11.ダンジョン特別講座~雑談編~
「まだかっなー、まだかっなー」
楽しそうなエルファルの歌と、火がじりじりする音が、狭い部屋であっちこっち跳ねる。
その熱を額辺りに感じながら、男二人は黙って座っていた。
「……」
「……」
「まっだかなー、まだ、まだかなかっなー」
裏拍を踏んだり、ビブラートしたり。創作っぽい歌は、意外と聞いてて飽きない。まぁ歌詞は「まだかな」しかないが、これはこれで民謡っぽくて楽しい。
嘘だ。別に楽しくはない。
「……」
「……」
……むしろ少し、きまずいものがある。
俺自身は別に、無言も気にはならないタイプだ。ただムーア少年がそうか分からないのが心に引っ掛かる。どうするべきか、大人として、何か話を振るべきか……
「まだまだかなかな、かなっかな-!」
リフレインする歌がちょっとうるさい。いやリフレインって言っていいのだろうかこれ。なんも考えてないだろ絶対。
など、やや現実逃避じみた思考を巡らせていると。
「……ドッホ、さん」
ぼそぼそと、遠慮がちな声がした。
……久々だな、名字で呼ばれたの。
「ネインでいいよ」
「じゃあ……ネイン、さん」
まだかなの歌はしつこく鳴り続けている。ちょっとばかし、意志疎通の邪魔になるくらいに。
それに困惑しながらも、ムーアはゆっくり言葉を選んでいた。
「なんで……そんなにダンジョンに詳しいの?」
「ああ、なるほど」
そりゃ、当然の疑問だ。普通ダンジョンが植物だってことさえ知られていないのに、その上詳細な生態まで知っているのだ。町の便利屋を名乗っておいてそれはかなり気味悪い話だろう。
とはいえ、そう複雑な話でもなく。
「まぁ、職業柄だよ」
「冒険者?」
「ああ」
「じゃあ……エルファルさんも」
「ああ、違う違う。あくまで元、だ。今はただの無職だよ」
無職。さらっと言ったが割と自分に刺さった。だがムーアは特段気にした様子もなく、なるほどと頷いている。
次の質問は、出てくるのに少し時間がかかった。
「……それじゃ、ネインさんは」
「ん?」
「ダンジョンは、好き?」
一瞬その質問の意図が取れなかった。というより、なぜそんな話を?
だがすぐに理解する。
頷く俺を見るムーアの目は、不安げに揺れていた。
「別に、好きだからおかしいってことはないと思うぞ」
「っ」
「そりゃむっちゃ危ないけど、傍目から見たら格好いいってのも分からなくない」
この世で最も危険なものって言われるくらいだ。危ないなんて言葉じゃ足りない、絶望と恐怖の象徴。
でもそこが魅力的だと思うことに、俺は異常とは思えない。
魔力を与えられてこの世ならざる進化を遂げた生き物。不思議に歪められた植物。幻想的で、この世ならざるその内側は、見惚れてしまうほどに凄まじい。
なのにそこにあるかは見えない。聞こえない。魔力の壁が内と外を完全に分かちて、挑む力のない者に分かるのはただ積み上がっていく死者の数だけ。
その恐ろしさに、超常に、憧れる気持ちは俺にもある。
かちゃりと、ポットの蓋を開ける音がする。いつの間にか「まだかな」の歌は、「紅茶」のワルツに変わっている。愉快というか、正直ちょっと不気味だ。リズムが。
「でも、中では人が死んでて、この町だって……」
「それ言ったら冒険者連中はその死体の上で『よっしゃ宝だ!』って群がってるんだぜ?」
その元一員としてはちょっと耳に痛い話だが。でもまぁそういうことだ。人がそこで死んでいる、でもそれだけでしかない。
それでも納得できないようで、ムーアはまだ口ごもっている。
一つ、俺は口を開いた。
「ここからずーっと北、アインバーグって山の頂上にはな、ダンジョンがあるんだ」
「……え?」
唐突に話し始めたことに頭が追いつかないようで、ムーアは目を丸くしている。
構わず、続けた。
「名を『空の果て』。数百年前から人を飲み込む山、って言い伝えられてきた、アインバーグの怪異の正体だ」
「えっと……ネインさん?」
「十数年前だったかな。竜の討伐を成し得た百人近くの冒険者らがそこに挑んだことがあった。そして―――たった一人だけ、帰ってきた。真っ白な顔で」
「っ」
曰く。
『屍肉を啄むカラス五匹が、一瞬で百人を突き殺した』
『這々の体で逃げた奴らが、突然内蔵を吐いて死んだ』
たった一人の生き残りは、その二つを書き残して翌日、首を吊った。そしてそれ以上のことは、未だ一つも分かっていない。
「誰一人、生きて帰ってこないから」
「……」
「あらゆる意味で、世界一危険なダンジョンだよ。挑みたがるような奴は命も金も大切じゃないような狂人だけだ。まぁそういう奴に限って挑めるくらいに強くて、でも結局死ぬんだが……」
ちらりと、その顔を伺う。ごくりと唾を飲んで、ムーアは額に汗を垂らして、俺の話に聞き入っている。
けれどその目は、どこか輝いていて。
……そうだろうな、やっぱり。
「わくわくするか?」
「っ! いや」
「いいや、してるね。エルファルに聞かせたら青くなるぞこんな話」
しどろもどろのムーアが反論する前に、なんですかー、とエルファルが振り向く。見れば、もうティーカップに注いでいる頃だった。
もうすぐ、来るかな。
「……まぁ、普通怖がるものを好きだってのも、才能だし」
呟くみたいに言ったことは、戸惑いっぱなしのムーアの耳に届く。
「『空の果て』の話聞いてわくわくできるなら、案外ダンジョン探索なんかに向いているのかもな」
「あ、っ……」
……勧めようとは全く思わないが。
捨て台詞じみた言葉にムーアが何か返す前に、エルファルができたー! と声を上げる。そのままタンゴのリズムで「できたできた」と歌い出す。紅茶淹れてるときは歌わなければいけない自己ルールでも持っているのだろうか。
そんな歌に遮られて、会話が途切れて。
「じゃじゃーん、です!」
「おおー……?」
歌が途切れると、紅茶がやってきた。
綺麗な陶器を受け取ると、ふわりと漂ってくるものがあった。春の花のような柔らかな香りに、自然と体が静まる。口に含むと、ほのかに甘く、心が和む。
「……うまいな」
「やった-!」
淹れた本人は全然落ち着いていなさそうだったが。
「ささ、ムーアくんも! 私、初めての紅茶です!」
「あ、うん……」
言われても不安にしかならないことをぶっちゃけながら、エルファルは困惑するムーアに迫る。おずおず、というよりおどおど、と言った調子でムーアも一口飲む。
ほっ、と息をついて、また一口。
「……うん、おいしい」
「え、そんなにですか……?」
淹れた本人が不安になってんじゃねぇよ。
首を傾げながら自分も飲んで、エルファルもほかほかした顔になって、俺達の間にもくつろいだ感じの空気が流れる。ゆったり、寝転んでいるような気分。狭い部屋であぐらをかきながら、談笑ともいえない談笑を交わして。
ただ一人、無言であった少年は。
「……」
ふと。
何か腹をくくったような、息を吸う音がして。
「……あのっ」
振り絞ったような声を、ムーアが出す。
「どうしました?」
「……ダン、ジョン」
「……へ?」
「他にも、ダンジョンの話……聞かせて、くれない、かな」
尻すぼみになる声。余計に混乱したエルファルが、言葉も出せずにこっちを見ている。
おかしくって、俺は声を出して笑ってしまった。
「ちょ、なんで笑うんですか!」
「お前じゃねぇよ、ふふっ……はははっ」
「いやまだ笑うんですか……」
半ば呆れ顔のエルファル。みるみる顔を赤くしていくムーア。そのままだとティーカップを叩きつけたりとかしそうで、さっさと俺は話し始めた。
「そうだな……『ミュルク森の大迷宮』ってのがあってな?」
「え、と、ネインさん?」
相変わらず理解の追いついていないエルファルを置き去りに、『空の果て』にも並ぶ危険ダンジョンの話を始める。
数刻。
予想通り青い顔になったエルファルと、楽しそうにメモを取るムーアを相手に、俺は物騒で夢のある話を続けた。