第十九話 保健委員
翌日からも、姫川のハードなオカルト授業は続いた。
体力づくりのために大量に飯を食わされるというのは聞いた事があるが、それに近いやり方を情報でやられた感じと言えばいいのか。
あろうことか、他の授業中にも彼女は手を出し始めたのだ。
物理ではペンデュラムダウジングをし始め、数学では数の真意、
古典ではカタカムナという古代文字、
生物はヒーリングアロマに使う植物と効能に加え、チャクラの解説、
家庭科はハーブティーによるリラックス効果、
地学はパワーストーンとその効能、
音楽はクリスタルヒーリングと音霊、
日本史は縄文時代以前の語られない歴史とか言って乱入し。
そうしているうちに、一週間が経過。
土日を挟んで、姫川の教育実習は最後を迎えようとしていた。
五月二十八日。どんよりと淀んだ雲が広がっている。
教室。クラスメイトの喋り声が良く耳に入る。
ゲームに重課金していた頃より睡眠時間が取れているのか、姫川のスパルタ授業の流れに慣れたのか。
それが原因なのかは分からない。が、やけに今日は身体が軽い。
先日の一件があって、荷が降りたからなのか。
どちらにしても、今日は冴えている。
これならば、事件が起きても【コイツ】を使えるかもしれない。
姫川が教室に入ってきた。
彼女は幸之助にウィンクを投げ捨て、全生徒に席に着くよう促した。
いつもの通り、出欠確認とホームルームを行う。
「連絡事項は以上よ。今日も一日頑張りましょう! 日直、号令」
日直の号令で全員起立。
「ありがとうございました」の声と、椅子を引きずる音が室内に広がる。
次の授業は移動教室の音楽だ。
幸之助も教科書を机から引き出し、席を立つ。
「曲里君、モーニン」
御縁が声を掛けてきて、「ういっす」と適当に返事。
「そう言えば先日の放課後、姫川先生と何話したのかしら? 先生に訊いてもはぐらかされてしまって」
ああ見えてプライベートは守るんだなと、幸之助は少し姫川の事を見直してみたり。
「うーん、特には。事件の詳細を話して、気をつけようと、共有した程度?」
「何ですって? 直接話をしたのかしら?」
御縁は心配そうな表情で幸之助に近づいて見つめる。
「う、うん。犯人じゃなかったよ」
「はぁ。無鉄砲な発言は良くないわ。天ケ瀬さんにも注意されたでしょ?」
「それは、申し訳ない……」
腰に両手を添えて、
「次回からは気をつけて」
と、説教風に幸之助を咎める。
「じゃ、先行くわね」
御縁が教科書類を胸に抱え、軽やかに駆けて教室を出ようとした。
その時、あろうことか御縁がよろめいて、入り口付近の机に激突する。
教室に残っていた生徒と姫川が大きな音に驚き、振り向く。
「ウワォ! ミエニシダイジョウブ?」
ルーカスが叫ぶ。
「御縁さん、大丈夫ですか?」
近くにいた女子生徒が、御縁を抱きかかえて起こす。額を触って調子を確かめる。
「えっ、凄い熱! 保険委員!」
と、女子生徒が声を上げた。
さっきまであんなに元気そうに話をしていたのに、熱? そんなことあるのか?
「あいよ」
ガラガラと隣の席の草薙が立ち上がって、銃型の瞬間体温測定器を持ち出して御縁に近づく。
「立てるか、御縁」
御縁は顔を縦に振って、立ち上がろうとする。
「どれ、体温を測るか」
草薙が体温計を御縁の額に向けた。
豪快な金属音。
火薬の匂い。
体温計が宙を舞って落ちる。
とはいえ、感じ取れたのは適性のある者だけだろうが。
一瞬の出来事。
「ふざけろ!」の言霊と共に、それを放ったのは幸之助だった。
「え? 何?」とか、「手が滑ったの」とか、「何か凄い勢いで飛んだよね?」といった声で、教室がざわつく。
机にがっつり置かれた厳ついスナイパーライフル。
銃口から煙が立ち上る。
ルーカスは目が点になって硬直している。
「曲里君……」
御縁が意識朦朧とする中、か細い声で呼びかける。
幸之助は腹の虫が収まらない。
こんなにも、むしゃくしゃしたのは初めてだ。
「草薙。てめぇ、今何をしようとした……」
「え? 何のこと?」
本当に何のことを言われているのか分からないような顔と口ぶり。
目は笑っているように見える。
外では雷が鳴る。
シトシトと、窓ガラスに雨が当たる音が聞こえる。
「白を切るつもりか?」
「だから、何のことだよ。身に覚えがなくて。何か悪い事したのかな?」
幸之助はライフル銃を草薙に向けてスコープを覗く。
草薙の顔が一瞬、引きつったのを見逃さなかった。
「お前、見えているんだろ? ぶっ放されたいのか?」
「わ、わかった。落ち着こう。な?」
草薙は両手を挙げて降参をアピール。
間違いない。
銃で狙われているとわかっていなければ、そんな仕草は取らない。
草薙には言霊が見えている。
それから、あの体温計から見えるモヤ。
アレは相当ヤバい。
どす黒い何かが渦巻いている。
おまけに、草薙と保険委員を促した鈴木にも同じものが見える。
加えて、鈴木の背後から、糸が天に向かって伸びているように見えるが。
「草薙君、これ、凄い勢いで飛んだね。壊れていないかな?」
体温計の近場にいた宮下が体温計を拾い、動作チェックのため自分の身体に向ける。
「バカッ! やめ……」
ピッという音と共に、そのまま意識を失って床に倒れる宮下。
目は開かれたまま虚ろに一点を見つめる。
かと思うと、すくっと奇妙な動きで宮下の身体が浮き上がり、首をもたげ、両手はだらっと垂らして立ち上がる。
彼女の背後から黒い人影と糸。
糸の正体はマリオネットだ。
バツ印に組まれた木枠と目だけがキラッと光る黒い人影がくっきり表れ、彼女たちを操る。
人影の胴体はそのまま伸びて、草薙の背に繋がっている。
不気味な笑みを浮かべる草薙と鈴木。
遅れて宮下も、虚ろな目で幸之助を見る。
前に姫川が言っていた、悪霊に取りつかれた症状に似ている。
通りで言霊が見える訳だ。
身体を貸すことが代償なのであろうか。
酷い有り様だ。
それにその目は辞めてくれ。
幸来子の一件を思い出してしまうではないか。
「曲里君、逃げて……。危険よ」
御縁がめまいを堪えながら、絞り出すように訴えかける。
恐らく、御縁にトラップを仕掛けたのも草薙だろう。
御縁の足元から立ち上るオーラが奴のモノと全く同じだ。
周りにいた女子生徒が、
「え? 宮下さん。どうしたの?」
と、彼女に異常な動きに動揺して、話始める。
ルーカスはようやく現実を受け入れたのか、あたふたと慌てふためき、
「アブナイヨ~」
と、教室の隅に退散した。
察しの良い生徒も身の危険を感じて、その場から離れようと後退る。
ここで、負けちゃだめだ。
何のために自分はここにいる。
克服したばかりじゃないか。
この状況を変えられるのは、自分だ。
幸之助は再びライフルを力強く握った。
引き金に手を伸ばす。
手が少し震える。
言霊を発するのが……怖い。
でも……、彼は友だ。
先生が言うように、ちゃんと向き合うんだ。
アイツが抱えていそうな、確信に迫る一撃。
操り人形の言霊。
アイツの境遇。
目を瞑ると、浮かんだ言葉の弾丸。
草薙の抱えているものは、きっとこれだ。
幸之助は柄にもなく、見下した目で草薙に嘲笑いの言霊を放つ。
「あぁ。そうか……。そういうことか。お前、【親の言いなり】だもんな。良い子ちゃんを演じているけれど、内心は【人を指図したい】んだろ? へっ、だせぇんだょ。誰かを盾にしねぇと己を保てない。【薄っぺら人間】なんだよ!」
三発の弾が草薙を目掛けて飛んでいく。
ドスッと鈍い音。
一発は草薙の足に当たったが、残り二発は鈴木と宮下が瞬時に受け止め、はじき返す。
この言霊の弾は、自覚がある本人でないと当たっても効かないらしい。
「ご主人様……大丈夫ですか?」
鈴木が虚ろな目で草薙に問いかける。
「ふっ……ははは。どうやら誤魔化すのはここまでみたいだな」
草薙が笑いながら、幸之助を睨みつける。
と言うより、殺気づいた視線。
ホントに草薙なのかと疑う程、別人のような人格が露わになる。
「あーあ。こいつを次の獲物にしようと思っていたのによ。俺の事も嗅ぎまわっていたようだし。俺のお世話をするにはちょうどいい女だし。まぁ、他の女達も凄く尽くしてくれたもんだが、多いに越したことはないからな。だが、今はお預けだ。お前らを先ず始末しないとなぁ」
御縁の髪を掴んで、引っ張り上げる。
「御縁!」
苦しみながらも目で近づくなと訴える御縁。
草薙はそのまま手をドアの方に向けて振り払った。
御縁の身体はドアに叩きつけられる。
「うっ……」
痛みでうずくまる御縁。
その様子を見て、耐え切れず突っ込みそうになる幸之助の前に、スッと、姫川が割って入る。
「曲里君、早まらないで!」
「でも、御縁が!」
「今は耐えるのよ。私が何とかするわ」
「僕も……やります」
幸之助は再びライフルを構える。
「良い心構えね。援護を頼むわ!」
「はい」
姫川は指をぱちんと、鳴らす。
幸之助には一瞬、何が変わったのか分からなかった。
しかし、野次馬たちの表情が一変。青ざめる。
「おい。何だ、アレ」やら、「ラ、ライフル銃? 何だ、あの影の化け物は!」やら、「キャー、血よ!」と言った声がそこら中から沸き上がる。
どうやら姫川は、皆にもこの状況が見えるように音霊を使用したらしい。
状況証拠として不適合者にもこの現場を理解させ、危険性を思い知らせる為にそうしたのだろうか。
中々、ド派手なやり方、流石、姫川だ。
「早くここから離れなさい!」
姫川の言葉で、一目散に教室から出る生徒達。
だが、逃げろと言われても授業が始まっているこの状況で校内をうろつく訳にも行かないのか、大半の生徒は廊下まで退避し、恐る恐る室内の様子を伺っている。
「これでもう、草薙君の信用は地に落ちたわね!」
ビシッと、内ポケットから指示棒を取り出して、草薙に向ける。
「それはどうかな? 凶器を俺に向けて撃っている事実があるんだ」
草薙は両手を広げ、目を見開き、眉を歪ませた怒りの表情で訴えかける。
見下したかのように顎を上げ、目だけ見下ろすその様はとても醜い。
「体温計でおかしくなった宮下さんや御縁さんの事実もあるでしょ? 危害が及ぶのが明白で、そのオーラのどす黒さは周りも理解してくれてるんじゃないかしら?」
草薙は舌打ちして、姫川の理屈を蹴散らす。
「あーあ。もうどうでもいいや。全員俺の奴隷にすればいいんだから」
草薙は宮下から体温計を奪うと、こちらに向ける。
「喰らえ」
冷たい声で放たれた言霊。
ピッと、機械音が鳴ると共に素早く光線が放たれる。
幸之助と姫川は間一髪ですり抜けた。再び草薙の舌打ちが聞こえる。
「ふぅ。危なかった」
「曲里君。君は下がっていなさい!」
「まだやれます」
粋がる幸之助。だが、姫川はいつになく真剣に幸之助の目を見て訴えた。
「今の君にできることはもうしたわ。でも、この先はまだ無理よ! 見ていなさい!」
「そんなことはない。まだや……」
「君の妹さんの時のように、彼の心に深手を負わせていないよね? 何故だかわかるかい?」
姫川は強引に幸之助を言い聞かせる。
「……分かりません。弾丸の威力が弱かったのですか?」
「さっきの言霊は、曲里君の心の底から出た言葉ではないからよ」
姫川にはお見通しだったのか。
「だから、ここからは私がやるわ!」
何も言い返せない幸之助を背にし、姫川は草薙に忠告する。
「本性を現してくれたのは結構よ、草薙君。そんな君に先生からアドバイスをさせてもらうわ!」
「はんっ。アドバイスだぁ? 歳が多少上だからって舐めてもらっちゃ困る」
鼻で笑う草薙に、
「君は……どうしてそんなに自分に自信が無いんだい?」
と、優しく囁く姫川。
「は? そ、そんなことは……」
草薙の目が泳ぐ。
姫川の態度や声質、トーン、緩急は絶妙だった。
これが経験のなせる業なのか。
相手の不意を衝いている。
明らかに動揺しているのが幸之助にも分かった。
「そんなに自分を責めるんじゃないの! そんな感じだから、このような悪霊を引き連れてしまうのよ。もうそういうのは終わりにしましょ」
「う、うるさい! 黙れっ!」
やけになったのか、核心を突かれて痛いのか、声を荒げる草薙。
容赦なく続ける姫川。初めて、先生に見えた。
「もっと言ってあげようか。答えは簡単なのよ。自分で決めて、成し得た事がないからこうなるのよ。全て親の言う通り。いい大学に通い、良い職業に就く。良いお嫁さんを貰って、いい家庭を築く。それは理想の幸せかもね。でも、そこに君はいるのかな? 思い浮かべるかな? 笑って過ごしているのかな?」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れえぇぇぇっ!」
草薙は頭を抱えて、耳を塞ぎ、その場にしゃがみこんで怒号を上げる。
憎しみ、悔しみ、怒り諸々が、深く浸透しているのが言葉から感じ取れる程の。
幸之助は手が震えてライフルを握れない。
同じ状況の筈なのに姫川からは恐怖を感じず、寧ろ真っ直ぐに草薙を見て、真剣に彼の苦しみに向き合っている。
「君は君で良いの。格好付けなくていいの。汚い自分も全て受け止めればいいの。自分で決めて、自分で選び、その選択が他人を豊かにできるほど清らかなら、自信を手にできるわ。だから、辛くてもその汚いものと自分がやらかしたことにちゃんと向き合いなさい!」
ビシっと、指示棒を草薙に向けて振る。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だぁぁっっ!」
草薙は感情を抑え切れず、体温計を姫川に向ける。
冷たい機械音が鳴り渡るのを聞いて、
「残念だ、草薙君。良い夢を」
と、悲しげに姫川が呟いた。
光線は半球体の形をしたバリア内を高速で跳ね返りを繰り返し、徐々に速度と威力を増していく。
そして、それは草薙を直撃し、腹部に大きな穴をあけた。
血は吹き出ず、ぽっかりとちくわのように風穴ができている。
虚ろな目をした草薙の背後には大きなマリオネットの木枠と糸、黒い影が現れ、彼は自由を失って気絶した。
外野から恐怖の声が響いて聞こえる。
「先生、草薙は?」
あまりの光景に流石の幸之助も彼の安否を姫川に確認する。
「大丈夫、アレは言霊の傷よ。私の言霊で自分自身と強制的に向き合う状況になっているから。精神的苦痛は伴うけれど、向き合えれば穴は塞がり、昏睡状態からは必ず目が覚めるわよ。それに……」
ニヤニヤと、不気味な笑い方をする姫川。
「それに? 一体何を仕込んだんですか?」
呆れた表情で幸之助は姫川に問う。
「綺麗な草薙君になって戻ってくるよ。さっきの現象は嘘だったかのようにね!」
「そんなところかと思った」
「まぁ、結果オーライよ! 彼、マイナスの言葉や感情、悪霊に取り込まれていたから、それが代償になって言霊が使えたのだろうけれど。野放しにしていたら、最悪は死んでいたわ」
さらっと凄い事を言いやがる。
「あれ? 私、何で寝ているの?」
意識を奪われていた鈴木が状況を理解できず、声に出す。宮下も目を覚ました。
「御縁さんと同じで、熱があったみたいで、二人とも倒れたのよ」
姫川が嘘をついて誤魔化す。
他の生徒も見ていた事なので、その誤魔化しは正直、意味がないのだが。
「そうなのね」
「さ、保健室行くわよ!」
姫川が二人をひょいっと肩に手を回し、担ぎ出す。
「曲里君。御縁さんをお願い」
「あ、はい」
姫川は野次馬をものともせず颯爽と、二人を連れて教室を出て行った。
「あ、あの……。草薙もいるんですけど……」
幸之助はため息をついて、二人を担ぐ。のは、流石に無理で。
「ボクがいくヨー」
ルーカスが名乗りを上げる。
他の野次馬になっていたクラスメイトを何人か引き連れて、ざわつく生徒の中をかき分け、先に草薙を保健室まで連れて行く。
「立てるか?」
「なんとか……」
御縁の顔色が本当に悪い。
幸之助は背中を差し出した。
「さ、流石におんぶは恥ずかしいわ」
クールを保ちたい御縁は目を反らすも、
「いいから。捕まって」
と、半ば強引に背中に乗せる。
「ありがと」
恥ずかしそうに背中に掴まる御縁。
胸の感触が背中に伝わる。それは誤算だった。
「う、動くよ」
幸之助は野次馬たちの中に潜り込む。
顔を伏せてかき分け、御縁を背負ってルーカスを追った。
野次馬から、歓声と黄色い悲鳴と羨ましがる声が聞こえた。




