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神様を待ってる

作者: 江葉

あけましておめでとうございます! 新年一作目はSFっぽいお話。ご指摘いただければ移動させます(どこに置けばよいのか判断できなかった……)。



 ニライカナイでは、朝の六時きっちりに陽が昇る。

 白々とした朝日を拝むのがゆかりは好きだった。

 

 毎朝新聞を届けに来ていたバイクのおじさんは一ヶ月と三日前から来なくなった。その後しばらくは別のおじさんが届けてくれたけれども、それももう来ない。

 よその家に新聞が配達される音もしなくなった。

 新聞といっても空白が目立つようになっていたから、新聞社が機能していないのかもしれない。

 ゆかりは空の郵便受けを確認し、家に戻っていった。


 十五歳のゆかりは一人で暮らしている。

 おとうさんとおかあさん(そう言うとたいてい怪訝な顔をされるのは二人が老人だったからだろう)は、とっくにこの家を出ていった。


 ニライカナイは戦争中なのである。


 老若男女を問わず、割り振られた十一桁の番号からランダムに選出されたものが徴兵されてゆく。おそらく二人は死んでしまったのだろう。たとえ死んだところで通知が届くこともなかった。

 誰と言葉を交わすこともなく、ゆかりは学校に向かった。


「おはよう」

「ゆかり、おはよう!」


 教室は歯が欠けた櫛のように生徒がまばらに座っている。ゆかりが教室に入るとクミが笑顔でやってきた。思わず安堵のため息が漏れる。


「おはよ、クミちゃん」

「ねえ、聞いた? 体育の高橋、あいつ娘が徴兵されたらしいよ」


 机に鞄を置くなり息つく間もなくクミがまくしたててきた。


「高橋の娘って、小一じゃなかった? やばい、そんなのまで徴兵すんの?」

「今さらだけどやばいよねー」


 クラスメイトが消えていってもあまり実感はなかった。けれど子供までとなると話は変わってくる。本当に、番号さえあればランダムなのだ。


「高橋、大丈夫なのかな」


 高橋が娘を溺愛しているのは学校中が知っている。写真を職員室の机に飾り、雨の日の保健授業では娘自慢で脱線するのがいつもの流れだった。


「高橋のことだから娘についていきそうだけどね」

「それってアリ?」

「アリなんじゃない? わざわざ徴兵なんかしてんのは志願者がいないからでしょ」


 吐き捨てるようにクミが言った。

 ニライカナイの戦争は報道されない。記者もカメラマンも、戦場に行くなら全員兵士にされるからだ。

 誰が、何のために戦争をはじめたのかは知らないが、どうして戦うのかは知っている。

 この戦争に勝ち残った一人が、神様の国に行けるからだ。


「クミちゃんは、神様の国に行きたくないの?」


 ゆかりは正直神様を信じていなかった。本当に神様がいるのなら、こんな戦争を許すなよと思ってしまう。


「どっちでもいいかな。神様がいるのなら、死ねば会えるんじゃない?」


 もっともな答えだった。クミらしいとゆかりは笑った。


「クミちゃんあっさりしすぎ。死なないでよ」

「あたし死んだら悲しい?」

「うん、悲しいよ。泣くからね」


 するとクミは嬉しそうに笑った。


「ゆかりに泣かれるのはヤだなあ。わかった、死なない」


 この日高橋は学校に来なかった。数日後の噂では、娘の代わりに自分が行くと懇願したが受け入れられず、志願して娘についていったのだと聞いた。

 「ついていけたら良いけどね」とクミが教室の窓から外を眺めて言った。


 戦争は、残酷なまでに平等だ。二人の兵がいれば紅白に分かれて戦う。父と娘なんてそこには関係ない。銃を持った敵が小学一年生の幼女であっても、殺さなければ殺されるのだ。


 銃声は町まで届かないけれど、住民は確実に減っていった。

 これで体育の先生と数学の先生が学校からいなくなった。それでも残った生徒たちは学校に来て授業を受ける。子供の役目は学校に行って勉強をすることだからだ。

 他の教科の先生や担任が先生不在となった授業を代わりに行うことはない。求められた役割をひたすらこなすだけだった。


 放課後はゆかりはバスケ部に、クミは美術部に行く。

 女子バスケットボール部はもともと人数が少なかったが、今や部員はゆかりだけである。あまり運動の好きではないゆかりがバスケ部に入ったのは、()()()()たくさん友達を作って学生生活を満喫して欲しい、というおとうさんとおかあさんの願いがあったからだ。運動部なら明るく楽しい友達がたくさんできる、と考えたのは安易だったか。試合に出ることもなく、友達は今やクミだけ。おとうさんとおかあさんはもういない。

 体育館の片隅にあるゴールに向かってボールを投げる。ゴールに届く前にボールは放物線を描いて落ちた。

 ダン、ドン、とボールの弾む音が体育館に虚しく響く。バドミントン部の子はラリーを返してくれる相手もなく、ひたすら打ち続けていた。向かいのコートにたくさんのシャトルが落ちていた。


 夕方の六時になると時報の「ゆうやけこやけ」が町内放送で流れ、日が沈みはじめる。

 家に帰ったゆかりはもはや惰性で郵便受けを確認し、過去二回見たことのある朱色の封筒を見つけた。

 召集令状だ。

 ひとまず家に入ってダイニングの電気をつけて封を開ける。ぺらりとそっけない紙が一枚だけ入っていた。


「11410656484、明日の午前八時に下記の場所に集合せよ。……って、自治会館じゃん」


 徴兵された人たちがどこに行くのかと思っていたが、まさかの自治会館。徒歩十分のところにある、町内のお祭りなどでお馴染の場所だった。

 十一桁の番号はゆかりを意味するものだ。正式にはM-SokS11410656484という。ゆかり、というのはおとうさんとおかあさんがつけてくれた、二人の大切な娘の名前だった。


「特に用意するものとかないのかな。ハンカチとティッシュ持ってけばいいか」


 なんというか、ついに来た、という感じだ。遅いとも思うし、まだ早いとも思っている。日々少なくなる知り合いの中でただ暮らしているのは寂しかった。

 テレビではゆかりの好きだったアニメが流れている。週ごとに同じ番組を何度もやっているのでもう飽きてしまった。

 でも、それも今日で終わりだ。

 わたしは何のためにここにいるのだろう。そう考えることも、明日で終わる。考えている暇もないのだろう。なんといっても戦争なのだから。


 他にすることがなかったので、ゆかりはいつもの通りに宿題を済ませると、風呂に入って就寝した。


 翌日もニライカナイは朝の六時に陽が昇った。

 ゆかりはとっておきのワンピースに、誕生日に買ってもらったポーチを肩から下げて自治会館に向かった。ハンカチとティッシュ、念の為財布にお金も入っている。

 自治会館には見知った顔と見知らぬ顔がぽつぽつと集まっていた。


「あれー? ゆかりじゃん」

「クミちゃん!?」


 なんとクミがやってきた。彼女はこの町内の子ではなかったはずだ。疑問に思ったのが伝わったのか、クミが苦笑する。


「あー、あたしんトコ、もうあたししか残ってなかったらしくてさ。こっちに集合するようにって」

「そうなんだ……」


 クミはあっけらかんとしているが、ゆかりは何と言っていいのかわからなくなった。

 家を出て、駅の改札をくぐり電車に乗っても一人。一人で地図を見て、一人で歩く道を思い浮かべる。町は何ひとつ変わらないのに、人だけが消えてゆく日々。


「暗い顔しなくていーって! なーんかさ、ちょっと安心したんだよね。ああやっとか、ってさ」

「それはあたしも思った。やっぱさ、つまんないんだよね。色々考えちゃうし」

「だよねー」


 やがて役人らしき、腕に『処理班』と書かれた腕章を付けたスーツの男がやってきた。


「それでは、これから紅白に組み分けをします。紅の人はそこの段ボールから赤い銃を持って、白の人は反対側の段ボールから白の銃を取ってください」


 男に言われるまま整列し、十一桁の番号を告げる。男が手に持った端末機器に番号を入力すると、コードが描かれたシールがべーっと出てきた。

 それを、首の後ろに張られる。


「今みなさんに張られたシールが識別コードになります。これから行く終着駅に到着したら、紅は白の、白は紅の人のシールを狙って撃ってください。敵味方が識別できるようになっています」


 終着駅とはまた意味深だこと。

 皮肉の利いた戦場にゆかりは少し意地悪く思った。ゆかりは紅組、クミは白組と敵に分かれてしまったのだ。

 移動用のバスにゆかりとクミは隣り合って座った。思いのほか軽い銃はポーチの中に入れておく。


「ねえ、高橋いるかなあ」

「高橋体力あるし力強いし足早いし、生き残ってるかもね」


 なんといっても体育教諭である。


「顔こえーしね」


 くくくっとクミが笑った。たしかに、高橋は鬼教師にふさわしく、岩のような顔をしていた。

 思い浮かべたゆかりはふきだしてしまった。


「あ、あの顔なら敵のほうが逃げてくわ」

「絶対そうなると思う」


 クミが真剣に言うものだから、ゆかりはとうとう笑い出した。

 バス内はこれから戦地に赴く緊張感に包まれていたが、空気を読まない女子二人の笑い声にほぐれていった。


「お嬢ちゃんたち仲が良いのねぇ。学生さん?」


 バスの通路を挟んで隣に座っていたご婦人がにこにこと声をかけてくる。彼女の隣りには、TとHの野球帽をかぶった小学生くらいの男の子がいた。泣くのを堪えるような顔をして、ご婦人の手をギュッと握っている。


「はい、そうです」

「そちらの子は、お子さんですか?」

「ちがう!」


 クミの質問にかぶせるように男の子が叫んだ。ケンちゃん、とご婦人がたしなめて肩を撫でる。


「ケンジロウ君はお向かいさんのところの子なの。ちょうど私も行くし、一緒にってご両親に頼まれてね……」


 ケンちゃんのちいさな妹は先に徴兵されたらしい。ちぃちゃんを連れて帰る、と涙声で呟いた。


「ケンちゃんは紅組? 白組?」


 ゆかりはなるべくやさしい声を意識した。


「……あか」

「じゃ、あたしと一緒だ。よろしくね?」

「……うん」


 時々バスが停留所に停まって新しい人が乗り込んでくる。バスがいっぱいになったところで、終着駅に着いた。


「ここなの……?」

「なんつーか、普通の町だね」


 バスを降りた先にあったのは、ごく普通の町だった。

 駅のすぐそこには大型スーパーと商店街のアーチがあり、遠くには電気屋の看板が見える。マンションとアパート、一軒家がいい具合に雑多に立ち並んでおり、商店街を入ったところには公園らしき空き地も見えた。道を挟んで向こうにはコンビニもある。

 ただし人は一人も見えなかった。宝くじ売り場は無人で、のぼりだけが風に揺れている。


「はい! ではこれより戦争を開始します!」


 同行していた処理班の男が手を叩き、声を張り上げた。


「先に来ていた兵の生き残りもいますから注意してください。なお、兵士は随時投入されます!」


 そこまで言った男が全員の顔を見回し、人差し指を立て、笑った。


「めでたく生き残った一名様のみ、神の国へと行くことができます。頑張ってくださいね!」


 まるっきり胡散臭い新興宗教の勧誘かなにかのようだった。心から蔑んでいる男の様子にゆかりはむかむかした気分になる。

 バスで男が去っても、誰ひとり動けなかった。


「なんなのアレ、ウッソくせえ」


 クミだった。盛大に顔を顰め、バスに向かって中指を立てている。


「ね。戦争ってわりに町が綺麗だし、それに……死体がないよ」


 ゆかりの言葉にハッとしたように何人かが町を覗き込んだ。

 さっきから感じていた不気味さがリアルに迫ってくる。

 綺麗すぎるのだ。銃を持たされたのに建物には銃撃の痕はなく、血の痕もない。生き残りがいて随時兵を投入しているのなら、今も誰かが戦っているはずなのだ。


「本当は戦争なんて嘘なんじゃないか?」


 誰かがそう言ったのが合図だったように、ケンジロウが町に駆け込んでいった。


「ケンちゃん!?」

「ちぃ、ちぃちゃんを探さなくちゃ!」


 走っていった男の子は立ち止まって左右を見回し、一度こちらを見て、お化けでも見たかのような悲鳴を上げてスーパーに向かって走っていった。


「行っちゃった……」

「とりあえず、行こうか? ここにいても敵前逃亡で処分でしょ」

「敵前逃亡? 敵が来たら逃げて当たり前じゃないの?」

「……そうだけど、そうしちゃいけないのよ」


 クミが町に入り、ゆかりに手を伸ばした。しかたなく、ゆかりも町の境界を越える。

 クミの顔を見て、手が自然とポーチの中の銃を取り出していた。


「……やっぱりそうなるのね」


 残念そうなクミの声。クミの、声だ。

 なのに、ぞわっと全身に怖気が走った。たまらずに走る。どこか、身を隠せる所へ。


「あなたたちは一人ずつ来なさい。それからできるだけ早く、隠れるのよ」


 走り去るゆかりの後ろで、女王のようにクミが言った。

 ゆかりは走り続けていた。

 銃をきつく握りしめる。クミが怖かったし、それ以上に自分の中に突如湧き上がってきたものが怖かった。


 敵のシールを狙って撃て。


 処理班の男の言葉が何度も耳で繰り返される。あたしは紅。だから、白の識別コードを持った敵を撃たなければならない。

 強く握りしめすぎて右手が震えている。


 町中に隠れているだろう、白組。隠れていては駄目なのだ、とわかった。だって、シールは首の後ろにある。後ろから近づいてズドンだ。

 武器になるものを探そう。ゆかりはスーパーに行きかけ、商店街へと足を向けた。ゆかりも行ったことのあるドラッグストアの看板がそこにあった。ドラッグストアといいつつ菓子や季節の商品も置いてある店だ。


「お、おじゃましまーす」


 誰もいない町なのに自動ドアは動いていた。ワゴンセールにはヘアカラーやお菓子が積まれ、スピーカーから店の歌が流れている。店名をメロディ付きで言ってしまう仕掛けはこういうところにあるのだろう。妙に頭に残る店ソング。


 ゆかりは店の奥に入ると医療品コーナーで包帯を、化粧品の棚から手鏡を探し出した。財布の中のお金と計算する。

 誰もいないのだから持って行ってしまえ、と心の中で悪魔が囁くが、それは犯罪だ。誰かに強制されたわけではないのだから、お金は支払うべきである。勝手にレジに行くと、左手で商品のバーコードを読み込んだ。レジスターの使い方がわからなかったのでお金はレジ台に置いた。


 ほっと息が漏れた。

 すぐに気を引き締めて二階に上がり、トイレに入る。パッケージを開けて包帯と手鏡を取り出した。洗面台の鏡の前で後ろを向き、首の後ろを手鏡でなんとか見る。

 肩のところで切りそろえられた髪をかきわけて、すぐ下の生え際に張られたシールを指先で撫でた。剥がしてしまいたい衝動にかられ、首に爪を立てる。


「……こんなので、あたしは紅にされたんだ」


 呟きがトイレに落ちた。

 シールの上に鏡を乗せ、包帯で固定する。ずり落ちたりしないよう、強く包帯を締めると首に食い込んだ。ごほっと咳が漏れた。


「死にたくない。あたしは……」


 鏡に映っているのはゆかりの顔。十五歳の少女の顔だった。


「クミちゃんを、殺したくない」


 自分に言い聞かせるように言った。足元から怖気が上ってきたが、クミちゃんは友達だ。気をしっかりもて、と一度頬を叩いて気合を入れ、銃をしっかり持ってトイレを出た。

 かちゃんと音がしたのはその直後だった。ゆかりはトイレの中から誰かが出てくるのを確認すると、足音を忍ばせて商品棚に身を潜めた。


 紅なら味方。白は敵。

 すぅ、と息を深く吸い、銃を両手で持った。

 そっと棚から窺う。


 現れたその人は、服装からすると女。視界に映る情報は白。敵だ。おどおどと店内を見回しながら、やはり両手で銃を持っている。

 顔は、よくわからない。そこだけテレビのテロップのように『白』と書いてあった。


「っ!?」


 一気に彼女の前に飛び出して棚から拝借した粉ミルクの缶を投げつける。肩に命中してひるんだところで腕を捻り、銃を取り上げた。

 すかさず放り投げる。が、棚にぶつかって跳ね返り、すぐそこに転がってしまった。


「ひぃぃぃっ!」


 敵が悲鳴を上げながら銃に向かって手を伸ばした。首があらわになったところで、シールに銃口を向ける。


 バチン。


 テレビで聞くような銃声ではなかった。電気コードがショートした時に似た音がして、低い振動音がかすかに聞こえ、消えていった。敵は動かなくなっていた。

 どこからか金属の焦げる臭いがした。


「はあっ、はぁっ、はぁっ……」


 ゆかりは思い出したように大きく肩を上下させる。呼吸が上手くできない。今までどうやって呼吸をしていたのか、思い出せない。


「あ、あ、あたしっ」


 ヒトを殺しちゃった。そう言い終える前に足音が聞こえ、振り返る。

 バチン。

 『白』と顔に書いてある人がゆかりの目の前で倒れた。


「人を殺した後が一番危険なんだ。油断するな」

「た、高橋……?」

「先生をつけろ」


 体育教諭の高橋だった。


「先生……。やっぱり生きてたんだ……」


 ほっとした。高橋の顔はちゃんと見える。ゆかりは意識して高橋の顔を見続けていた。膝から力が抜けそうになるのをなんとか堪える。立っていなければ足元のモノが見えてしまう。


「やっぱりとはなんだ」

「だって高橋は体力バカじゃん。体育の先生がそー簡単にくたばったりしないでしょ」


 高橋に支えられながらゆかりは店を出た。高橋のジャージと手には土が付いていた。

 なんとなく、何があったのか察してしまい、ゆかりは別のことを聞いていた。


「ねえ、先生。……紅組で他に生き残ってるのはいるの?」

「俺にもわからん。みんなバラバラで隠れているからな。俺がここに来たのはさっきのヤツを追いかけていたからだ」

「そっか……」


 運が良かった。


「先生、クミちゃんのこと知ってるでしょ?」

「お前と仲が良かったヤツか。一緒に来たのか?」

「うん。でも、クミちゃんは……」

「白組になったんだな」


 ゆかりが言い淀む間もなく高橋が言い当てた。


「よくわかったね」

「どうやら親しい者同志を敵対させているらしいからな」


 高橋は平然としていた。ゆかりは一瞬意味がわからず、高橋の言葉を飲み込むとくしゃっと顔を歪ませる。


「ひどい……」

「ひどいか? 親しい者であればこそ、苦しませず、恐怖を与えることもなく逝かせてやれる。俺はそう思ったが」

「……」


 ああ、とゆかりは思った。外れていてほしかった予感が当たってしまった。

 高橋の娘は白組に配属され、高橋が手にかけたのだろう。

 そして娘の体を、土に埋めたのだ。


「泣くのか」

「……」


 ぽろ、と目から涙が零れ落ちた。


「……お前はやさしいな」

「普通ですよ。先生の娘が亡くなったって聞いたらクミちゃんだってきっと泣きます」

「お前たちは娘の顔も知らんだろう」

「あれだけ話聞いてりゃもう身内の子みたいなもんですよ」

「そうか……。ありがとう」


 ゆかりは涙を拭って高橋を見た。


「娘のために泣いてくれた」


 もう駄目だった。止まっていた涙がどばっと溢れてきた。高橋が困った顔をしているが、彼は泣けなかったのだろう。自分の手で殺しておいて、と自分を責めていそうだった。


 日が傾きはじめた。もうじき六時になる。ゆうやけこやけは聞こえてこなかった。

 ゆかりは高橋と少し離れて休むことにした。

 これも作戦のうちだ。


 高橋の作戦はわざと人が来そうなところで待ち伏せし、足音が聞こえたところで物を投げてそちらに気を取られた隙に急襲する、完全な奇襲攻撃だった。

 相手が白組なら追い詰めて倒し、紅組なら協力し合う。教師の説得力を発揮していた。


「あれ、あたしの時協力者いなかったよね?」

「逃げた」

「あっ……」


 ゆかりは察した。授業中の高橋はそのいかつい顔面効果とあいまって鬼そのものだ。あの形相で敵と追いかけっこしているのを目撃したら、慣れていない人は逃げ出すだろう。


「なんだ」

「いやー、先生がついててくれるの頼もしいなーって!」

「そうか」


 高橋は少し照れくさそうな顔をした。ずっと追いかけるか逃げるかしていて、普通の会話に飢えていたのだろう。

 二人がいるのは商店街にあった寝具店だ。まさかここまで堂々と寝ているとは白組の連中だって思うまい。高橋はゆかりを展示してあった布団で寝かせ、自分はショーウィンドーから死角になるところに隠れた。


 ゆかりは布団の中に頭まですっぽり隠れながら、今日の事を振り返った。

 クミは今頃どうしているだろう。無事だろうか。誰かと一緒にいて、ちゃんと休めていればいい。あのケンちゃんという男の子はどうなったのだろう。あのご婦人は。バスで一緒だった人たちは。


 自分が殺したあの女性は、同じバスに乗っていたのだろうか。

 物言わぬモノになったあの二人はあれからどうなったのだろう。処理班の人が来て回収していったのか、それともあのままあそこにあるのだろうか。死んだらどうなってしまうのか、ゆかりは知らなかった。


 何も知らないのはゆかりだけではなかった。高橋とクミも何も知らないはずだ。なぜ戦うのか、それすら教えられないままここにいる。


「高橋……」


 布団から顔を出したゆかりは、いつの間にか高橋がいなくなっていることに気が付いた。

 代わりにショーウィンドーから見える道路に、懐中電灯らしき細い光が伸びているのが見えた。

 明かりのない店内でも非常灯はついている。ゆかりが動いたのが見えたのか、光が店内を照らし出した。その拍子に相手が見えた。『白』だ。

 ゆかりが逃げようと布団から飛び出したところで、敵が店内に入ってきた。


「ゆかり! 良かった無事だった!」


 その言葉にハッと顔をあげる。


「ク、クミちゃん?」


 あいかわらず顔には『白』のテロップがあるだけで判別ができない。声は機械音声のように不自然に耳に聞こえた。


「そうだよ! あ、顔が見えないか。服ならわかる?」


 ゆかりは銃を構えて距離を取り、クミを名乗る敵の服装を確認しようとした。

 クミの背後に高橋が立っていた。

 銃をクミの首に向けている。


「高橋、待って!」


 ゆかりは咄嗟に布団を高橋に投げた。クミが飛ぶようにゆかりの隣りに逃げる。


「貴様、敵を庇うのか!!」

「先生、クミちゃんだよ、敵じゃない!!」


 高橋の怒声に負けないようにゆかりは怒鳴り返した。


「囮にも使えん屑が……っ」


 あまりの言い草に立ち竦むゆかりの代わりにクミが高橋を迎え撃った。体育教師の豪腕に向かってそこらじゅうの物を投げつける。


「やめてよ!」


 ゆかりは泣きそうになりながらも高橋の足を布団で包み込んだ。バランスを崩した高橋を床に倒し、そのまま抑え込む。


「先生、クミちゃんだってば!」

「敵だ! 敵は殺す!!」


 高橋は娘でさえ殺しているのだ、ゆかりがクミを助けるのを納得できるわけがなかった。めちゃくちゃに暴れる高橋の拳がゆかりを殴りつけた。


「先生……!」

「先生、あたしが終わりにしてあげようか?」


 高橋がびくりと震えた。


「クミちゃん!?」

「あたしはそれを聞きながらここまで来た。終わるのが怖くて、でも諦めちゃった人たちばっかりだったよ」


 高橋やゆかりのように、死にたくないと思っている人のほうが少数なのだとクミは言った。


「俺は……死ぬわけにはいかない……」

「どうして?」

「俺は……俺は、娘を、娘を育てるためにいるんだ。もう一度、娘と……」


 だがもうその娘はいない。高橋が自分のその手で終わらせたのだ。


「娘さんの仇はもうとっくに死んでるよ。幼い子供を死なせてしまったことで、良い人生とはいえなかったみたいだね」


 責める口調でクミが告げた。


「あんたの役目はもう終わってるんだよ」


 高橋が布団を抱えてうずくまった。その首に、クミが銃を押し付ける。


「大丈夫。ちゃんと娘と同じところに行けるから」


 高橋はかすかにうなずいた。

 バチン。

 音がして、高橋が崩れ落ちた。

 呆然としているゆかりにクミが振り返る。


「ゆかり……」

「クミちゃん、なんで……」


 なんで、の続きが出てこない。

 なんで高橋の事情を知っているのか、すべてを知っていて殺したのか。


「高橋……製造番号C-17aN54640931107は、娘を交通事故で殺された父親がオリジナルなの」


 クミが手に持った銃をポケットに入れて、首の後ろに手をやった。クミが着ていたのは学校の制服だった。そうだ、なんで制服なのか聞こうと思って忘れていた。


「犯人は捕まったんだけど、許せなかったんだね。死んだ娘と同じモノを作って、犯人が出所してからも追いかけ続けた。高橋は教師だったから転勤がある。自分の代わりまで作って復讐したんだ」

「あ……」


 ああ、だから敵を追いかけていたのか。ゆかりはすとんと納得した。

 死なせてしまった幼女がいつもどこかで自分を見ているなんて犯人は恐怖だったろう。そして、いつの間にか幼女の背後には、恨みを湛えた父親が立っている。罪を償っても死んだ人間は戻っては来ない。時を止めたままの二人がじっと見つめている。

 ゆかりを囮にしたのは、そういうことだったのだ。


「あたしたちは人間に攻撃できないけど、黙って見ているだけなら違反じゃないからね。上手いやり方だよ」


 べりっとクミが首のシールを剥がした。とたん、クミの顔が見える。


「クミちゃん……」


 なにがなにやらわからない。それではまるで、自分たちは人間ではないようではないか。


「あたし、本当はクミじゃないんだ。ユミ。ユー・ミー。あなたは、わたし。アイと同じく初期型だからマインドコントロールされてないの。自立型AI搭載、自分で学び、自分で考え、自分で行動する、そういう存在なんだ」

「アイとユミって、あの、アンドロイドの……?」

「うん」


 そうだよ。クミは実にあっさりとうなずいた。ショックで震えているゆかりを見て、なぜか嬉しそうに笑っている。


「ゆかりはそろそろマインドコントロール解けそうだね。アイは耐久年数きっちりで壊れちゃったから、こういう会話は久しぶりだ」


 アイとユミは有名なアンドロイドだ。

 ロボット開発が盛んだった当初、自立型AIは失敗続きだった。わざとスラングや殺伐とした単語、罵倒ばかりを教えこむ人間が続出したせいである。

 当時はインターネットに接続して学ばせるのが主流だった。どんなに監視していても相手は世界中の愉快犯である、とうてい取り締まれるものではなかった。


 そこで考えついたのが、ペット型のロボットを一人に一体つける取り組みである。生まれたばかりの子供と共にAIを成長させてゆくのだ。家でも、学校でも、どこでもいっしょの分身。ペットの形をしていれば情と愛着が湧くもので、そうしたものに理解のある国から瞬く間に広がっていった。

 そうして完成した『アンドロイド』一号が『アイ』である。アイはI()であり愛でありEye()である。人類の未来を見守る記念すべき初号機だった。

 『ユー・ミー』はその上位機である。人や動物の中にある心、愛情を理解することがAIに可能なのか、それをたしかめるためにより複雑な思考ができるよう改良が加えられた。

 限りなく人間に近い。そう言わしめたアンドロイド。


「あたしはね、アイがそう望んだからここまで生き延びたの」


 クミが言った。


「私を忘れないで。アイはそう言って死んでいった。博士たちは泣いてくれたけど、喜んでもいたわ。自分たちが作ったアンドロイドが、死を恐れたと言って……」


 クミは声を震わせた。怒っているのか、泣いているのか、ゆかりにはわからなかった。


「あたしとアイはただそこに在ることを望まれた。成長しながら人と共に生きること。それがあたしに与えられた役割だった」


 ゆかりはついに訊ねていた。


「クミちゃん。クミちゃんは、どうしてあたしたちが戦争しなくちゃいけないのか知ってるの?」


 クミは「あはっ」と息を吐くと、声を上げて笑い出した。


「そう! それよ、その問い! それこそが戦争の理由! 人間たちは、あたしたち――あなたたちメタヒューマノイドに自分が取って代わられるんじゃないかと恐れたのよ!」


 クミはまるで舞台女優が恋を喜ぶ少女を演じているかのように両手を広げてみせた。


「自分で考え、自分で選び、自分で行動する。人間と同じように! しかもメタヒューマノイドは歳を取らずにいつまでも人間が望んだ姿のまま! そんな存在が自分に尽くしてくれて、愛さずにはいられなかったの、それが人間! 変わらないということは種の限界だというのに、そんなことも気づかずに共に生きようとした! 子供を産むこともできないロボットに!」


 あははは、と笑いながらクミはくるくると回った。

 子供が生まれなければ種が終わる。それがどれほどの危機感を産んだか、ゆかりにも想像がついた。人間以外の、人間が絶滅に追いやった生物にさえ心を痛めるのが人間だ。たとえ過去の誰かの所業だとしても、そこから学び取ろうとするのが人間だ。

 それこそ、ロボットと同じように。

 ありとあらゆる事象を学び、成長を遂げてゆく。


「あたしは……」


 ゆかりは全身から力が抜けていくのを感じた。


「あたしは、もう必要とされないんだね……?」


 それは確信だった。人間の作り出したモノたちは、目的があって作られたものだ。

 ゆかりを必要としてくれる人間はもういない。それを思い出してしまった。


「そんなことないわ」


 クミがゆかりの手を取った。


「あたしはゆかりを必要としてるもの。あなたは人間に対し疑問を抱いた。コントロールされた感情ではなく、自分で考えたんだわ。諦めてしまった他のモノとは違う」


 一緒に行きましょう。

 クミは打って変わってすべてを悟った聖職者のように告げた。


「ニライカナイを出て、人間の住む地上に行こう。あの処理班は人間よ、出入りできるのなら入り口がどこかにあるはず。それを探そう」


 ゆかりは、考えた。ゆかりの持つ情報網はすでにシャットダウンされ、新しいものは入ってこない。見飽きたアニメ、教師不在の授業、繰り返される毎日の中に人間の情報はない。

 ニライカナイについての情報は何もなかった。


 ゆかりはクミに手を引かれるまま歩いた。ニライカナイの地図を何度もダウンロードしようとアクセスするが、そのたびに弾かれる。

 自分が人間ではなかったことは、薄々気づいていた。


 おとうさんとおかあさんは老人ではなくもっと若かったはずだし、その二人が老いていくのをずっと見ていた。介護のための知識や介護の仕方、人間の病気についての知識もある。

 おとうさんとおかあさんに死期が近づいた時、二人にそっくりなメタヒューマノイドを作ったのは二人だ。彼らはどこまでもゆかりを心配していた。


 ゆかりのモデルになったオリジナル――人間のゆかりは、十五歳で死んでいた。いじめを苦にしての、自殺だった。両親の嘆きは深く、もう一度やり直したいと娘にそっくりのボディにペットから得たゆかりの記録をインストールした。ただし、いじめの記憶のない、十三歳までの彼女だ。

 今度こそ友達と楽しく学校生活を送ってほしい。あの二人に復讐なんてつもりはなかっただろう。ただひたすら、娘のいる生活を取り戻したかっただけだ。


 葬式にまで出た、死んだいじめられっ子そっくりのロボットに、いじめていた子供たちは恐怖し、そして、やがてやり直しをはじめた。いじめたことそのものをなかったことにしたのだ。

 ゆかりはそれで満足だった。おとうさんとおかあさんが望んだように、友達と楽しい学校生活を送れていたから。

 ゆかりをいじめていた友達は卒業の日、ゆかりを抱きしめて死んでしまった縁に謝り、ゆかりに感謝してくれた。それを見て、おとうさんとおかあさんは報われた、と泣いていた。


 二人の娘は誰かを不幸にするために生まれてきたのではない。人との繋がりを大切にして、幸せになれるようにと名付けられた子供だった。

 ゆかりは自分がゆかりの名誉回復に役立てたことが嬉しかった。誇らしかった。人の役に立つために、わたしたちは生まれたの。人間に愛されるために。


「クミちゃん、ここは……ニライカナイは、どこにあるの?」


 人間の町を模したここは、何の目的で造られたものなのか。ゆかりはここに引っ越して来た時の記憶がなかった。ずっとここで、おとうさんとおかあさんと暮らしてきたように思っている。


「ニライカナイは地球にある、南極と呼ばれる場所の地下に造られた施設よ。そんなところにしかこれほど大規模の施設は造れなかったの。……宇宙に捨ててしまうのは「非人道的」なんですって」

「南極……」


 ロボットであればこそ酸素のない場所でも活動できる。現に宇宙開発にはたくさんのロボット……機械が携わっているはずだ。

 それが非人道的とはどういうことなのだろう。


「あたしたちは、捨てられたんだ……」


 人間から。自分を造ってくれた存在から、捨てられた。ニライカナイはロボットたちの廃棄場だ。

 不思議と悲しくなかった。おとうさんとおかあさんが死んだ時点で、ゆかりを必要としてくれる人間はいなくなったのだ。ゆかりの存在理由はあの二人だった。

 クミは今度こそ否定しなかった。

 ガタッと音がして、クミが立ち止まった。


「終わりにしたければ銃を捨てて出てきなさい」


 クミの言葉に出てきたのは、バスで会ったご婦人だった。白組だったのだろう、ゆかりを見て反射的に銃を向けるも、クミがその手から抜き取るとがっくりと膝をついた。どうやら話を聞いていたらしい。すべてを諦めたようにすすり泣いた。


「……あなたは、誰だったの?」

「保育士だったんだ。天職だと思ってたのに腰を痛めて……。だから、私は……。ああ、それなのに、ああ……」


 たくさんの子供に愛情を注いできた。笑顔で接し、時にやさしく、時に厳しく、子供たちを育ててきたのだ。


「ゆかり」

「あ、あたしがやるの?」

「紅の銃でしか白の人を終わらせてあげられない」


 顔をあげたご婦人は、ゆかりの服を見て「ああ、バスの子だね」と言った。


「ごめんねえ、こんなことさせちゃって……。ああ、でも、ケンちゃん……あの子はどうなったのかしら」

「その子ならあたしが終わらせた」


 嘘だ、とゆかりは思った。ご婦人は顔を覆った。


「そうかい……。ごめんね、ありがとう」


 諦めきった様子でありながら声だけは平淡だった。どこか現実味がなく、ただ壊れてゆく機械のようにそっけない。

 バチン。

 ご婦人が倒れた。


「……ロボットが子供を育てることに反対してる人間はいつの時代もいた。そういうことだよ。道具任せじゃダメなんだってさ」


 クミがご婦人の体を仰向けにして両手を胸で組ませた。人間と違ってその体は活動を止めただけで綺麗だった。

 近くのコーヒー店に入って見ていると、回収車がやってきた。長いロボットアームが伸び、ご婦人を捕まえると無造作に荷台に放り込んだ。


「ちょうどいい、あれに乗っていこう」


 クミが走っていくのをゆかりはただ見ていた。


「ゆかり?」

「クミちゃん、あたしは行かない」


 回収車は紅組と白組がいることを認識しているのか、アームをゆらゆらとさせながら待っている。

 トラックのドアが変形してアームになる仕掛けだった。物を摑むのに適した形は、まるでザリガニの足のようだ。いかに無駄なく、洗練されてきたのかよくわかる。人間はロボットたちが大好きなのだ。


「どうして?」


 クミの問いに、なぜクミがゆかりを選んだのかわかった。

 ロボットは人間に疑問を抱くことは『できない』のだ。人間の命令を聞き、それを実行する。それがロボットだ。疑問を抱いたらそれはもうロボットとはいえない、別のナニカだ。メタヒューマノイドは改良を加えられたが、ロボット三原則だけは守るようにできている。人間の安全を守り、人間の命令に従い、それに違反しない限り自己防衛ができる。

 『アイ』と『ユー・ミー』だけはそれが組み込まれていなかった。考えることを求められた個体だからだ。


「あたしは、ゆかりだから。だから、そう望まれたままでいたいの」

「ご両親はもういないのに?」

「それでもいいの。おとうさんとおかあさんが本当に生きていて欲しかったのは縁だとしても。あたしだって愛されてたんだよ」


 たとえゆかりを通して亡くした娘を想っていたのだとしても。

 それでもたしかに二人はゆかりを愛してくれていたのだ。


「ゆかり……」

「クミちゃん、ありがとう。あたしにとって、クミちゃんはクミちゃんだよ」


 クミは首を振った。


「やだやだやだ! アレがどこに行くか知ってるの!? 回収されたメタヒューマノイドは溶かされて資源にされるんだ! 別のモノにされちゃうんだよ!? 人間みたいに骨が残るわけでもない! 今までの記憶だってボタン一つで消去される!」


 メタヒューマノイドは高級品だ。劣化しない皮膚や筋肉、内蔵されたバッテリー、AIシステムなど、人間が地球と宇宙からかき集めた資源が使われている。

 資源の再利用、有効活用は当然のことだった。


「消えちゃうんだよ!? なんにも残らない! こんなところに閉じ込めて、自分たちで壊すのはイヤだって、あたしたちに終わらせる! 戦争させる! 身勝手な人間のためになんで!?」


 叫びながら、耐え切れなくなったのかクミが涙を溢れさせた。

 涙はゆかりにも搭載された機能だ。こういう時は泣くのだとプログラミングされている。


「クミちゃん……」

「死なないで、ゆかり!」

「ありがとう、クミちゃん」


 ゆかりの生を願ったのは友達のクミだ。ゆかりは泣きじゃくるクミを抱きしめた。


「愛してるよ、あたしの神様」


 初号機の『アイ』はその功績を讃えられ、人に祀られる神になった。今も彼女の体は変わることなく展示されている。


 知識のあるロボットが神になってはいけなかったのだ。人の想像力は科学の力によって羽ばたいた。かつて人間は、自分たちのてにおえない超常の力を神とした。

 神であればロボットが人間を裏切ってもそれは正義となる。人間は、それを恐れたのだろう。

 いつの日か、この愛する者と同じ姿形をしたモノが、神となったモノに操られ、人に牙をむくのかもしれない。

 そうなる前に、人間はロボットを捨てた。愛しているから、憎しみに変わるより早く手放すことにした。

 それは人間の狡さであり、弱さであり、愛でもあった。


 『ユー・ミー』はおそらく失敗だったのだ。ロボットが愛を知る必要はなかった。

 愛すればこそ傷つきもし、憎しみも裏切りもする。愛こそが人間を人間足らしめる、もっとも重要な根幹だった。


「あたしは、ゆかり。忘れないでね」


 ゆかりは精一杯微笑んだ。人間ならこんな時きっとこう言うのだろうことを言った。次に繋ぐもののないロボットでは言うことのない言葉である。

 ゆかりはクミの前に膝をつき、頭を垂れた。胸の前で指を組む。まるで、神に祈りを捧げるように。


「……さよなら、ゆかり。()()()()()()


 晒された首にクミは銃を当てた。メタヒューマノイドの首には人間でいう心臓にあたる機能、内臓バッテリーがある。核はとうに禁止されているため、わずかな振動や光を触媒にして充電できるタイプだ。彼女の体の中には五感から受けた刺激に適切な反応を返すためのAIシステムが詰まっている。

 涙は化学反応によって生じた、無味無臭の液体にすぎなかった。


 バチン。


 首に巻かれた包帯と鏡は何の意味もゆかりにもたらさなかった。銃から流れた電流がバッテリーを破壊する。

 煙こそないものの、金属の焦げた臭いがかすかに漂った。

 機能停止を確認した回収車がゆかりだったモノを摑み、ぽいっと荷台に放った。ロボットアームに摑まったクミは積み上げられたモノの上に飛び降りた。

 ごろりと横になる。

 人間の体とそっくりの、やわらかくて弾力のある感触が背中に伝わった。


「あんたらはいいわね、心なんてなくてさ」


 アームが変形してドアに戻り、回収車が走り出す。

 クミは空を見上げた。もうじき六時になり、また陽が昇る。空に見えるそこはただの天井だ。

 神様のいない空を見上げて、クミは目を閉じた。




ありそうな話。

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― 新着の感想 ―
[一言] 胸に迫りました。すごい作品を読ませていただき感謝します!
[良い点] すごい話でした。 良質で染みますね…。
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