醤油売りの少女と柳刃侍
「お醤油……どなたか、お醤油は要りませんか……?」
ずっと、一人だった。
『おいおい、あいつ醤油なんて売ってるぜ』
『毎日毎日あんなところで醤油なんて売らされて、本当に哀れな娘だよ』
私は産まれてすぐに捨てられて、物心ついた頃にはもう今の両親の元で、こうしてお醤油を売っていた。
『今日のアガリはたったのこれだけだって? やれやれ、もっと真剣にやってくれないか?』
『このために、身寄りの無いアンタを引き取ってやったってのに……この、親不孝者!!』
寂しくなんてない。
私がお醤油を売ることで、お義父さんとお義母さんは、お義父さんとお義母さんでいてくれる。
寂しくなんてない。
私がお醤油をたくさん売れば、お義父さんとお義母さんはとても喜んでくれる。いつも以上に、お義父さんとお義母さんでいてくれる。
だから私は、ずっとお醤油を売り続けるの。
だから、寂しくなんて………ない。
「お魚……どなたか、新鮮なお魚は要りませぬか……?」
ずっと、一人だった。
『おいおい、あいつ侍のくせに鮮魚なんてさばいてやがるぜ』
『毎日毎日あんなところで鮮魚なんてさばいて、立派なチョンマゲが泣いてるよ』
拙者は侍になってすぐに刀を無くし、気付いた頃にはもう柳刃包丁を片手に、こうして新鮮なお魚を三枚におろしていた。
『今日もまた三枚おろし? やれやれ芸が無い、もっと真剣にやってくれないか? おっと、お前は“ 真剣 ”を無くしちまったんだったな(笑)』
『このために、刀の無いアンタに柳刃包丁をくれてやったってのに……この、柳刃侍!!』
寂しくなんてない。
拙者が新鮮なお魚をさばくことで、おやっさんとおばっさんは、おやっさんとおばっさんでいてくれる。
寂しくなんてない。
拙者がお魚をうまくさばけば、おやっさんとおばっさんはとても喜んでくれる。いつも以上に、おやっさんとおばっさんでいてくれる。
だから拙者は、ずっとお魚をさばき続ける。
だから、寂しくなんて………ていうか、刀なんてない。
お醤油を売る、それだけの日々。“ それだけ ”が、私の全てだから。
『どうしたんだ? またこんなに売れ残ってるじゃあないか!』
なのに………どうしてだろう。
『アンタ、ちょっとたるんでるんじゃあないのかい!? もう一度町へ行ってきな!!』
わからない。でも、何かが違うって、そう感じるの――――。
お魚をさばく、それだけの日々。“ それだけ ”が、拙者の全てだから。
『どうしたんだ? 魚をこんな細切れにしちまって!』
なのに………どうしてだろう。
『アンタ、ちょっとたるんでるんじゃあないのかい!? 町へ行って頭を冷やしてきな!!』
わからない。でも、何かが足りないって、そう感じるんだ――――。
「「はぁ………」」
お醤油を抱えたままふらふらとたどり着いた、夕暮れの川辺。小さな影と、大きなため息がふたつ。
「「……………」」
知らない顔。でも、私と“ 同じ顔 ”。
「…………苦労、しているのだな」
知らない顔。でも、拙者と“ 同じ顔 ”。
「苦労……そうですね。そうかも、しれません」
「左様か……」
知らない人は苦手だった。でも、どうしてだろう。私はそのお侍さんの顔をじっと、まっすぐにみつめていた。
「あなたも、そうなのですか?」
「そう、かもしれないな……或いは拙者も……」
知らない人は苦手だった。でも、どうしてだろう。拙者はその娘の顔をじっと、まっすぐにみつめていた。
「……ふふ、ふふふ」
「なんだ、何かおかしなことでも在るのか?」
「だってお侍さん、細切れになったお魚を大事そうに持っているんですもの」
お侍さんの顔。ふいに、僅かな陰りがさしたような気がした。
「……それを言うなら、お主こそ醤油などを大事そうに抱えているではないか」
娘の顔。拙者に似たようなものを感じた気がした。
――――だから、だろうな。
「その醤油、拙者がもらい受けよう」
「……えっ?」
「お主が抱えているその醤油を、拙者がもらい受けると申したのだ」
「でも……」
懐にゆとりがある、というわけではない。同じなのだろうと、ただそう思った。それだけだった。
「……それじゃあ、そのお魚を私が買います」
「良いのか? ……いや、いや。この様なものを売りつけるわけにはいかない」
「私はそれが欲しいのです。どうか、お譲りいただけませんか?」
「しかし……」
決して美味しそう、とは思わなかった。でも、ただそうしたかった。それだけだった。
ぐぎゅるるる。
「あっ……」
大きな音。お侍さんの、お腹の音。
「すまない、昼から何も口にしておらぬもので……」
「ふふ、ふふふふ」
ぐぎゅるるるるるるる!!
「あっ!」
大きな音。娘っ子の、腹の音。
「やれやれ、お主もか」
「…………はい」
「はは、はははは」
なんだか、嬉しかった。
「……そうだ」
「どうした? 醤油の栓など抜いて」
「このお魚、こんなに細切れでは調理のしようがありませんから、このまま食べてみませんか?」
「なんと! 魚をこのまま食すと申すのか?」
「ええ、お醤油をかけて。………いかがでしょう?」
「しかし、火を通しもせずに……」
「たしかにちょっぴり冒険です。でも、すごく大きな音でしたから」
「そ、それはお主も同じことであろう」
「ですから、一緒にいかがです?」
「ぬぅ…………」
武士は食わねど高楊枝、などと申すけれども。
「……致し方、あるまいな」
据え膳喰わぬは男の恥とも、申すものだ。
「では一つ…………」
「はむん!」
「いかが、ですか……?」
「うまいッ!!」
こうしてこの国に、『お刺身』という食文化が生まれたのである。
めでたしめでたし。
おさかなはとてもおいしい