第三十話 今を私は生きている。
駅の改札を出て、姫川の後ろについていく。
喫茶店内に入ると、人気から外れた席を選んで二人は向き合うように座った。
「で、君。名前は?」
姫川は率直に尋ねる。
「……曲里幸之助です」
「私の名前、聞く?」
幸之助はこくりと頷く。
「そうしてもらえると、辻褄が合うので」
「やっぱり、未来から来たのね」
姫川はストローから抹茶フラッペを吸引し、トンと、机に音を立てて置いた。
「私は姫川結衣。姫って入っているのに、プリンセスじゃないでしょ。完全に名前負けよね……」
幸之助の中で、デジャブが起きる。
姫川は頬杖を突きながら、再び吸引。
フラッペが上昇していく。
「それで、何しに来たのかな?」
「せんせ……姫川さんを助けに来ました」
「私、やらかしたのね。てことは、あれか。死ぬのね、私」
唾を飲み込み、幸之助は目を瞑った。
「姫川さんのせいでは、ないんです。僕がいけないんです」
「どうして?」
「僕はホームから足を滑らせて死ぬ筈だったんです。それを止められなかったと、姫川さんは自分を責めて再び飛んでしまって。それで……」
「それで?」
「僕の不注意です。悪いのは僕なんです。姫川先生が負う必要なんてないんです。死の運命は僕が持って行きますから」
フラッペを持つ手に力が入り、プラスチックの容器が変形した。
「それ、本気で言ってるの?」
明らかに怒っている。そういう声だ。幸之助は発言を躊躇う。
「…………はい」
「私の! 未来にあった筈の私の想いを踏み躙るな!」
余りにも大きな声に、周りでくつろいでいたお客が一斉にこちらの様子を見た。
ガシャンと食器が割れた音と、「失礼致しました」の声が耳に入る。
勢いで立ち上がっていた姫川は、息を整えるとゆっくり座り直した。
「取り乱したわ。ごめんなさい。でも、それはダメ。負のループを繰り返して、未来は変わらないわ」
「じゃあ、他にどうすれば良いんだよ……。僕は、先生を助けたいんだ。託されたんだ。命を削ったんだ。必ず運命を変えて帰る。それまでは、帰れない」
はぁと、息を吐く姫川。
「未来の私は、止められなかったんじゃないと思うの。止めるのを躊躇ったというのが正解だと思うわ。現に私は臆病者よ」
「そんなことは!」
今にも泣きそうなのをぐっと抑えた涙の溜まった目で、姫川は自分の非を訴える。
「いいえ。そうよ。臆病者よ。あなたの話から聞いていてもわかるわ。他人の死より自分の死を恐れて飛び込めなかったってことじゃない」
「そんなの誰だって……」
「私は! 『時渡り』しなくても君を救えた筈なのよ。でも、女の子を救って、リスクを聞いて絶望してからは、普通の術さえ聖霊に許されなくなっちゃって。そうなった途端、自分の事しか考えなくなったの。この力さえあれば、誰だって救えるとか抜かしていた癖に……。本当に情けないわよ」
「でも、姫川さんは飛んでくれました。だから、ここに僕が来ているんです」
カップを手に取り、ずずっと、最後のフラッペを吸い込むと、
「助けた後の、未来の私はどうしていたんだい?」
と、姫川は話題を反らす。率直に幸之助は答える。
「ずっと笑っていました。今の姫川さんと違って、キラキラしていました。僕の憂鬱を吹き飛ばすぐらい凄い世界を見せてくれました」
はんっと、姫川は鼻で笑った。
「へぇ、そういう感じなのね。あなたと共に居た未来の私って。曲里君にはそう見えていたんだ?」
「…………え?」
その言葉に幸之助は引っ掛かりを感じた。
何かを見落としているような気がしたのだ。
あんなにも、キラキラして。
凄い術を連発して。
見るもの全てが、驚きとワクワクで溢れていた彼女。
それは違うのかもしれない?
いや、でも彼女に限ってそんな筈は……。
だって、いつでもどんな時でも、スタイリッシュで、全力で、破天荒で……。
「大丈夫? 呆然としているけど」
「え、あ……うん」
幸之助は彼女の笑顔を思い出していた。
ホントに、魂の底から、心の底から。
彼女は笑っていたのだろうかと。
見ているようで、見ない振りをしていたのかもしれない。
自分にとって、大事な人の筈なのに。
姫川の目を改めて見る。
幸之助の視線で何かを察したのか、怯えているような目をした。
幸之助は意を決し、口を開いた。
「姫川さん。僕、勘違いしていたんですね。過去の行いも許せず、未来も描けず、今も希望を持てず、自信を持てずに無理やり笑って【空元気】に生きている。それが、僕の知っているホントの姫川結衣なんですよね?」
姫川の口元が引き締まる。目を反らしそうになる。
「それが分かって、どうするつもり?」
強がることもなく、素直に認める。
「僕はそんな姫川さんを救いに来ました。まだ、僕が出会った姫川さんではないですから、やり直せます。過去と今の自分を否定していますが、未来は描けていますから」
「ば、馬鹿言わないで。あなたに何ができるの?」
両こぶしを机に降ろして、姫川は動揺する。
「過去を許し、今を生きてもらいます! 今度は僕がワクワクさせます!」
「私の力はもう出ないのよ……」
しょぼくれて床下を見つめている。
幸之助は机に残った彼女の手に片手を添えて、彼女の目を見つめる。
「へっ?」
いきなりの行動にかぁっと、耳まで赤くなる姫川。
幸之助はもう片方の手で腰元からショットガンを取り出して、彼女の胸に銃口を向ける。
「え? 何するの?」
「僕は姫川さん、いえ、先生……。スタイリッシュな女子大生に、『回避スキル』と『言霊の大切さ』を教えてもらったんです。あの時は僕が怯えていた。この言霊で、人を傷つけてしまうことが怖くて、逃げて。でも、正しい使い方を知って勇気が持てた。だから、今度は僕の番です」
「私はそんなことした覚えはないわ」
姫川はプイっと、顔を背ける。
幸之助は目を瞑って微笑む。
「それでも。ここに確かに、具現化しているんです。この銃、スナイパーだったんですよ? スキルが上がって、形状を変えられるようになって、相手が求める言霊を投げかけられるようになったんです。受け取ってください」
幸之助は逃さないように、銃口を姫川の胸に押し付けた。
引き金を引くと、爆音と共に言霊が二人の脳裏に響き渡る。
「知らないかもしれないけれど、僕は姫川に、姫川結衣に救われました。命を貰いました。憂鬱を吹き飛ばす、希望や世界を見せてくれました。めっちゃいっぱい与えてもらいました。だから、僕が連れ出します! 『今』を生きて下さい!」
姫川は涙を流して泣き叫んだ。
「知らない、知らない、知らない、知らない! そんなの、知らないの! 私には無理よ! できないの! もうどうすれば良いか……わからないの」
凍っていた心臓に銃弾が当たり、氷を砕く。
じわじわと熱が伝わり、再び動き出す。
ぐしょぐしょになった姫川の顔。
水滴だらけの眼鏡。
折角の『終活』用のメイクも台無しだ。
突然泣き出す姫川に、お客もびっくりして、席を立っていく。
幸之助は立ち上がると、座って泣きじゃくる姫川の背後に回って、ぎゅっと抱きしめた。
「私を…………助けて。私も、『今』を生きたいの……憂鬱な世界の先へ連れて行って」
「必ず」
二人は目を瞑る。
心が落ち着くまで。
呼吸を整え、お互いのぬくもりを感じて。
『今』を生きているこの瞬間に、意識を向け続けたのだった。




