第三十一話 裏工作
「さて、どうしようか、曲里君。その事故は明日なのでしょ?」
汚れた眼鏡をクロスで拭きながら、姫川は背後に立つ幸之助に目を配らせて訊く。
言霊で多少はスッキリできたのか、声色が明るい。
幸之助は向かいの席に座り直した。
「そうだなぁ。先ずは姫川さんが再び、聖霊からの許可をもらう必要があるかと」
「ですよねぇ……」
わかっていたんだと、そう言いたげなブルーな表情で、あははと姫川は笑った。
「でも、どうすれば良いのかなぁ。わかるかい? 曲里君」
幸之助は腕組みをした。
「きっと、想いが足りないんじゃないかと。だって、命を賭けて僕を救おうと決心した時から、再び使えるようになったんだからさ」
「ああ。やっぱりか……。自信ないなぁー」
姫川はテーブルに向かって両腕を放り投げるようにして、突っ伏した。
胸の弾力でテーブルから少し体が浮いている。
「姫川さん、大丈夫ですよ! 姫川さんならやれます!」
「本当?」
顔だけ起こして返答する。
「ホントですよ!」
「じゃあ、曲里君を信じるわ」
幸之助はにっこりと微笑み返した。
姫川はその笑顔を見て、
「曲里君って良い笑顔だね! 子供達が君みたいな笑顔になれるような事、私もしたいなぁ。なーんて」
と、冗談めかしに呟く。
「できますよ! 僕は姫川さんに影響されて笑えるようになったのですよ。先生とか向いているんじゃないですか?」
「せ、先生かぁ」
頬を赤らめて、姫川はズレた眼鏡を整えた。
「そうです! 僕にとっては、先生ってワードの方が言いやすくて好きです!」
「そうかぁ……。先生ね。やっぱりそっちなのかな? 悪くないかも」
姫川の表情は心持か明るくなったように感じた。
「そうですよ! ですから、明日はちゃんと来てくださいね」
「え、あ、そうね」
「では明日の朝七時四十分頃に、総武線秋葉原駅六番ホームで。そこで事件は起きますから」
固唾を飲んで姫川は頷いた。それを確認すると、幸之助は席を立ってカフェを後にした。
喫茶店の階段を駆け下り、出口のところで待ち伏せる男が居た。
「中島師匠?」
「君か、曲里君と言うのは」
そうか。
まだここでは初対面なのか。
「そうです。どうしてここに?」
「光の鏡の分派が私の持つものを含めて四つあるのだが、その中の『時間の鏡』使いから鏡を通して連絡が来てな。存在しない筈の者が逸脱した行動をして時間の歪みが起きているから、『空間』能力で直せと」
初対面の人に話していい内容なのか、いささか疑問だ。
「大丈夫ですか? 初めての人にいきなり話をしても」
「なぁに。身内からの依頼だ。信用以外の何物でもないよ。全ての時間を鏡で網羅しているからね。その分、私は主に『空間』を調整するから、こき使われて堪らないがね、ははは」
どうやら状況を全て把握した上で、接してくれているようだ。
話が早くて助かる。
「時間の歪みの原因は僕ですか?」
「如何にも。君はこのあと家に帰り、翌朝電車に乗り、スマホゲームをしながらホームに落ちて電車に轢かれなければならない筈だ。その事実を知りながら、もう一度轢かれたいのか?」
「嫌です」
「だよな?」
中島師匠はニヤニヤと、歯を出して笑った。
誰かさんの笑いにそっくりだ。
「となると、曲里君。君はその行動をしない。すると、周りからの認知を得られない。その結果、駅のホームで転落死するはずだった運命も変わり、埋め合わせとして別の誰かが轢かれる、若しくは、何も起こらないことになる。これがどういうことを生み出すかわかるかい?」
幸之助は腕組みをした。
「僕は姫川に助けてもらう必要がなくなって、今の自分は生まれなくなるから……」
中島師匠は頷いた。
「この時間内で歪みが生じるということになる。君が別空間から飛んできているのならば、歪みは生じない。でも、『時渡り』は同一時間内の一時的移動回避スキル。ということは、先程の事実を知っている君は、運命通り行動しない限りここに存在できない。このまま放置して時間が過ぎると、歪みに対して二つの調整が自然に起きる。一つ目は、記憶喪失による調整。そして、二つ目は、元の事件を再び起こすか、別の形で姫川と出会い、君が死ぬ運命を強制的に引き起こし、それを姫川が『時渡り』をして救うという一連の出来事を再び生じさせることだ」
「つまり、永遠に姫川をこの運命から逃すことはできないと、そうおっしゃるのですか?」
真剣で少し怒りの混じった目で、幸之助は中島師匠を見つめる。
「落ち着け。その為に私が来た。要は、今の君の存在を許す現象を過去に起こさせるために、その事故と関わりがある者達全ての認知を、幻影を見させることで書き換えるということだ」
その発言に、幸之助は驚きを隠せない。
「え、でもあの当時大量の人が秋葉原駅に居ましたよ。その認知を変えるって……正気ですか?」
中島師匠はにっこりと微笑んだ。
「それは大丈夫。この駅全体に幻影を張って、事故の瞬間を一時的に見せればいいのだから。それよりも、その日に会話をした四人と、家族と過ごしたアリバイを作るために、曲里家該当者に幻影を見せなければ。流石に地球全部を包む幻影を張るのは無理だからね」
「でも、別の要因で幻影が消えてしまうこともあるんじゃないですか?」
幸之助は念を押す。
「強い意識や記憶に繋がる約束がある場合、それは起こり得るね。これは対処療法だから。だが、今の問題はそこじゃない。どうやり過ごすかが、重要だ。その場の過去を成り立たせるための口実ができれば、それよりも先で幻影だった事実が発覚しても、起きた現象は改変されない。要は、事故中に偽装工作がバレなければいいんだ」
「なんか、聞き捨てならない言葉ですね……」
「ということで、曲里君。急遽で申し訳ないが、今から四人と君の家族に会いに行く。直接会わなくても、太陽の光を反射させて当てられる範囲なら術をかけられるから、居場所さえ分かれば大丈夫だ」
「分かりました。先ずはどうしましょうか?」
中島師匠は改札を指さした。
「ホーム内からだ。駅員に続いて、ホームから喫茶店に向けて光を放射させる」
二人は改札に入ると、総武線六番ホームに足を進めた。
電車を待っているかのように見せかけて、中島師匠は屋根から零れた日の光を駅員に素早く当てる。
駅員こと、天ヶ瀬は一瞬、眩しがっていたが、何事もなかったようにそのまま勤務を続ける。
「これ、やっていることが派手過ぎじゃないですか?」
幸之助は中島師匠の裾を引っ張って訴えた。
「言霊で認識疎外をしてある。オーラが見える人以外、周りから私は見えていないから問題ない」
「都合のいい能力だこと……」
「只、姫川には気づかれるかもしれないな」
「え? ホントに大丈夫ですか? 彼女、凄く重要なポジションにいるんですけれど」
「偽物だと強く認識されてしまうと、幻影が消えてしまうからな。まぁ、私の弟子だ。気づいても見て見ぬふりをして、そこは上手くやってくれるだろうよ」
姫川さん、貴方の師匠は恐ろしくいい加減な男ですよ。
それだけ期待したくなるのもわからなくはないが、少しばかり過信している気が……。
「さて、悟られないうちに当てるぞ、それ」
中島師匠は素早く光を反射させて、窓の外の電車を眺める姫川に当てた。
彼女はすぐに気が付き、席を離れ、腰を落として辺りを見回す。
二人はバレないように身を隠した。
何もないことを確認すると、ゆっくり警戒態勢を解いた。
「流石ですね。動きが錬成されている」
「まあね」
中島師匠は自慢げにドヤ顔。
師匠をほめているのではないのだがと、幸之助は突っ込みたくなるのを抑えた。
「さて、次はルーカス君と御縁さんだが。居場所はわかるかい?」
幸之助はスマホを取り出した。
そのまま、階段を下りて反対側の五番線に場所を移しながら、二人の連絡先を確認する。
「あ、やばい」
「どうした?」
師匠は幸之助の方を見る。
「二人の連絡先、この時まだ知らないや」
呆然と中島師匠は幸之助を見た。
若干、ひいている。
「友達、居ないのか?」
「ば、馬鹿にしているのか? 姫川が学校を去るまで、お互いの連絡先、交換していないんだよ。それまではあまり接点がなかったというか。機会がなかったというか。まぁ、ルーカスは後に付いてくることが多かったけど……」
「そうか。ということは、今後ろにいる金髪ボーイはその子かな?」
「えっ?」
後ろを振り向くと、ルーカスがニタニタと、悪戯げに笑みを浮かべていた。
そう言えばこの日、喫茶店を出てからホームでルーカスに会って、そのまま家に帰ったんだっけ。
アニメグッズらしきものが紙袋に詰められ、ルーカスの両手を塞いでいる。
「うわっ。びっくりした~」
「コウタロウ! ナニシテいる? オジサンとデート?」
「ふざけるな」
「ふざけてナイヨウ! たのしそう。ボクもマゼテ!」
幸之助は横目で中島師匠を見た。
認識阻害が聞いていない。
流石、適合者だ。
瞬時に中島師匠は鏡の光を当てる。
すると、ルーカスは独り言を言うように、到着した電車に乗り込んでいった。
「幻影を見ると、あんな感じになるのか……」
「彼は、過去に起きた君の行動と会話をして帰っている。私の幻影もおまけで一緒に居るがね。多少のことは目を瞑り、優しく見守ってあげようじゃないか」
「これ、他の人からも独り言を言っているように見えるのですか?」
「術をかけられた人から半径一キロメートルは幻影が有効だから、痛い子には見えていない筈」
ルーカス、お前は心の広い男だ。
君を一人にした訳ではないぞ、決して。
「御縁さんは見当がつくかい?」
「彼女、占い師だから何か告知をしているかもしれないな」
幸之助は再びスマホを開き、検索する。
「えっと、『占い師マッキー』っと。あ、新宿でサイン会やってる」
こんなにあっさり見つかっていいのだろうか。
ネット社会、恐るべし。
「このまま次の電車で新宿に向かえば、一件落着だな。後は、家族だが……」
「父は出張で戻らないです。妹はそろそろ帰って来るかな。後は、夜遅くに帰宅する母だけど」
「それはまずい。なんとか太陽が出ているうちに会えないか? 月明りでは明かりが弱すぎて幻影が作れない」
幸之助は眉間にしわを寄せる。
「仕事場が遠いので、それは望み薄ですね」
「瞬間移動を使ってみればいけるか?」
「そうか! それがあれば!」
「私に任せなさい」
五番線に電車が入るアナウンスが流れ、電車が二人の目の前を通り過ぎて停まる。
中島師匠は中に入ろうとする人々の最後尾に後退り、合掌。
幸之助はそれを確認し、乗り込んだ。
振り返ると、もう姿はなかった。
幸之助はそのまま新宿駅を目指した。
新宿の某書店。
サイン会の立て看板が立っているのを確認して、店内に足を進める。
かなりの行列の先に、パーテーションに仕切られている空間がある。
列が進む気配がない。
おそらく、サイン会はまだ始まっていないようだ。
「とりあえず裏手を確認してみよう。店内だと太陽光も入らないし、外に出てきたところで当ててもらわないと」
幸之助はスマホを取り出した。
時刻は十四時四十三分。
日の入りは約十八時四十分。
運良く御縁に出会えればいいが、ここでタイムロスをすると、中野にある自宅に戻ったときには日が落ちているかもしれない。
当てるのに苦戦する訳にはいかない。
「残り四時間とちょっとで、三人に光を当てるとなると、ギリギリだな」
幸之助は頭をかしげて考える。
「瞬間移動を使うか? でも、突然現れたら不審がられるし、内部構造が分かっていないと何処に出るか分からない。ここはやはり、バックヤードから侵入するしかないな。そこを狙ったほうが確実だし」
物陰に隠れながら、幸之助は建物に侵入した。
従業員用通路は簡単な通路で、あっさりと控室を見つけられたが、入口前に監視が立っていた。
「いちかばちか……」
幸之助は堂々と、入口前まで進んだ。
手帳を持ったしなやかな女性が行動を不審に思い、キリッとした目つきで幸之助を睨む。
察するに、御縁の秘書あたりだろう。
鋭い目つきだ。
ここは、落ち着いて……。
「みえ……マッキー先生の知り合いで、挨拶に来ました。少し外の空気を吸いながら、手短にお話ができればと思いまして」
「お知り合いの方でしたか。この後、先生はサイン会が控えております。代わりにお話をお伝えしますので、今はお引取りください。お名前を――」
「ごめんなさい。急用でして、今すぐお話したいのですが」
「それはできません。申し訳ございませんが、お引取り願います」
これはまずい。
なんとかやり過ごさないと。
「どうかしましたか?」
扉が開いた。
フェミニンなフリルの付いたワンピース姿の御縁がこちらの様子を伺う。
「え? 曲里君? え? なんでここに?」
御縁は鼻を赤くして動揺している。
幸之助は彼女の腕を掴んで引っ張り出す。
「え? ちょっと!」
「ごめん。急いでいて。すぐ終わるから」
「え? 何? どういうこと?」
「会わせたい人がいて」
「会わせたい人?」
幸之助の行く手に秘書が両腕を広げて立ち、せき止める。
「困ります。お止めください」
「すぐ終わりますから、お願いします」
幸之助は深く頭を下げた。
「駄目です」
秘書は頑なに道を開けるつもりはないらしい。
「すみません!」
秘書の脇の間を強引にすり抜ける。
「こら! 待ちなさい!」
急いで二人は、店の外に出た。
「戻って来てくれ!」
思わず叫んだ。
中島師匠の姿が目に映る。
隙かさず、光を御縁に瞬時に当てる。
「まぶしっ!」
御縁が光を腕で遮る。
段々と、視界が開ける。
「曲里君、誰も居ないじゃない。一体何だったの? あれ? 曲里君?」
彼の姿はいつの間にかなくなっていた。
中野駅のアナウンス。
電車のドアが開き、降車。
「妹は合ってくれないと思うので、ベランダに控えて、出てきた所を狙ってください。母は、どうでした?」
「飛んだ先はビルの中でね。ネームプレートで探してすぐわかった。名字が分かりやすいって良いな。陽の光が入る所だったから、すれ違い様に当ててきたよ」
「助かりました……」
「妹さんは上手くいきそうかい?」
幸之助の表情が曇る。
「部屋に閉じこもっていることが多いので、長期戦かと」
「何か策はないのか?」
「一つだけ……。寄り道していいですか?」
南口を出ると、二人は早足で目的地へと向かう。
数十分後、曲里家のアパートにたどり着く。
中に入るなり、幸来子の部屋の前に立って声をかける。
「ゆき……」
そうだった。
この頃の自分は、妹の名前を呼んでいない……。
咳払いして、改めて口を開く。
「冷蔵庫に『いちごタルト』入れてあるから。好きな時に出して食べな」
「え? まさか、あの店の『いちごタルト』? どういう風の吹き回しよ!」
ドア越しなのに、声が聞こえる。
どうやら興奮しているようだ。
こちらに来そうな予感がして、幸之助は咄嗟にドアから離れ、身を潜めた。
中島師匠はベランダで太陽光を調整している。
「いちごタルト、早速食べるわよ!」
意気揚々とした声と共に扉が開く。
中島師匠はあっという間に光を当てる。
すぐに幻影が効いたのか、幸来子は「何か企んでいるでしょ。貸し借りとか、そういうのなしだから」と、独り言のように話をしながら、冷蔵庫からタルトを取り出す。
嬉しい感情を隠しつつ、ツンとした表情で部屋にそれを運んでいった。
中に入ると、黄色い歓声が上がる。
幸来子が部屋に入ったのを確認し、二人はアパートを出た。
「これで終わりましたね」
「お疲れさん。ギリギリだったな」
辺りは少し暗くなり、オレンジ色の空が広がっている。
「うまくいってよかった……」
中島師匠は幸之助の肩を叩いた。
「馬鹿。明日が本番だ。未来はまだ、何も変わってはいないぞ」
おっしゃる通りだ。
姫川を救う算段が取れたというだけだ。
「これで、本来の君と別行動をとっても、問題は起きなくなった。後は天に運を任せろ。君が望めば、必ず救える。そういうものだよ」
「ありがとうございました」
中島師匠は鼻で笑い、先に歩き出すと、
「礼には及ばない。私も彼女を救いたい立場だ。私にできることをしたまでのこと。今度は、君の番だ」
と、背中越しに語り、片手をあげて応えた。
そのまま中島師匠はアパートの角を曲がると、姿を消したのだった。




