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8.ダンジョンという生き物

 ダンジョン。


 そこは恐ろしく、そして危険な場所。


 迷い込めば死ぬしかない地獄。


 無数のトラップ、凶悪な生物、そして行けど戻れど帰れない、出口のない迷宮。


 森、山、どこにでも現れ、唐突に人を喰らう厄災。


 厄災。地獄。伝説に語られ、現実に人里を蝕む禍物。




 だからこそ、その実体について調べる者は少ない。その研究内容に興味を持つような者も、滅多にいない。

 だってダンジョンとは恐ろしい物で。

 ただ警戒し、関わらないでいるべき事なのだから。


 ダンジョンが、どんな生物かなんて。

 知る必要なんかないことだから。






「ダンジョンは、植物なんだ」


 薄暗い部屋に、俺の声が木霊する。


「種から生まれ、根を生やし、その領域を自らの狩り場とする生物。その成長の過程で、領域内に大量の魔石が生まれ、モンスターは凶悪になり、その素材が持つ強靱さや魔力量も増す。ダンジョンコアだって一つの大きな魔石だ。これ自体、とんでもない値がつく」


 誤解のないように、何もかも言う。

 今度こそ、残酷な間違いがないように。


「冒険者は、それを目当てに命を捨ててダンジョンに挑む」


 何もかも。

 たとえその事実が、少年を殺す刃だとしても。


「だから……」

「もう、いいよ」


 ムーアは、嗄れた声で言う。


「もう……いい」











 ランプの明かりが明滅する。湿った臭いが、いつまでも鼻に残る。

 冷たく、痛い沈黙が、膜のように肌に張り付く。


 部屋はずっと薄暗くて。


「……」

「……ムーア」


 俺は、立ち尽くすことしか出来なかった。


 俺が殺した少年は、ただうずくまって、あれから指一つ動かしていない。ときどき漏らすため息は、軋む音にも似ていた。

 本当に死んでいるみたいだった。


 かける言葉は、あるのだと思う。ムーア少年が何を考えているのか、分かるのだから。


『無駄だった。何もかも、今までのこと全て』


 手を血豆だらけにして掘り尽くしたこの場所も、きっと何年もかけて調べ上げたかつての『槍の森』の知識も、母に身を裂くような思いを味わわせて、それを自覚しながら、それでもやり続けたすべての事が。

 全て、何もかも。

 無駄だった。


 決断も、覚悟も、努力も、金も。

 苦しみも、痛みも、全身を這い回る辛さも、体中を食い漁る焦りも。


 全部、何もかも。


 無駄。


 無駄、意味がない、役に立たない、余計、いらない。


 無才、非才、無益、ろくでもない、くだらない。



 いらない。



 いらない




 いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない、いらない




『いらないわよ、あんたなんか』









「……もう、いい」


 ぽとり。

 落ちた言葉は、何も変わらない。


「全部、無駄だった」


 それでも、俺は。


 立ち尽くすことしか、出来なかった。


























「一つ、伺いたいのですが」


 呆然と、置物みたいに立っているだけだった俺の袖を、誰かが引く。


 大事そうに、小さなバスケットを脇に置いて。

 エルファルは、いつもと変わらない顔で問う。


「ネインさんは、ダンジョンに詳しいのですか」

「……まぁ、そうだ」


 無駄に、詳しい。

 独りごちる俺の言葉に、エルファルは首を傾げもしない。


 そして、もっとおかしなことを言い出した。


「なら、もっと詳しくお聞かせ下さい」

「……え?」

「ダンジョンのこと、その生態のこと、ませき? ができるまでとか……とにかく、なにもかも」

「……なんで?」


 思わず口を突いて出た疑問。

 エルファルは何を当たり前のことを、とでも言うように答えた。


「この町がダンジョンで栄えたのは事実なのでしょう? ならダンジョンに頼らずとも、その情報の中にこの町を生き返らせるヒントだってあるはずです」

「……は?」

「幸いここには、町のどこより豊富なかつてのダンジョンについての資料があります。これを活かせば、きっと何かいい方法を思い付けるでしょう」

「いや……あの、なぁ」


 思わず溜め息が出来る。はっきり言って、無茶苦茶だ。水は山から流れてくるから、山を知れば無からも水を生み出せる、って言っているようなものだ。

 そりゃ不可能じゃないだろう。でも出来る訳ない。


 子供にだって、分かるような話だ。


「……いいんだよ、エルファルさん」

「へ? 何がです?」

「もう……分かった。分かったんだ。その人に教えてもらって」


 ムーアが、ぽつりと言う。


「最初から無理だったんだ。僕は馬鹿で、お母さんにまで心配かけたけど……ううん、やっぱり僕は大馬鹿だった」

「……」

「無駄だったんだよっ……全部」


 泣きそうな声は、最後には涙声に変わる。鼻をすする音が、虚しく部屋に響く。堰を切ったように溢れ出した涙は、地面に染みて黒くなる。

 無駄、だった。うわごとみたいに、そう繰り返す。


 エルファルは、そんな彼をじっと見て。

 ただ、呆れた。


「確かに、馬鹿ですね。ムーアくんは」

「……え?」

「いつネインさんが無駄だなんて言いましたか」

「いや、さっき」

「ダンジョンの由来を語っただけです。種から生まれ育つ生物だと」


 言い放つエルファルの顔は真剣そのもので、ムーアは更に困惑する。俺だって困惑だ。

 だって、それは彼の努力が、結局のところ……


「だから、作れないって、こんなの無意味だって」

「なぜ無意味だって決めつけるんです!」


 けれど。

 エルファルは、怒鳴る。


「ここにはあなたの努力がある。町の人達もほとんど知らないような古い書物、詳しい人をを懸命に探し回って聞き出したダンジョンの歴史、姿、そのメモ、そしてそれらを読み解き形にしたダンジョン……それに詳しいネインさんをして『精巧』と言わしめた、立派な場所です」


 まっすぐに、真摯に。


「それが無意味なんてこと、ありますか」

「だって意味はなかった!」


 少年もまた、怒鳴る。

 まっすぐ、全てを吐き出す。


「必死で作った、記録を見て、整理して、きっとそうだった地図まで作って、考えた。でも意味はなかった、無駄だった、だって……」


 最後の、一滴まで。


「だって……ここは、ダンジョンじゃない」

「そうですね」


 エルファルは動じない。受け止めて、飲み込んで、それでもただ彼の目を見つめている。

 そして、言い切る。


「ですが、それでも、無駄な訳ない」

「この……分からず屋!」

「分かっていないのはあなたの方です」


 エルファルは、ただ毅然と言い放つ。いつかのように、敬虔な信徒のように。


「意味を持つのは、結果だけですか」


 ムーアがいくら睨んでいても。泣きそうな目が、自分自身に爪を立てながら、血を流しながら訴えても。


「ただ結果が間違っていたから、あなたの数年間の全てが無駄になるのですか……そんな訳ない。手段を取り違えたところで、あなたが積み上げてきたもの全てがゼロになるなんて、ありえない」


 だって。


「あなたは、正しいことをしようとした」

「……」

「だったら、いつか報われます。何一つ、無駄になるわけない」


 柔らかな笑みが、静かに語る。

 思わず、といったようにムーアは目を逸らす。


「……それは、理想だよ」

「いいえ、本当です……ですよね、ネインさん?」

「……」

「ネインさん?」


 二度呼びかけられて、ようやく自分が呼ばれたのだと気付く。

 それでも俺は、答えられずにいた。


 努力は報われる。美しい言葉だ。額に入れて飾りたくなる。

 だが、実際はどうだ?

 俺は、報われたか?


 自問自答は限りなく、その度に頭が痛くなる。忘れたいことが頭の歯車に挟まって、みしみしと軋みを上げる。


「まぁ……ムーアくんの言うとおりだな。理想だよ、それは」

「……」


 でも。

 そう、俺は口角を上げて見せた。


「案外現実は、理想っぽいもんだぜ」

「……!」


 驚いたようなムーアの顔を見ていると、ほんの少し気分が上を向くようで。

 俺はおどけて続けてみる。


「メモの準備はいいか?」

「あ……待って!」

「ごー、よーん」

「ネインさん、私は何を手伝いますか?」

「……一緒に話を聞いててくれ」


 とんちんかんなエルファルに呆れ、さっさと3と2も数えて見せて。

 それはもうものすごく焦り出すムーアをエルファルは手伝いだし、なんかそれで余計にヒドイ事になって。


 そうして眩しいくらいに必死なムーアの顔を見ていると。

 何か救われたような気分になる俺がいた。

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