別に、クルワグサに限った話じゃない。多少でも危険な生物は、何から何まで調べていた、それだけだ。
足りない才能は知識で補わなきゃいけなかったから。
「で、だ。アサガオもだが、この状況だと落とし穴も警戒しなくちゃならない」
話を戻して、少し声を固くする。
アサガオならまだマシだ。蔓を切ってしまえばどうにかなる。土の上から作られた罠である以上、『限りない眼』で見て避けることも出来る。
だが落とし穴の場合、根を張った地中から直接作られる物だ。地表からは見分けもつかない。
何より、危険だ。
アサガオとは比べものにならないほど。
「……それって、どんな感じなんですか?」
俺の言い方がよほど真に迫っていたのか、エルファルも少し怯え混じりに聞いてくる。
「つぼ、だな。中には消化液が溜まってて、抜け出せない獲物をゆっくり溶かすんだとか」
「獲物は出ようとするけれど、壁がつるつるしているのでそれも叶わない、と」
「そうそう、よく知って―――」
と、そこまで話して、気付く。
エルファルの姿が見えないことに。
「ところで、ネインさん」
「エルファル? お前今どこに」
「壁がつるつるして出られません」
「……」
辺りを見回すと、ちょうど右斜め後ろのあたりに、不自然な穴が開いていた。
覗くと、手の届かないくらい深くに金髪の女の子が見えた。
「……なにか、釈明は?」
「思ったより心地が良いです」
「麻薬成分だよ」
出られなくして消化するためのな。
「なんか、お風呂に入っている気分です……あ、おかあさん? きょうはねぇ」
「おい寝るなしっかりしろエルフ!」
「エルファルだよぉおかあさん、もう、間違えてばっかりなんだからぁ……」
「母親にも間違われてたのか……じゃなくて」
ぶくぶく沈んでいくエルファルはもう抵抗の一つもしていなくて、完全に力が抜けているのが分かる。クルワグサも植物である以上消化速度はそう速くないだろうが……麻薬成分の方がまずい。早くしないと薬漬けになる。
逸る肺を押さえつけて、息を整える。手を祈るみたいに、顔の前で合わせる。軽い喪失感を覚えながら魔力を引き出して、もう十回はやったことをなぞる。
「蜘蛛の糸!」
「おぅ?」
手の中に生み出した白い縄、伸びる端から穴に投げ入れ、その先端が金髪の分け目、額にくっつく。夢見心地のエルファルの変な声が聞こえる。
そして。
「堪えろ、よっ」
思いっきり引っ張った。
一本釣りするみたいに。
「お、おうううううううう―――あうっ!?」
口を半開きにしたまま奇声を上げていたエルファルは、着地と同時に潰れたカエルみたいな声を出した。縄を消すと真っ赤になった額があらわになる。
が、エルファルは痛いとも言わずに虚空を見ていた。
「……エルファル?」
「……」
「エルフ?」
「……」
「エール―ファール?」
まさか……遅かった?
芽生えた不安を押し殺しながらその頬をつつき。
「おーい」
「……ハッ!?」
あ、起きた。
「……大丈夫か?」
「はい、なんとか……ありがとうございました」
消化液でどろっどろになった顔を、やっぱりどろどろの手で拭いながら、エルファルは濡れた犬みたいに体を震わせる。時々粘液がこっちにまでかかる。汚い。
露骨に距離を離すと、ようやく気付いたのか申し訳なさそうに立ち上がる。
「本当に危ないところでした……助かりました」
「危なくなったら助けを呼ぶことを覚えような、お前は……」
「危うくネインさんに選んでもらった服がぐちゃぐちゃに溶かされるところでした」
「……心配するとこ違うからな?」
反省するところも。




