2.正義の幼女
「私、エルファル・グレティカイトといいます!」
「……ネイン・ドッホだ」
「わぁ、凛々しいお名前!」
「そうか……?」
「竜をも殺せそうな名前です!」
「……それはもう呪いの言葉だな」
日が昇り始めた街に、ようやく人の声が零れ出す。
その誰より大きな声で、目の前の少女はあれこれはしゃいでいた。
エルフらしい尖った耳、大きく見開かれた真っ赤な目、腰まで伸びたぼさぼさの金髪を耳の高さでひとくくりにして、馬の尻尾みたいにしている少女。俺の胸くらいしかない背をつま先立ちで伸ばして、俺を覗きこむ。
あちこちちぎれまくっているメイド服が目に入る。
あざに擦り傷に、ひどく痛々しく見える笑顔。
「……大丈夫、なのか?」
「大丈夫、というと?」
思わず問うても、なぜか一瞬少女は理解出来ていなかった。
「ああ、怪我ですか。まぁ擦り傷は多いですが、見た目ほどではないですよ。ちょっと転んだみたいなもんです」
「いや絶対違うだろ……」
「いえいえ、本当ですよ。私よりあなたの方が分かっているんじゃないですか?」
挑むような目に、一瞬ひるむ。
「な、なんのことだか……」
「何もそんなにしらばくれなくても」
「いや、本当にさっぱりなんだが」
なんで? なんでばれたんだ?
呪文はほとんど聞こえないくらいの声で言ったし、そもそもこいつは麻袋被せられていた。
だが少女はこともなく、言い当てる。
「身体強化ですよね。主に腕のあたりに」
「ぐっ」
「あとは局所的でしたが硬化魔法ですか? ぶん殴られてもレビニオさんの方が痛がっていましたし」
レビニオ。多分、あの太った富豪のことだろう。確かに吹っ飛ばされる前、手を押さえていた。
だが俺は、硬化魔法を全身にかけていた訳じゃない。頭とか、胸とか、そういう急所を守るためにかけていただけ。
……てことは、思いっきり顔を殴ったのか、あいつ。
仮にも自分の使用人の、こんな小さな少女の。
どさくさに紛れて俺も殴っておけばよかった、なんてことをちょっと思って。
「図星、みたいですね」
「あ、いや」
反論できていないのに、気がついた。
なにか言おうとする前に、彼女はにこりと笑って、それから綺麗にお辞儀する。
「お助けいただき、ありがとうございます」
「……だから俺はなにも」
「ここでしらばっくれるのは少々格好悪いですよ」
頭を下げられたままそう言われてしまうと、立つ瀬がない。
いい加減、認めざるを得なかった。
「……実際なにもしてないよ。自分で殴って自分で助かっただけだ、君は」
「その助力をいただけたのに、心より感謝申し上げます」
「……」
負け惜しみみたいな言い訳にも、彼女はただ頭を下げる。恭しくそうする姿に、思わず息を飲む。無惨に破けた服装でいても、そうする姿は敬虔な信徒みたいだった。
「私、感動しているんです。一時はどうなるかとも思いましたが、あなたに出会えて、ええ!」
「ああ、うん、それはまぁ……」
恭しく、頭を下げて……
「正しい行いに報いはあるんだって! ちょっと怖かったけど、やっぱり告発して良かったって!」
「……怖かったならやめたほうがいいと思うよ、これからも」
「だからっ!」
「うお」
敬虔な、信徒みたいに……
「本当に助かりました、救われました! 私、感激しているんです! ……あなたは、素晴らしい正義の味方です!」
「いやもう分かったって……」
拳を握りしめ、下着が見えそうになるほど破れまくった服で俺に抱きつかんばかりに感動を表現するエルフ……エルファル。きらきらの笑顔で語る姿は、もうなんか、遠慮とか慎ましやかとか、そういうものを投げ捨てていた。
そのちょこちょこおかしな言動に、頭の右の端っこのあたりが金切り声みたいな警告を上げる。
……この子、多分やばい。
関わったらロクなことにはならない。
「……まぁ、怪我がないなら良かったよ」
「はい! 本当に……」
「それじゃ、……今度は気をつけて」
「あ」
すぐにきびすを返して、その場を後にする。宙ぶらりんのありがとうが少し耳に残ったが、今度こそ気にしない。
気にしていられない、無職の身では。
それでも残る申し訳なさを押さえ込みながら歩く。
日はほんのちょっとずつ昇り始めていて、街が空色になっていく。あと少しで、何もかも目覚めるのだろう。
それまでは、本当に静かで。
……ついてくる足音も、やたら聞こえた。
「……なんで来てるの?」
「もう少し、ご一緒したいな、って」
「いやだからそんな余裕は……」
「何かお困りなんですね? お手伝いします!」
足を止めない俺に小走りで着いてきながら、にこにこで話を続ける少女。なんでそんなにこだわるんだ……困惑しつつ、どうにか説得を試みる。
「これから仕事探しに行くんだ」
「なるほど、お供します!」
「いやなんで……?」
子連れじゃないんだから。
「ですが私、土地勘ありますし、顔も広いですよ!」
「いいよ、悪いし」
「そんなお気になさらず。あなたのためならそのくらい、なんてことありあせんよ!」
「あの……」
いくらか話してみても、エルファルは引き下がる気配がない。にこにこの笑顔がむしろ怖い。押しが強すぎる。
ぴったり、真後ろについてくる足音。
俺は足を止め、覚悟を決めた。
「……あの、さ。色々親切にしてくれるのは、ありがたいんだ」
「はい!」
「でも、悪い……正直、迷惑だ」
「あ……」
ようやく。
その足音が止まる。
声もなくなった彼女の顔が、どんなものかは想像がつく。頭に浮かんで、胸が苦しくなる。
自分でやっといて、なんて。
嗤っても、やっぱりダメで。
せめてその好意には頭を下げようとして、振り返ろうとした瞬間。
「ネインさん!」
「え、ちょぐあっ」
エルファル飛びついてきた。
幅跳びのようにアグレッシブな動作で。
よろめくなんてものではなく、二三歩押されてのけぞって。
その俺に、エルフはしっかりしがみつく。
「お願いします! もう少し私とご一緒してください!」
「おまっ、とりあえず離れろ!」
「嫌です! 離れません!」
「とりあえず物理的に手を離せ重い重い重い!」
「軽い方ですよ?」
「重いんだよそれでも色々と!」
振り払おうにも、足まで使ってひっつかれると振り落とした後が怖くて手が出しづらい。しかも本人も必死で、肩にも腰にも痕が残りそうなくらい爪を立てる。痛い。重い。
「とりあえず離れろエルフ! 話はそれから」
「違います私エルフじゃありません!」
「……その耳で?」
「尖っているだけですまだ十五です!」
「名前、なんだっけ」
「エルファルです!」
……四捨五入したらエルフだろ、それは。
「違います私お酒飲めませんもん!」
「飲ませる気もないし連れていく気もねぇ!」
「いい喫茶店知ってるんですよ私?」
「だから行かねぇっての!」
時間が経つにつれて別の問題が発生し始める。こいつ、下着が見えそうなくらいにぼろぼろの服で、それを気にせず暴れ回るのだ。
そんなんだから、もう服が脱げそうになっていた。なんなら上半身はかなり危なかった。腕を掴もうとすれば剥き出しの白いブラに当たり、慌ててもう片方を押さえようとすればその肩紐に引っ掛かり……
息つく暇がなかったり、柔らかかったり。
十五相応の大きさでも、この距離だと分かるなとかなに考えてんだ俺。
とか、愚痴っていると。
「あ、あんた……!」
「!?」
知らない声が飛んでくる。
見れば。
いつの間にか、すぐ近くの家から化粧途中っぽい熟年くらいの女性が飛び出してきていた。
フライパンを持って。
「そんなちっこい女の子になにをしようっていうんだい! 早朝だからバレないと思ったら大間違いだよこのヘンタイ!」
「ちょ、ちょっと待ってくださいそんなこと」
「そんなビリビリに服を破いておいて、何を言い逃れしようとしているんだいこの幼女好き!」
くそっ、本当に違うのに俺もそうとしか思えねぇ……!
「待ってなエルファル! 今助けるからね!」
「おいあれお前の知り合いなのかよどうにかしてこい!」
「私! ネインさんと! もっと一緒にいたいんです!」
「分かった分かったから早」
スパァァァン……
学んだことは二つ。
フライパンは固い。
可愛い幼女には服を着せろ。