7.シルマギという町
「この偽ダンジョンは、どういう意図で作ったんだ?」
そう問うた瞬間、少年の顔から血の気がすっと引く。
「……どう、して」
「分かったのか? まぁ、色々あるけど……先に言っとくが、別に出来が悪いって訳じゃないぜ? そもそもダンジョンの模型なんて作る人見たことない。それ抜きにしても、かなり精巧だ」
「そんなこと聞きたいわけじゃない!」
くわっと口を開き、ムーア少年は俺に噛みつく。すぐにエルファルが止めようとするが、俺はそれも制した。
だって、止めるにはもったいないくらいいい具合だ。
「なんで、偽物って分かった!」
「色々ずさんなんだよ」
「っ」
熱くなっている。
たった一言に、唇を噛むくらい。
「まぁモンスターがいないのは仕方ないとして、トラップの方をもう少しどうにかした方がいいぞ。殺意が足りない。密度がひっくい。何より、起動方法が感圧式だけってのはさすがにお粗末すぎるぜ。転がってきた岩を転がし返すだけでも対策出来ちまう」
「っ……」
「もう一度言うが、別に出来が悪いって訳じゃないぜ。事実親御さん達は、もっと未完成の時期から追い返せたんだろ?」
そう、別にこれはお世辞とかではない。そもそもずさんと言ったトラップだって、ふつう作れるようなものじゃない。そもそもこうやって地下に穴を掘って作っていくの自体、大の大人にもなかなか出来ることじゃないだろう。
けして、努力が足りないとか、そういうことではないのだ。
ただ、相手が悪かった。
「俺はそういうのにちょっと詳しいからな」
「……でも、偽って分かるのか」
「分かるな。冒険者とか、ダンジョンに潜りたがる狂人共なら多分分かれ道がないだけで怖がるぜ。こんなダンジョン見たことねぇって」
偽って気付ける頭があるかは知らない。
冒険者って基本腕っ節強いだけの奴らだし。
俺の話がよほどショックだったらしい、ムーア少年はうなだれて、動かなくなってしまう。
ふと呟くみたいに、エルファルが言う。
「……なら、帰れない用事って、これのことですか?」
「……」
「こんな、遊びみたいなことのために、帰れないって?」
「……遊びなんかじゃ、ない」
ぽつりと、少年が反論する。
「これは遊びなんかじゃない、大切な……やらなきゃいけないことだ」
「どこが……危険なもの作ってるだけじゃないですか。こんなことのために、エンカさんどれだけ心配したか」
「知ってる」
「分かっていません、こんな、遊びなんかで」
「―――遊びじゃないんだよ!」
激昂が、土壁を揺さぶる。
気圧されたみたいに、エルファルが口を閉じる。
少年は、赤くなるほど強く拳を握りしめていた。
「エルファルさんだって、分かるだろ。この町のこと。このままじゃ、やばいって」
「……」
「みんなも分かってるはずだよ。行商も来ない、旅人も来ない、うちだってずっと赤字だ、もう数年もしたら出ていかなきゃならなくなる……分かってる、分かってるんだ。だから……」
「だから、ダンジョンを?」
思わず問うた声に、少年は少し驚いたような顔をする。
エルファルは、まだ飲み込めていない顔で聞いた。
「どういう、意味ですか?」
「ダンジョン近郊の町は発展するって、まぁ言われることがあるんだよ。冒険者とか人が集まるからな」
「でも、それを、この町で?」
そのとき少年は、やっと顔を上げた。
泣きそうな顔だった。
「……南の山の中に、昔ダンジョンがあったんだ。すごく恐ろしいところだったらしい、たくさんの冒険者がやってきて、たくさん食われた。そしてまた冒険者が来た。人がたくさん来て、それに合わせて町には店が増えた」
「……」
「……でも、十年くらい前に踏破されてしまった。その頃から、もうこの町はやばかったらしい」
「え……ダンジョンがなくなったのに?」
そう問うエルファルの感性は、別におかしなものじゃない。
ダンジョンとは、恐ろしく、そして危険な場所だ。迷い込めば死ぬしかない。無数のトラップと凶悪な生物、そして行けど戻れど帰れない出口のない迷宮。森に山に、どこにでも現れ、唐突に人を喰らうそれは厄災そのもの。
そんなものを好む者など、冒険者のような命知らずくらいだ。普通の町民にとって、それはさっさと駆除されてほしいものでしかないだろう。
だがムーア少年の言葉は、何一つ間違っていない。
「……ダンジョンありきの町だったんだよ。なくなってしまえばもうここに来る人なんかいない」
「あ……」
「それでも踏破されてすぐはまだ人はいたんだ。ダンジョンから解き放たれたモンスターとか、そういうのを目当てにする冒険者がいたから。でもそれも狩り尽くされて……そして、五年前のあれだ」
その一言に、エルファルの顔が暗くなる。
その時何が起きたのかは分からない。だが守衛が全滅するようなことだ。町が滅びてもおかしくない事態だったのだろう。
その時も、これからも。
「駄目になる一歩手前なんだ。このままじゃ、本当に滅びちゃう。でも町長も地主さんも、何もする気配がない。だから」
「そのために……」
「もう一度ダンジョンが出来れば、きっとまた冒険者が集まる。この町もにぎわうはずなんだ」
そう語り尽くして、息をつく。言ってしまったというような後悔と、もうないという覚悟。揺るぎない決意が、俺達の口を塞ぐ。
きっと、それが最後の希望なのだろう。だからなんでもできる。どこまでも頑張れる。
その証拠が、地面に散らばった紙束だ。かすかながら、そこにびっしりと書かれていた文字は、遠目にも少しは読めた。
『【槍の森】探索について』
『あたりは霧に覆われ、異常に細く鋭い木が立ち並び……』
『……三名が侵入。その後帰らず。死亡したものと……」
槍の森。それがきっと、十年前ここにあったというダンジョンの名なのだろう。おびただしいほどの紙には、そのダンジョンのことがひたすら詳細に書かれていた。どこからどこまでが領域だったか、どんなモンスターがいたのか、そしてその長年にわたる探索の記録まで。
そんな昔の記録、散逸していたに決まっている。まして子供が調べ上げるなんて、無茶苦茶だ。
それでも彼は調べ上げたのだろう。
足りないことはお年寄りに聞いて、町の書物を読みあさって。
「……だから、僕は帰れない」
「ムーア、くん……」
こんなにも、覚悟を決めて。
ぎらぎらした目。きっと俺達が退けば、少年はさっき言われた問題点を修正にかかるだろう。分かれ道を作り、トラップをより精密にし、モンスターだって呼ぶかも知れない。やりかねない。ムーアという少年は、それくらい、真剣だ。
それだけ、この町が好きなのだ。
この町を、救いたいのだ。
「……一つ、いいか」
「……ネインさん?」
だから。
もう、見ていられなかった。
「ダンジョンのある町がにぎわう、ってのはまぁ、その通りだ。名前にもよるけどな」
「名前……?」
「要はどんだけ手強いかだ。手強いからこそ冒険者が集い、そいつらの落とす金で町が発展する」
「……弱いっていうなら、もっと強くするだけだよ。迷宮にして、罠だって増やして」
ぎらぎらした目が俺を睨む。
「誰も踏破できないくらいに」
「あぁ……そこ、なんだ」
口ごもりながら、それでも俺も覚悟を決める。
だって、見ていられない。
こんな、根本から間違っていることを、後になって知るなんて。
「なんで手強いと冒険者が集まるかって、手強いほど金になるものが眠っているからなんだ。特に魔石なんかが顕著だ。魔力がこもった石ってのは、ダンジョンくらいでしか取れない」
「だったらそれを」
「で、そういうものがなぜダンジョンにあるか、なんだが」
そう、この偽ダンジョンの問題は、宝の有無でも、強さでもない。
「ダンジョンが生成するんだ。根を伸ばして」
「……え?」
「ダンジョンってのは、植物なんだよ」
ただ、偽物であるが故に。