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超特価の子猫

掲載日:2020/09/26

 (うち)にはフェレットが一匹いる。

 夏に迎えたので「なっくん」と名付けた。

 人によってはイタチ独特の匂いが嫌だと言うが、私には気にならない。むしろ香ばしくて好きである。仕事から帰ると抱き上げて匂いを嗅ぎまくってしまうほどだ。

 噛み癖もベビーの頃はあったが躾をしてマシになった。今でもじゃれて私の手のひらの『水かき』に噛みつき、私をどこかに引っ張って行こうとしたりする。フェレットの愛情表現だと思えば何てことはない。とは言え動物の口に体の一部を入れられることにどうしても抵抗がある人には無理だろう。

 寿命が短いことは承知している。

 これほど可愛くて、これほど懐いてくれる動物が、4歳を過ぎれば大抵ガンのような重大な病気に罹るというのは、やはりやりきれない。

 しかし私が動くと「何してるのー?」と言うように後をついて来て、私が座るとおへそを天に向けて寝転び見上げて来て、私が布団に入るとすぐに潜り込んで目の前で一緒に寝てくれる彼は、一万円で買った新品のヘッドフォンを破壊されても「しょうがないなぁ」で済むぐらい、なくてはならない存在になっている。

 どれだけ疲れていても、どれだけ心に鬱が忍び込んでいる時でも、なっくんが全身で「生きてるって楽しいなぁっ」と跳びはねている姿を見ると、救われるのである。


 本当は猫が欲しかった。


 私はアパート住まいなので無理だった。

 大家さんが「ケージに入れて飼える動物ならいい」と言ってくれたので、色々調べてフェレットを迎えた。

 その時に聞いてみたことがあった。

「猫はいいですか? 猫ならケージに入れて飼えます」

 期待を込めて、目を輝かせる私に対して、大家さんの顔は苦虫を噛み潰したようだった。

「猫はねぇ……。結構大きな声で鳴くでしょう? それに、ケージに入れっぱなしというにも行かないんじゃない? 爪も研ぐしねぇ……」

 大家さんは「ダメ」とははっきり言わなかったが、その顔に大きく黒文字で「ダメー!」と書いてあった。


 大家さんに内緒で迎えようと思ったことはある。

 ネットの「里親募集」を見ると、飼い主を求めている猫様達の写真がたくさん、私の顔を覗き込んで来た。

 中には里親が見つからなければ安楽死させられてしまう子も少なからずいる。

 しかし里親になるには条件があり、私はそれを満たしていなかった。

 一人暮らしで、ペット不可のアパート住まい。もうその時点でNGである。嘘をついても、確認に部屋を見に来るらしいので、素人詐欺師の無駄なあがきだ。


 何より大家さんの言う通り、猫は結構大きな声で鳴く。


 嘘をついて迎えてもすぐにバレることは明白で、私は結局、猫のいる生活を諦めるほかなかった。


 なっくんを生後3ヶ月で迎えても、初めのうちは「猫がよかったなぁ」と思っていた。

 まったく鳴かないのはいいことだが、でもやっぱり寂しかった。「ニャーとか鳴けよ」と言ってしまったこともある。

 いつ見てもフェレットは(せわ)しなく動いていて、一緒にまったりした時間を過ごしてくれる膝の上の神様を何度求めたことか。

 しかし嬉しい時や楽しい時にだけは「クックック」と喉を鳴らすことを知り、腕の中で眠ってくれるようになってからは、いつの間にか「猫のほうがよかった」なんて思わなくなっていた。


 私の趣味のひとつに「ペットショップ巡り」がある。


 買うものも別にないのにペットショップを見つけると吸い寄せられるように入り、ショーケースの向こうの猫様とお話するのが昔からの癖だった。

 なっくんを迎えてからも、その癖は抜けなかった。

 フェレットフードや必要品を買いに入っても、まずは猫様の元へ足が勝手に向かう。


 つい先日のことだ。仕事で少し離れた町に車で出掛け、そこで暫く時間を調整する必要があった。

 あまり賑やかではない町で、大きな店といえばどこにでもあるようなチェーン展開のファストフードの店やスーパーマーケット。あとは地元のショッピングモールがあるくらいだった。

 私は地域色を期待して、ショッピングモールに入って時間を潰すことにした。


 大きな窓から秋の陽光が差し込み、観葉植物がいたるところに並べられ、そこにいるだけで寛いだ気分になれる。それはなかなか気持ちのいいショッピングモールだった。

 暫く建物の中を歩き回っていると、私はペットショップを見つけた。

 例によって吸い寄せられるように私の足はまっすぐそちらへ向かい、入って行った。


 大きな目を真っ黒にして、すぼめた口で「なぁ」と話しかけて来る子猫に、私は胸を撃ち抜かれた。

「かぁ~わい~!」

 声も出せずにキュンキュンしている私に、追い討ちをかけるように、隣のショーケースの子猫が私に抱きつくような格好で肉球を全部見せてくれた。

 私は危うく失神するところだった。

「もぉ~! これは後のことは何も考えずにお迎えしちゃおっかな~!」

 そんな私の甘い考えを値札が冷ましてくれる。

 最初の子が23万8千円。

 肉球見せてくれた子が21万3千円。

 それにワクチン接種代金とか色々含めると、私の1ヶ月の給料がほぼなくなった。

 私は妄想を楽しむだけにして、フェレットフードのコーナーへ移動した。


 フェレット用品はひとつもなく、小動物コーナーにフェレットもいなかった。まぁ、しょうがない。マイナーなペットだからな。


 部屋で私の帰りを待っているなっくんのことを想像した。いつも私に見せてくれているあのキラキラした目をつまらなそうに細めているだろうか。


 正直、なっくんには悪いなと感じていた。私が仕事の間、誰もいない部屋にひとりぼっちにしている。

 いくら1日20時間寝る動物とはいえ、私がいない間でも寂しくないよう、遊び相手がいればいいのにな、といつも思っていた。

 フェレットは人懐っこく、犬も猫も大好きだと聞く。

 なっくんと猫様がもつれ合って遊ぶ光景を思い浮かべると……。なんてこと! それは私にとっても天国だった。


 そんな天国を想像しながら店内を歩いていると、店の隅っこの汚いと言ってもいい一角に、適当にマジックで書いたような値札があり、書かれた文字が私の目の中に飛び込んで来た。


 ノルウェージャンフォレストキャット

  超特価  2910円


 桁を間違えてるのかと思った。

 しかし29100円でも安い。


 さらによくよく見ると、値札はペットキャリーに貼られており、その中にその子がいた。

 お腹が白くて背中に銀色の模様の入った子猫が、スモークブラウンのプラスチック扉の向こうに、項垂れるようにお座りしているのが透けて見えた。

 私はその前に座り込み、顔を見ようと自分の顔を傾けた。


「ねぇ、どんな子なの?」

 私は子猫に話しかけた。

「ねぇ、こっち向いて?」


 すると子猫が顔を上げた。

 口から太いボルトのようなものが飛び出している。

 苦しさに不機嫌なようにも見える顔で、私を見るととても小さな声で「ギャアア」と鳴いた。


「どっ、どうしたの?」

 私は思わず店員さんに確認することもせずにキャリーの扉を開け、その子を手に抱いた。

 近くで見るとわかった。口から飛び出しているボルトのようなものは歯、というより骨だった。

 左目が白く濁っており、眩しくもないのに右の瞳とも針のように細く、目が見えていないようにも思えた。

「……かわいそう」

 私は頭を優しく撫でてあげた。猫は何の反応もしなかった。

 ただ私の手の中で、すぐに死に行くもののように弱々しく呼吸するだけの、まるで壊れて綿のはみ出たぬいぐるみだった。

 私はそっと子猫をキャリーに戻すと、その場を離れ、歩きながら考えた。


「あの子……大きな声で鳴かない」

「大家さんにもバレないかも……」

「2910円……」

「買う? お迎えしちゃう?」

「ノルウェージャンフォレストキャットが2910円だよ……?」


 しかしなかなか決心はつかなかった。

 なっくんとあの子が遊んでいるところを思い浮かべる。

 真っ白な神獣のようななっくんが、なぜか想像の中で、薄汚れてしまったように見えた。


 だんだんと愛するようになることは出来るかもしれない。

 でも初めからあの子を愛してあげられる自信がない。

 そのうち愛してあげられるようになる保証もない。


 私はその子を迎えることをやめた。


 決心がつきながらも、もう一度姿を見ようと足を運ぶと、キャリーの中からその子の姿が消えていた。


 猫じゃらしをひとつ選び、レジに持って行った。なっくんは猫じゃらしで遊ぶタイプのフェレットである。細長い体で夢中で追いかけて、かわいい姿を私に見せてくれる。仕事中にひとりぼっちで遊んでいる形跡もあった。それで今ある猫じゃらしがもうボロボロだったので。


 レジのお母さんは巨乳を強調する服装で気さくな接客をする、感じの微妙な人だった。夜の酒場にいれば感じのいいママさんだろう。

 レジを打ちながら片手に子猫を抱いている。さっきの子だ。初めて見た時のショックが薄れたのか、今はそれほど悲愴な印象はなかった。

「その子……。その顔、どうしたんですか?」

 私が聞くと、店員さんは気さくに、かつとても簡潔に答えた。

「これね。骨折なの。骨折よ」

 骨折でそんな顔になるものなのか、私は知らない。


 決断するチャンスが再び訪れた。

 二回目とはいえ、私はその子を見慣れていた。口から飛び出しているボルトもそんなには気にならなくなっている。

 店員さんはその子に餌をあげていたところだった。私に商品を渡すと、引き続きそれを始めた。

 太い注射器で流動食のようなものを流し込み、入れた餌の一部は口から外へボタボタと落ちていた。

 私にあれを毎食してあげられる時間はない。


 私はそれを言い訳にした。


 帰り道、私の心は重くなっていた。

 もしもなっくんが何かの事故に遭い、顔に酷い(きず)を負ったとしても私はなっくんを愛するだろう。でも、もしも迎える時に既にその疵があったら?

 超特価の子猫が、もしも、普通に餌を食べることの出来る猫だったら?

 私は自分の行いに傷つき、超安っぽい人間のように車に戻った。


 私は、その猫を迎えなかった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] どこからどこまでが夢なのか僕には判断がつかなかったけれど、夢独特の理不尽な組み合わせが登場する後半に至るまでの穏やか語りがとても好きです。
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