第二十話 嵐の後に
保健室のベッドに御縁の腰を下ろし、そのままぐったりと横になる彼女に掛布を掛けて寝かす。
血を抜かれたような青白い顔で、声を絞り出し、
「曲里君、ありがとう」
と、去ろうとする幸之助の手を取った。
「今は喋るな、御縁。状況が落ち着くまで寝ていろ」
「うん。そうするわね」
目を瞑ると、すぐにスースー可愛らしい寝息が聞こえた。
余程神経と体力を使っていたのだろう。
それもその筈だ。
草薙の邪気に触れていたのだから。
「姫川先生。ちょっと」
保健室の外で姫川を呼ぶ声。
あろうことか、学年主任と教頭、担任が外で待っている。
流石にあれだけの生徒が授業中に教室の外でざわついていたら、呼び出されてもおかしくない。
が、そのメンバーに事態の重さを幸之助は感じ取った。
「はい。只今!」
急いで向かう姫川。
振り向きざまに、
「曲里君、ルーカス君。教室にいる生徒を落ち着かせて、とりあえず自習にさせて!」
と、指示して保健室を出て行った。
教室に戻り、ルーカスが大声で自習を伝える。
幸之助はそっと席に着こうとしたが、質問攻めに合う。
「さっきのライフル銃何? 今は見えないけど、どこにやったの?」とか、
「姫川先生、何者?」とか、「草薙君、死んでないよね」と言った有り様で。
「ごめん。色々と混乱させてしまうことになるから、詳しくは話せない。時期が来たらゆっくり答える」
と、だけ伝えて幸之助は席に着く。
色々あったせいか、周りも空気を察して自分の席に戻った。
担任のホームルームが始まる。
姫川は教室の後ろで静かに立っていた。
授業中も、休み時間も気が気じゃなかった。
どうなったのだろうか。
「姫川先生、前へ」
担任が彼女を呼ぶと、静かに前へと向かう。
「え~、前に話をしていた通り、二週間の実習期間が終わったので、予定通り姫川先生は本日で最後になる。それと、朝礼後の件は学校側で事実確認をして対処する予定だ。姫川先生のせいではないから、そこは心配しなくて大丈夫だ。私が引き継ぎをするので、状況がわかり次第連絡する。姫川先生、最後に一言どうぞ」
姫川が咳払いをして、少し重い空気を宥めて口を開いた。
「短い期間でしたが、お世話になりました。教育実習もこれで終了です。どこかでお会いすることがあったら、また気軽に声を掛けて下さい! とても良い日々でした。朝の件もあって、タイミングも重なって変な空気になっていますが、元々今日が最後の日なので、心配しないでください。ありがとうございました」
姫川は深々とお辞儀をした。ぽつぽつと、静かに拍手が起きた。
あのルーカスですら、気を遣っていた。
ホームルームが終わると、姫川の元に生徒が集まった。
「先生、朝の件が原因で辞めるんじゃないよね」
女子生徒が姫川に質問している。
姫川は、「あはは」と、苦笑いしながら頭を掻き、
「違うのよ。本当にダブってしまっただけだから。ちゃんと、実習の評価受けているし」
と、受け答えする。
「ほんとなの?」
他の生徒も迫ってくる。
「本当だよ~」
「じゃあ、朝起きたアレは何だったの? 草薙のお腹は大丈夫なの?」
迫る生徒と声に姫川は押しつぶされそうだ。
身を黒板に預けて、両手を上げ、のけ反る。
「落ち着いて! アレは本当の怪我ではなくてね。えっとね。何と言ったらいいのか」
「勿体ぶらずに教えろよ」
男子生徒も外からヤジを飛ばす。
観念したのか、姫川は口を開いた。
「うーん。まぁ、隠しても仕方ないか……。びっくりしたと思うけど、アレは普段は目に見えない世界だよ。言葉って具現化できるのよ!」
「アレは、言葉なの?」
指を立てて、ウィンクして見せる。
「そう! 言霊の力を可視化させたのよ!」
「何でそんなことできるの?」
「運・回避・回復スキルを神様から上げて貰ったからよ!」
目をまん丸くする生徒達。
そりゃそうだ。
「神様に気に入られた人が無敵化する世界なの。困難から『回避した者勝ち』なのよ!」
彼女との出会いを想起させる言葉。
そんな昔の事ではないはずなのに。
何故だろうか。
懐かしい気持ちになる。
「スゲェ! 超能力者だ!」
男子生徒は興奮を抑えられずにいた。
「え? マジ? 凄くない?」
女子生徒も右に同じだ。
「え、じゃぁ、先生も曲里も、悪くないじゃん。草薙のせいじゃないの?」
ギャル風の女子生徒が質問すると、
「それは違うわ!」
と、ビシッと姫川に論破される。
「彼は過去にとらわれ過ぎているのよ。そうしている内にマイナスの感情と言葉に目がくらんで、悪霊に唆されてしまっただけ。これは油断すれば皆にも起きることよ」
「そうなの? じゃ、気をつけるわ」
ギャル風の女子生徒は軽く流す。
「先生、行かないでよ。その、スゴ技も教えて欲しいし」
女子生徒が引き留めようとするも、
「ごめんね。大学もあるから帰らないと。機会があれば、回避スキルも教えてあげるよ!」
ちらっと幸之助を見る姫川。
嫌な予感。
あの怪しい笑みを向けてきたからだ。
「それか……。曲里君に教えてもらうのもありかな? 多少は心得ているだろうし、彼から学べば、いずれは言霊やオーラも見えるようになるのではないかな?」
あーあ、やりやがったな。
人と関わりたくないのに……。
皆の視線が一気に集まる。
穴があったら、入りたい気分だ。
これは「はい」と、言わざるを得ない空気ではないか。
仕方ない。
「僕の分かる範囲なら、時間がある時にでも」
どっと押し寄せるクラスメイト。
「是非是非、頼むよ!」
「俺も俺も!」
こういうことは慣れないことなので、緊張なのか身体が固まる。
言葉が出てこない。
「お、おう。あはは」
でも、なんだか温かい。
頼られるって良いものだと、幸之助は初めて思った。
脇で密かに笑みを浮かべる姫川をみたら、ぶん殴りたくなったが。
放課後。
『回避スキル』を教える約束を数人と交わしてから、帰り支度を始めた。
ガラガラと、前扉が開くと、御縁が現れた。
「曲里君、まだ居たのね」
多少は顔色が良くなったが、ふらつく足取りからみても、調子が悪そうだ。
「うん。大々的に力を見せちまったから、ちょっと株が上がってしまって」
「へぇ~。そうなのね」
少し不機嫌気味に御縁は呟く。
「ミエニシ! もうイイノカ?」
ルーカスが大きな声で後ろ側の扉から現れる。
「ルーカス、御縁は病人だぞ。気を使え」
「ウップス! ソーリー、ミエニシ!」
こくりとお辞儀をするブロンド天パー野郎。
「良いのよ。気にしないで」
辛いのを我慢しているような微妙な笑顔を御縁は二人に向ける。
「いやいや、大丈夫じゃないでしょ。今日はゆっくり休んで……」
そう言いかけた時、お約束のように姫川は御縁の背後から現れる。
「三人お揃いだね! 私、今日で最後になっちゃったから、急で悪いけれど君たちにお願いがあるの!」
ホントに空気が読めないお方だ。
「先生。御縁の体調のことを少しは考えたらどうです?」
流石の幸之助も今日と言う今日は物申す。
これが最後になるんだから、言わせてもらう。
「そのことは申し訳ないと思っているわよ。調子が悪いのは百も承知。それでも…………今日のお願いは聞いてほしいの」
姫川のいつものテンションとは明らかに違う。
目つきも鋭い。
これは、ガチなお話だ。
「そこまでのお願いということは、かなり急を要することなのかしら?」
立つのが辛いのか、自分の席の椅子を引くと座り込んで御縁は姫川を凝視する。
「そうよ。今までの事柄はここに行きつくための訓練でしかないの」
「そう。では要件は何かしら?」
クールを無理やり保って御縁はお願い事の詳細を尋ねる。
姫川は躊躇うことなく、
「私の弟子として、私の作った出来立てほやほやの組織に加入し、術を習得して、本来のミッションを熟してほしい」
と、お願いして頭を下げた。
「この間とはどう違うのさ」
幸之助は呆れたような口調で呟く。
姫川はそれを聞き逃さずに問いに答える。
「今のままでは『回避スキル』を使いこなせたとは言えなくて。全て教えられてないのよ。だから、今まで以上に要求する点があるって事かな。学校の枠を超えて、私の実家に放課後、毎日来てもらうわ。物理的に厳しいなら住み込みでもいいの。兎に角、時間がないの」
「そんなこと、急に言われてもな、御縁」
幸之助は断りの同意を貰おうと話題を振ったが、
「え? 私は大丈夫だけれども」
と、逆意見。
「へ? ルーカスは?」
「ボクハ! もち……」
「あ、いいや。お前に聞くのが間違ってた」
彼には話題を投げる意味がなかった。
「曲里君だけが厳しいようね。どうなんだい?」
「ぼ、僕はゲームを攻略しなきゃなんで……」
「師匠のお願いが聞けないのかい?」
姫川がつぶらな瞳で訴えかける。
なのに、目の奥は燃えたぎっている。
なんか怖い。
ホント、そういうところに腹が立つ。
そんなの卑怯だ。
クソッ。
「わ、わかりたくないけど、わかりました。その代わり手短にお願いします」
ホントに嬉しかったのだろう。
涙を流して喜び、「ありがとう」を連呼する姫川。
あんな顔、みてしまったら、もう撤回できない。
降参だ。
ぐしょぐしょの顔をハンカチで拭い、姫川は微笑む。
「そうと決まれば、明日から私の実家で訓練よ! 場所と詳細は改めて連絡するわね! 連絡先を教えてもらえるかしら?」
そう言うと、それぞれはスマホの電源を入れ、連絡先を交換した。
「じゃ、明日からは先生じゃなくて、姫川さんか、結衣さんで宜しくっ!」
泣いて赤くなった目に力を籠め、ビシッと敬礼を三人に決めたかと思うと、片手を挙げ颯爽と教室を出ていく。
「ホント。嵐みたいな人だな」
「同感よ」
「ヒメチャン! バーイ!」
こうして、姫川と過ごした約二週間の学校生活が幕を閉じた。




