4.新しい朝
『まだネインは起きないのですか……』
『ついさっき起きたばっかりのハイルが言うことではないんじゃないかな?』
『マルテロも爆睡ですね。今の内に髭でも剃ってやりましょうか』
『やめといたほうがいいよ。僕、前それで剣折られたから。素手で』
『……それで怒らないのは美徳の領域を越えてますよ、シューベルト』
もやがかった声がうるさい。
朝早くから元気な奴らに、ちょっと笑えてくる。
『ったくいい加減にしなさいよね。もういい大人だってのに……ほらネイン、起きなさい!』
『……ネインの耳、大丈夫でしょうか?』
『大丈夫だよ。いつものことだから』
『……これでも起きないなんて。ならやっぱり、こうするしかないのかしら?』
『ネインのほおがスライムみたいになってますよ大丈夫でしょうか?』
『もう十年これなんだから見慣れようよ、ハイル』
『見慣れてはいけない気がします、癒やし手として……』
『こらぁ! ほんとネイン、あんたいい加減に―――』
「……っ」
闇の中に手を伸ばす。誰かに引っ張り上げられるみたいに体を起こす。ぽきぽきと乾いた音が体中からして、その度少しの心地よさと眠気が脳裏に染みこむ。
やがて目が慣れてきて、見慣れない部屋が見えるようになる。閉め切ったカーテン、狭いながらもあるキッチン、二人分のベッドに、椅子とロールデスク。いつもよりずっと雑然としていて、いつもよりずっと狭い部屋。
そうしてようやく、昨日のことを思い出す。
どこに泊まったのか、誰と泊まったのか。
それから、自分の今の境遇も。
「……はぁ」
溜め息をつきながら、立ち上がる。
借り物の寝巻きを脱いで、さっさと服を着る。触れた外気が冷たい。そうして少し冴えた頭で考える。
これから、どうしよう。
昨日で金を使い果たした以上、今日こそ仕事を見つけなければ飯すら取れない。しかし昨日のエルフの話を聞く限り、この町は五年前から随分さびれ出しているらしい。そんな町で仕事なんてあるのか?
衣類二着だけの荷物を袋に詰めながら、そんなことに暗くなる。あったとしても、まともな教養もない俺は雇ってもらえるのだろうか?
……考えてもしょうがない。半ば諦め気味に、俺はさっさと部屋を出て行こうとした。
ふと、部屋に目をやる。
薄暗い部屋にそっと、とんがり耳の少女は今も丸くなって寝息を立てていた。時々身をよじりながらも、口元には笑みをたたえたまま、年相応の子供みたいに。
助けたのは、俺だ。
金がなくなったのも一割くらいはこいつのせいだ。
こんな朝早くに出ていく理由だって、半分くらいはこいつに見つかりたくないからだ。
だけど思い浮かんだのは、全然別の言葉。
「……ありがとな」
自分でもよく分からない。
よく分からないまま、笑って。扉に手をかけて。
「出かけるなら朝ごはん取ってからにしましょうよ……ふわぁ」
「うおっ……」
起きてんのかよ。
「あのムニエル、美味しかったですね!」
「……そうだな」
宿の朝食を食べ終わって少し。
エルファルは着替えのためと入ったトイレの中ではしゃいでいた。
もう目は覚めたようで、昨日と同じくらいのハイテンション。
「見たことない魚でしたけど、やっぱりユプセさんとこの魚なんですかね。あの方は珍魚の目利きに優れていらっしゃいますから」
「……そっか」
一方俺はというと、出鼻をくじかれて人生で一番くらいのローテンション。
まぁでも、確かに朝食は美味しかった。
魚のムニエル、コーンスープ、コッペパンが三つ。見た目も気を遣われていて、ハーブだったりトマトだったり……冒険者生活の中では一度も食べたことのないほどの料理だった。
ダンジョン内では基本保存の利くジャーキーしか食べられなかったし、なんなら金欠のときは陸でもジャーキーを食べていた。そもそも食事を抜いていたときも多い。
だからこんなまともな食事を食べられたのは、嬉しい。
嬉しくはある、のだが。
「……やっぱ宿代借りってことにしないか?」
「なんでまたそんなこと聞くんですか」
「情けないんだよやっぱり……」
朝夕食代まで少女に頼り切りと思うと。
「でもそれを言うなら、私の服代を払ってもらっちゃってますし」
「……まぁ、そうなんだが」
「ていうか合計したら私の方がもらってますよね、お金」
言われてみればその通りで、反論も出てこない。だが、納得も出来なかった。
きっと、気が引けているのだ。エルファルは言動はどうあれ、根はいい奴だ。命を助けただけの男に一夜とはいえ寝食を共にさせるなんて、少し異常なくらいに。
正しくて、優しくて、そして幼い。
悪意も害意も、きっと誰かに向けられたとして気付かないくらい。
だからなんだか、利用しているみたいで。
「それにネインさんさえ良ければ……」
「……?」
なんて言うべきか悩んでいると、恥じらうみたいにエルファルがゆっくり口を開く。
それはそれは嫌な予感がした。
「別に、これからずっと養うってのも、私は大丈夫ですよ?」
「却下」
「そのくらいの恩はもらいましたし!」
「却下だっつの」
話聞いてるのかこいつ……
さすがに冗談だったようで、くすくす笑いながらエルフはじゃん、と扉を開け放つ。くるみ色の吊りスカートをくるりとまとって、大きめの赤いリボンでしっかりポニーテールを作って、ひけらかすみたいに。
「どうですか!」
「似合ってる似合ってる」
てか昨日見た。
そんな雑な反応に、照れくさそうに笑うエルファル。しばらくはそうして体をくねらせていたが、急に素に戻って、訊ねてくる。
わりあい、真面目な様子で。
「それでは、今日は何をするんですか?」
「金を稼ぐ。何とかして」
「……貸しますよ?」
「稼ぐっつの」
話が戻る前に宣言する。それに少し頬を膨らませてから、エルファルは、ん? と首を傾げた。
「ちなみに、あてはあるんですか?」
「……どっかにはあるだろ」
「まぁ、ですよね」
納得顔で頷かれると、なんかちょっとムカツク。やっぱりか、じゃねぇよ。雇い主の秘密取引に無理矢理割って入って、殺されかけた奴にだけは言われたくない。
だが結局、それ以上茶化すようなことを言うことはなく。
エルファルはとても建設的なアイデアをくれた。
「でしたら、掲示板を見に行くのがよろしいかと思います」
「掲示板?」
「街のお知らせとか色々貼ってあるんですが、街の人達も何か依頼をしたいときは貼ってもいいことになっているんです」
「……そんなんする奴いるのか?」
何か頼みたいことがあったとして、普通は自分の知っていて信頼のおける人に頼むだろう。モンスターがいて危ないとかそういうことは衛兵に言えばいいし、衛兵に言えないようなグレーなことなら目に付く掲示板に貼る理由だってない。
つまるところ誰が受けるかも分からないところに依頼する必要はない、はずだ。
しかしエルファルは、全部聞いた上でにこりと笑って言う。
「意外とあるのですよ、これが」
「……そんなにか?」
「街の人達の三分の一くらいは貼り出しているんじゃないですかね?」
「三分の一……」
そんなに困ったことがあるのだろうか……
「ま、行けば分かりますよ」
そう言って、ベッドの上に置いてあった小さな布袋を持ちあげる。中身は衣類二日分に、お金の入った袋。しゃらん、とそれを肩にかけて、エルファルは、おー、と楽しそうに手を振る。
……まぁ、依頼があるというならそれでいいか。
そんな風に納得して、その後をついていった。
「え、うん?」
「どうしました?」
「……ついてくるの?」
「場所、教えた方がいいかと思いまして」
「ああ、まぁ、そうか……」