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9.クルワグサ

「はぁ……」

「長い道のりでしたね……」


 返事をする元気もなく、地べたに座り込む。座れるだけの安全は確かめてある。そのことが本当に、心を癒やしてくれる。

 本当に、疲れた……


 罠地帯を、それもエルファルと一緒に抜ける方法。そんな都合の良い魔法を俺は持っていなかった。別に難しいって訳じゃない。それなりの魔法使いなら地面ごと焼き尽くすとか、そんな雑な方法でも出来たはずだ。

 しかし俺はそれなりの魔法使いじゃない。攻撃魔法の類いもほとんど使えない、ダンジョンで役立つ便利魔法しか覚えていない貧弱魔法使いだ。


 よって、ごり押しした。

 一直線に進んで、落ちたら『蜘蛛の糸』で体を引き上げての繰り返し。


 そんないつ地面が抜けるかも分からない心労の上、消化液の麻薬成分でふぬけた体を酷使して、その上燃費の悪い『蜘蛛の糸』を連発する地獄。

 魔力も体力も枯れ果てるに決まっている。


「もう……やだ」

「ああ、ネインさんが干した魚みたいな顔に……お疲れ様です」

「……」


 ツッコミを入れる元気もない。そんな俺の頭を、なぜかエルファルは撫で始める。気恥ずかしいし、鬱陶しい。けれど払う元気もやっぱりなかった。


「ですがほら、見てください!」


 きんきん。魔力切れで虚脱感のひどい頭には、エルファルの元気な声も痛い。てか十数回俺と一緒に消化液風呂に入っておいて、なんでこいつはこんなに元気なのだろう。


 ……だが、まぁ。

 そのハイテンションも、頷けるものではあった。


 無数の落とし穴地獄を抜けて、俺がへたりこむ目の前。手を伸ばせば届くところに、それはあった。

 雑草ほどの大きさの、しかしどう見ても雑草ではない金色のシダ。

 クルワグサの初まりにして、核。雑草の中で埋もれてはいても、それだけは傾いた日の光に輝いていた。


「道中はともかく、やっぱり距離は近かったですね」

「……育ちきってなかったんだろ」


 たった二つを抜けるのにもこんなに苦労するのだ。それでよかったと本当に思う。

 思い返して溜め息をつく俺と対称的に、エルファルはもうるんるんだった。


「じゃあ、取ってきますね!」

「あ、おい」


 るんるんで走り出す。それで何度失敗しているんだとか、言いたくなることはあったが……まぁ、もういいか。

 動くのも疲れた。

 最後くらい、エルファルに花を持たせてやってもいいだろう。持つのはシダだが。


「……全く」


 手を伸ばすエルファルは本当に楽しそうで。

 口ぶりと裏腹に、口元はゆるんでいて。





 ふと、気付いた。


 なんで、雑草なんかあるんだ。

 クルワグサは周囲の草木を糧に育つ。根に絡みつき、栄養を奪い、殺し、その死骸すらも肥として。

 雑草なんかあるわけない。他の植物など、一本だって生きられるわけない。


 なら―――






「離れろエルファル!」

「え」


 俺は、遅かった。


「―――あああ!?」


 エルファルの悲鳴が耳をつんざく。急に引いた右手を押さえて、うずくまる。

 目の前の『雑草』は、血を垂らしてぎらぎら光る。

 鋭利な刃物のように。


「大丈夫かエルファル!」

「あ、ネインさん……ネインさん!」

「見せろ、指が取れたりっ」

「服、服がぁ……!」


 この期に及んでそんなことをするエルファルに、少し怖くなりながら、その手を取る。幸い、深い傷はなかった。金シダに手を伸ばしていたからだろう、傷のほとんどは二の腕のあたりで、出血も酷くはない。

 確かに白いブラウスはずたずたになっていたが。


 多分、今はそんなこと気にしていられない。


「俺の後ろに隠れろ、エルファル」

「え、な、なんで」

「早く!」


 のろのろするエルファルを引っ張り、後ろにしゃがませる。俺の腰をしっかり掴ませる。その上で、なけなしの魔力で腕と頭に硬化魔法をかける。


「来るぞ」


 直後。

 視界を覆うほどの弾幕が、俺達を飲み込んだ。


「ぐあっ……」

「ネインさん!」

「大丈夫だから、動くな!」


 腕と頭で体とその後ろを庇いながら、それでも足下までは防げなかった。勢いよく足首に数発が突き刺さり、それだけで体がよろめきそうになる。だが下がれはしない。なんとか、堪える。


「でも、ネインさんがっ」

「いいから一歩も動くなよ……特に、後ろには」

「っ!!」


 息を呑む音が聞こえる。腰を掴む手が強くなる。それに少し安心しながら、そのたちの悪さに舌打ちした。


 そう、後ろにあるのは、大量の落とし穴が眠る土色の原。『蜘蛛の糸』がおいそれと使えない今、一歩間違えれば即死に繋がる危険地帯。


「……くそっ」


 歯噛みしながら、遠くのお化けユリの猛攻をいなす。さっきのエルファルの悲鳴はさほど大声だった訳じゃない。道中の方が騒がしかったくらいだ。

 ならあんなに遠くのユリが反応した理由は?


 一つしかない。あの刃のような葉を持つ雑草だ。あれがキーだったんだ。

 最初から金シダを狙う敵を想定して、最も近い「器官」に触れたものがいれば、掃射するようにって。

 掃射するだけでいい。敵は引くことなどできないから。落ちて死ぬか、弾で死ぬかしかないから。


 こんなクルワグサ、聞いたことも見たこともない。成長途中なんて、誤解も甚だしい。たった三つの器官だけで、こいつは成長しきっている。こういう風に成長したんだ。

 強い外敵を罠にかけ、確実に殺せるように。


「たかが植物のくせに、嫌な知恵付けやがって……っ!」


 徐々に弾幕の密度が濃くなっていく。どうやってか、俺達の居場所を把握し始めているのだろう。頭や腕で防いだ弾が、あちこちぶつかって足に当たる頻度も増える。

 いよいよ、耐えられなくなってくる。


 中腰でいられなくなり、膝立ちの姿勢になる。硬化魔法はこれ以上回せない。本当に魔力が尽きてしまう。せめて、この状況を打開できる何かを……けれど見つからないまま、とうとう膝も折ってしまう。


 はね返る弾音でうるさい中に、息を呑む音が聞こえる。

 すすり泣くような声も。


「……すいません、ネインさん」

「どれだ? 多すぎて分かんねぇよ」

「ついてきて、しまって。足を引っ張ってばっかりで」


 せめても、おどけた調子で返す。だがエルファルは、少しも笑わなかった。


「恩返しとか、助けたいとか言っておきながら、本当に役立たずでっ……」


 そして俺も、何も返せなかった。

 嫌な俺が顔を出す。何を今更って思う。本当に助ける気で来たのかって呆れもする。本当に邪魔だなって、イライラもする。俺一人ならこうはならなかったって、真っ黒なことを言い出す俺がいる。


 でもそれ以上に。

 その泣き声を、聞きたくない俺がいた。



 頭が、驚くほど回った。


「なぁ、エルファル」

「……はい」

「確か依頼書には、『クルワグサの花』って書いてあったよな?」

「え? ……あ、はい。そうです」

「よし」


 予想通りの回答に思わず安堵する。

 そう、納品対象が花なら。

 たとえ核であっても……金シダは何したっていいはずで。


 それだけ確認してから、息を整える。


 何百回とやってきたことを、なぞるみたいに。


 そっと息を吐く。弱々しく脈打つ魔力を、顔の前に集めるようにして、それからまた息を吐く。

 拙い操作で、集めた魔力を体から離していく。

 未だによく分からない回路にそれを流し込んで、満たす。


 何度やっても慣れないイメージ、何度やっても苦手な手順。

 弾を受けながら、それも済んで。


 あとは唱えるだけ。




凶火(ゴーザン)




 ふっ、と。

 雑草の一つに現れた火は、指の先ほどもないほど小さかった。調理に使うのも難しいくらいの、弱々しい炎。

 しかしそれでも、草は燃える。

 ちぢみ、よじれ、そして火は伝播する。弱々しい火が、勢いが衰えることすらなく広がって、そして金シダにたどりつく。



 やがて、シダと葉刃は灰になる。


 数秒して、うるさいくらいの弾幕も、止まった。





「あ……」


 小さな呟きが、静かになった平野に伝播する。向き直ると、びくんと肩を奮わせるエルファルがいた。

 小動物のようで、けれどおびえている風ではない。


 だからそこまで申し訳なく思うくらいなら最初からついてくるなよ、って感じではあるのだが。

 それを言う気にも、なれず。


「っ、はぁぁぁぁぁぁぁ……」

「ネ、ネインさん?」


 とりあえず、ぶっ倒れた。


 虚脱感が、全身に膜みたいに張り付いている。魔力切れの影響で、普通に疲れた体が更に重い。もう歩くのも嫌になるくらいで、一度寝てしまうと起きあがるのも難しい。

 にしても弱っちい攻撃魔法一つで、どれだけ疲れているんだって。

 ……やっぱり俺に魔法の才はないようだった。


「……エルファル、元気か?」

「え、と、おかげさまで」

「そりゃよかった」


 大の字になりながら、なんとかエルファルの目を見る。そこには遠慮も見えたけれど、それよりよっぽど困惑していた。うるせぇ疲れてるんだよ本当に。


「悪い……しばらく動けない」

「まぁ、そんな感じですね」

「から、ちょっと頼みたいんだが……」

「……え?」


 エルファルが目を丸くする。それに反応する元気が本当になくて、俺はそのまま続けた。


「多分、外周のユリは全部止まっているはずだ……ここまで来るのに踏み抜いた落とし穴、分かるよな? その縁のあたりは安全だから、ゆっくりそこを伝っていけば外に出られる。そしたら、ユリを切り離しといてくれないか?」

「……え、と」

「確か護身用にナイフ持ってたんだろ? それで、何とか……」

「……いいんですか?」


 ……何言っているんだこいつは。


「いいも何も……助けてくれよ」

「!!」

「だから何なんだその顔は……」


 些細なツッコミに、頭痛がぶり返してくる。辛い。目を閉じて、息を吐くと本当に少しだけマシになってくれる。

 その俺の額に、ぴと、と指が触れた。


「おやすみなさい、ネインさん」


 寝てねぇよ。


「あとは、任せてくださいね!」


 その元気な声につられて、目を開ける。


 走っていくエルファルは、年相応の笑顔で。

 穴に落っこちないか不安なくらい、張り切っていた。


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