7.お化けみたいなユリの花
クルワグサ。
草だの花だのと言われるその植物は、実のところほとんどモンスターのようなものだ。領域に踏み入ったが最後、イノシシ程度なら瞬殺され、そのおぞましい植物の糧となる。そのくせ有する魔力の少なさ、素材としての不能さ、何より近寄らなければいいその生態から、狩られることは滅多にない。
更に植物としての異質さも群を抜いている。
地面に植え付けられた種は、まずシダのような外観に成長する。そしてその後は根を伸ばし、周囲の植物に絡みつく。
そしてその栄養を奪い、糧とし、殺す。
死んだ植物はクルワグサの苗床となり、それが「領域」を広げるための下地となるのだ。
領域。
シダのような外観とは反対に、クルワグサはひたすら仲間を増やすようなことはしない。苗床に種や胞子を撒いたりはしない。それはやはり、根を伸ばす。そして今度は全く違う器官を作り上げる。
それはユリのような見た目をしていて、しかし繁殖機能は一切持ち合わせていない。花弁があり、萼があり、しかしおしべもめしべも持っていない。
代わりにそれは、噴出口を持つ。
硬い弾丸のようなものを生成し、吐き出すために。
そして「迎撃器官としての」花で、領域に侵入した外敵を殲滅、そしてまた新たな苗床とする。そうして自身の領域を広げていくのだ。
と、そんな風に。本で読んだ知識を思いだしながら。
「……エルファル」
「エルファルです」
「知ってる」
「はい」
木の陰に二人で身を潜めつつ、その気味の悪い「領域」を窺いながら。
「……お前、クルワグサのこと何も知らないな?」
「サラドールさんから、危険で危なくてデンジャーな花とだけ……」
「よくそれで助けるって言えたよなお前」
「こんなに危険だとは思わなかったんです……」
……薄気味悪い紫色のユリ達が吐き出す弾幕が止まるのを、じっと待っていた。
事の顛末は、話すまでもないこと。
「……これが、クルワグサ」
「思ったより気味悪いな」
なんとかそこに辿り着いた末に見えたものは、この世のものとは思えない薄気味悪い光景だった。
ぱったりとそこで途切れた木々の境界。そこには何十本ものユリが、重そうにその花弁を垂らしていた。
……樹木とほとんど同じサイズの、馬鹿でかいユリが。
「なんというか……ばくん、って飲み込まれそうです」
「そういう攻撃はしてこないから安心しろ」
「攻撃するにはするんですね……」
馬鹿でかいし、紫。白くて清麗な本来のユリとは打って変わって、もうひたすらに気持ち悪い見た目。しかもそれが視認できるだけで何十本と咲いている。
風邪の時に見る悪夢のよう。
象頭のピエロでも出てきそうな具合。
「えっと、それでこれを持ち帰ればいいんですかね?」
「花って言ってたし……まぁ、そういうことだろ」
「分かりました!」
と、言ったエルファルがポケットから取り出したのは大きめのナイフ。護身用にしては大きく、食材をさばくには小さい。
「こんなこともあろうかと、です」
「他に使う機会あるのか……?」
「一応護身用ですよ」
ぶんぶん振ってやる気を見せてくる。その心意気はありがたいが……顎に手を当て、考える。
クルワグサ。モンスターの範疇に片足突っ込んでいる危ない植物。
確かそれは、昔本で読んだことがあって。
どう対策すれば良かったのやら……
などと、考えていたら。
「って訳で、行きましょう!」
「え」
元気よくエルファルは、木々の影から飛び出して。
……今に到る。
「クルワグサの本質は、根だ。中心からはりめぐらせた根を、その上に生える各種器官から更に広げている」
「……」
「それは同時に神経の役割も果たしている。その根の上を踏んだモノがあれば、外敵と見なして迎撃に来る訳だ」
「……」
「根を張っているところはすでに植物を吸い殺した場所、つまりあの境界線の先だ。うかつに突っ込めば、蜂の巣になる。見て取れたな?」
「……」
「分かった、な?」
「……すいません、でした」
半泣きのエルファルが頷く。
その顔に少し心が痛むが、気にしてはいられない。
仕方のないことなのだ。
今俺達が相対しているのは、獰猛で凶暴な植物なのだ。下手なことをしてエルファルが危険にさらされても、俺が守れない可能性だって十二分にある。最低限、自分の身は自分で守ってもらわなければいけない。
だからきつく叱るのだって、仕方のないことなのだ。
けして私怨ではないし、心も超痛い。全然スッとなんかしてない。痛い痛い。
「……まぁいいさ。気をつけろよ?」
「はい……」
出会ってから初めて従順になったエルファルを背に、木の陰から様子を窺う。ユリらはようやく掃射をやめて、もたげた花をまた下に向けていた。一応、擬態なのだろうかあれ。
ちょっとした疑問を脇に捨て、息を整える。
体の中で脈打つ魔力を、実感として意識する。それを今度は両手に送り、その両手は祈るように顔の前へ。
ゆっくり息を吸い、唱える。
「蜘蛛の糸」
手を広げると、ぬるりと垂れ下がるものがある。それは白い縄のようで、腕を伸ばせばどこまでも伸びる。
最終的に両腕の二倍ほどの長さまで伸ばし、その先っぽを引っ張る。
しっかり固まったそれは、いくら引っ張っても微塵も伸びない。
「……よし」
「それは……」
「ちょっと変わったロープだよ。魔力を消費するから使いづらいけどな」
「そう、ですか……」
それだけ言ってうつむいてしまうエルファル。その姿は従順どころかかしずくようで、少し不安になる。
都合がいいとも言う。
そんなことを一瞬考えた自分が、気持ち悪かった。
事実だ、そうは思っても、忌避感はじっとわだかまる。街で大人しくしていてほしい、さっさと言えばよかった本音はもう今更で、結局こうするよりないことも知っている。
「そこから動くなよ、エルファル」
「……はい」
それでも。
そう言ってしまえる自分は、なかなか吐き気のする奴だった。
「……ふぅ」
息を整え、目を瞑る。限りない眼はとっくに解除していて、魔力にも体にも負担はない。
それだけ確認して、白い縄を構える。
そして木の陰から、一歩踏み出した。
瞬間、ぐるりと正面のユリがこちらを向く。ヘビのように、鎌首をもたげるように、その花弁の中をこちらに向ける。
その中からは、くちゃくちゃと水っぽい音が聞こえる。
さっきも聞こえた、きっと発射までの合図になる音。
それに少し緊張しながら、同時に安堵もしていた。
予想通りだ。
こいつらの根は全てが一繋ぎじゃない。器官から器官へ、枝分かれするように生えていて、そしてその根に触れたことに反応するのは根の持ち主だけ。
まっすぐ踏み出せば、一本の巨大ユリとの一対一にしかならない。
それなら対抗策もある。
ユリがさらに上を向く。きっと、もう発射の準備に入ったのだ。
次それが俺を向くとき、すさまじい連射が始まるのだろう。
なら。
「おらっ!」
―――撃てないようにすればいい
白い縄を投げつける。毒々しい紫の、更に毒々しい花弁の先の方に、その縄の先がひっつく。くっついて、離れなくなる。
試しに軽く引っ張れば、簡単にユリはゆらぐ。
思い切り引っ張れば。
簡単に、ユリは地面に倒れ伏した。
「―――――!」
「ぐっ……!」
くぐもった音がユリの中から聞こえる。もがいているような、抵抗しているような、動物的な音。実際倒しっぱなしにするのは簡単ではなかった。どこからそんな力が出ているのか、ユリはその茎を持ちあげようとする。
力の逃がし方を間違えれば吹っ飛んでしまいそうなくらい。
「くっそ……」
抵抗し、抵抗され。
場が拮抗の状態で固まっていく。
ユリの力が衰える気配はなく、俺は必死に押さえつけるしかなかった。
出来るんだ。出来るはずだ。
言い聞かせても、上手く体が動かない。力が入らない。
だって、その口がこちらを向いたとき、俺は。
想像するだけで背筋が凍る。心労が果てしなく溜まる。手が滑りそうで、持ち直す瞬間にも恐怖で足がすくむ。
「がんばれえええええ!」
ふと、そんな大声が耳に届いた。
「ネインさんがんばれ! 負けるな! 倒しちゃえ!」
「……エル、ファル?」
後ろを向く余裕はない。けれどその元気な声の持ち主が、何をしているかは見なくても分かった。
木の陰から、動くなって言った俺の指示を信じて。
喉を張り裂かんばかりに叫んでいる。
「がんばれ! がんばれ! ネインさんならできる!」
「……」
「ネインさんは! すごいから! 誰よりかっこいい正義の味方だから!」
涙混じりの大声は、きっと心配も入っている。
……そりゃあ、俺がここで倒れれば次はあいつだ。怖いに決まっている。
「だから、がんばれええええ!」
でもその声は、そんなんじゃないって思えた。
ただ俺だけを心配してくれる声だって。
「……ははっ」
思わず笑ってしまう。
そうだ、何を怖じ気づいているんだ。俺に出来ないはずがないんだ。
あいつが応援するしかないくらい、俺は経験と実力を備えた元冒険者なんだから。
それ以上に、あいつが信じる「正義の味方」なんだから。
「―――!?」
情けないところなんて、見せていられない。
そう力を込めれば、簡単に腕は動いた。
「おい……しょっ、と!」
縄を思い切り引っ張れば、やっぱり簡単にユリは倒れ伏す。しゃがんで体重まで乗っけて引っ張れば、そのままびくとも動けなくなる。
そして地面に、もう片方の縄をくっつけてしまえば。
もう、動くことだって叶わなくなる。
「―――――! ―――!?」
「悪いな、お化けユリ」
近づいてみれば、やっぱりそのユリは動物のようで、本当に気持ち悪い。
ので、さっさとその茎を切り落とした。
買って以来初めて抜いたそのナイフは、思ったより切れ味がよく、すぱんと振り抜いただけでユリは落ちる。
しばらくそれはトカゲの尻尾のようにじたばたしていたが、やがてぴくぴく震えるだけになる。
……虫かなんかなのか、この植物は。
最後まで気持ち悪かった花を放置して、エルファルのところへ向かう。
律儀にも、エルファルはまだ木の陰でこちらを見ていて。
「やりましたね、ネインさん!」
「うおっ、と」
境界を踏み越えたところで、抱きついてきた。
ひしと、しがみつくと言っても過言ではないくらいに。
「あんな恐ろしい植物を……さすがです!」
「分かったから、とりあえず離れて」
「本当に、すごいです! びっくりで、心配で、でもっ!」
「……」
ひっついたまま、エルファルは俺をのぞき見る。その目はほんの少し濡れていて、真っ赤な目が潤んでいる。今だってちょっと泣き出しそうで、思わずその頭に手が伸びた。
そっと撫でると、子犬みたいに顔を俺の胸にうずめる。少し鼻をすするような音がして、くぐもった声が心臓に届く。
それが何か分かる前に、エルファルは俺から離れた。
泣き顔の面影なんてどこにもない笑顔で。
「お疲れ様です、ネインさん。それから……おめでとうございます!」
「……おめでとうはちょっと早いな」
「でも、もう花の取り方は分かったわけですし、あとはこれを繰り返せば」
「さすがに何十本分の縄を作る魔力はないよ」
立ち直ったっぽいその声を、否定するのは少し心苦しい。
だが事実だ。『蜘蛛の糸』はあまり燃費の良い魔法じゃない。ここにある花を取りたいなら、結局クルワグサ自体を殺すのが一番手っ取り早い。
そしてクルワグサを殺したいなら、最奥の金シダをどうにかしなくてはならない。それはつまり、今のような迎撃器官をいくつもさばかなくてはならないということ。
攻撃魔法でも使えれば楽なのだろう。だが俺にはその才能がなかった。まともな攻撃魔法はほとんど覚えられなくて、だから仕方なくダンジョンを走り回るためのニッチな魔法ばかりを覚えたのだ。ちょと詳しいくらいの一般人が挑むのと大差はない。
ましてこのユリの数だ。
相当育っているのは間違いないだろう。だとすれば、きっとユリ以外の別の器官も……
「それでも、大収穫です! 先が見えましたよ!」
先を考え、悲観的に予測を立てていく俺の肩を、エルファルはびしばし叩く。
痛い、痛い。抗議しようと振り返った先、エルファルは鼻と鼻がくっつくくらいの距離にいた。
満面の笑みで。
「やっぱりネインさんはすごいです!」
「……」
……まぁ、うん。
今回ばかりは否定する要素もない。俺は凄かった。
だからその笑顔も、尊敬も、信頼も。
今回だけは、素直に受け取っておくことにした。
「……あー、でさ」
「はい?」
「これに関しては、伝えていなかった俺の責任何だが……」
「はい」
目の端に映る、それをちらちら見ながら、言葉を選ぶ。
その間にも、水っぽい音がする。
「……こいつら、大きな音にも反応できるらしいんだ」
「へ?」
エルファルが恐る恐る振り返る。
十を超える紫のユリが、こちらへ花の中を向けていた。
「あ、あ……」
「退避っ!」