魔女っ子ノノア
暑い夏の日。
今日も今日とて街を歩く。
日に光が当たると身体が溶けてしまうから、大きな日傘は開きっぱなしだ。暑さもあまり得意じゃないから、本当は外に出たくもない。
でも大家さんに、たまには外に出て陽の光を浴びてらっしゃいと言われたから、仕方なく。邪魔だから死んでこいという意味なのだろうかとも考えたけれど。まあ、善意であるとは分かってるんだけどね。
山に囲まれたこの街は栄えているのか、過疎の進む田舎なのか、よく分からない状態にある。
たまーに人の血を吸いたくなって街を歩いても、おばあちゃんやおじいさんとしか出会わなくて、なんだか申し訳なくて、結局諦めちゃったり。
こんな暑苦しい日に暑苦しいカップルに五回も連続してすれ違ってみたり。不思議だ。
長いこと生きてきた私は、いろいろな物や者を見てきた。
その中の思い出の一つを話そう。
魔女と会った時の思い出だ。
その頃はまだまだビルとか車とかは無くて、それこそ馬車だったりレンガの家だったりが普通だった。
町外れには小さな家があって、そこには新米の魔女が住んでいたんだ。
お師匠様の所で修行して、ようやく一人立ちさせてもらえた、まだ幼い魔女。私は町を歩いて血を吸わせてくれる人を探して歩いくついでに、その子の家を訪ねることにした。アポ無しで。
あっ。一つ言っておくけど、私は人を襲って血を吸ったりしないからね。ぶっちゃけてしまうと、別に血が無くても普通の食事をすれば生きていけるし。血を吸わないでいて起こることといえば、吸血鬼特有の鏡に映らないだとか、そういった吸血鬼らしさを失うって程度。長寿の理由も吸血鬼故だから、ちょいと老いてきたら人間に血を吸わせてもらって、若返ればいいだけ。
だから、血を吸うときはちゃんとその人に許可をもらう。仲間を増やすには特別な吸血方法があるから、吸われた人が吸血鬼になることもない。お金の額を提示して、承諾してもらえれば頂きますって流れ。それっぽく言うとビジネスかな。
閑話休題。魔女の話だったね。
本当に小さなその家の周りには、魔術に使うだろう珍しい植物がたくさん生えていた。時々ウネウネとしたり、飛んでる虫に向かって触手を伸ばしているものもあった。あまり可愛いとは言えない、なんて言ったら、彼女は怒るだろうけど。
「こんにちは」
扉をノックすると、中からパタパタという足音が聞こえて来た。それが止まったと思えば、ドアノブ近くにある小窓が開いて、藍色の瞳がこちらを見上げていた。
「どなたですか?」
「最近この町にやって来た吸血鬼です。近くを通ったので、挨拶に伺いました」
「あ、ありがとうございます!少々お待ちください!」
たたたっと足音が聞こえ、そこにばたばたと騒がしい音が続く。急な来客のせいで、部屋を片付けなければならなくなったようだ。申し訳ない、やはり先に連絡するべきだった。
「ど、どうぞ……」
ぎいっと木のドアの軋む音がして、中の様子が露わになる。棚やタンスからは今詰め込んだと思われる衣類や小道具がはみ出していて、なんとも微笑ましかった。いや、私が悪いんだけど。
魔法を司る者にとっては、吸血鬼みたいなものは珍しくもない。一人立ちする前に魔法生物全般について、きちんと、正しく学んでいて、名の知れた生き物には実際に一度は会っていることが多い。
「初めまして、ノノアと言います。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げると、茶色の長いおさげが尻尾のように動く。まだ生まれてから十四、いや五といったところか。幼さが抜けきらない顔立ちが保護欲を誘う、そんな感じ。
「丁寧にありがとう。私の名前はキドリック・スーファ・……ああ、長いからキドリックと呼んでください。お言葉に甘えて、失礼させてもらいますね、何せ日光が苦手なもので」
「ああ!すみませんお待たせしてしまって!」
傘を畳んでドアの近くに立てかけ、少し低めのドアを潜る。
こんなにも簡単に私を家に通しているには理由がある。まず私たち吸血鬼は、魔法使いの血を飲むことができない。魔力の通った血は私たちにとって劇薬のようなもので、口に含めば即死してしまう。また魔法使いの家というのは通常、強固な魔法陣の上に造られている。魔法陣のなかでは陣を描いた者に対する一切の危害は無効化されるのだ。家の見た目に反して、その実態は要塞のようなもの、というわけだ。
小さな机に向かい合うように置かれた椅子の一つを進められて、そこに腰かける。私が座ったのを確認して、紅茶の入ったティーカップとポットを魔法で机に呼び寄せ、そのままお茶を入れてくれた。
「それで、今日はどういった御用ですか?」
ちょこんと椅子に腰かけ首を傾げるしぐさは、なんとも子供らしいものだった。
「いえ、特に用というわけではないのですが。この町に滞在するにあたって、予め私という者がいることをお伝えしておこうと思っただけです。長く生きていると、いろいろあるものですから」
「は、はあ……それは、その……お気の毒でした」
彼女は恐らく、自分の知っている吸血鬼についての歴史を思い出しているのだろう。人間たちから脅威だとされて、多くが殺されてしまったことや、他の魔法生物との生存競争に敗れたことやら。……私としても、あまりいい思い出じゃないね。
「まあ、今はそんなことは置いておいて、ノノアさんのことを聞かせてください。あなたのお師匠様はどんな方でしたか?」
「お、お師匠様ですか? そうですね……なんというか、すごく頭のお固い方でした。……中も外も」
ふむ、頭の固い人か。私はあまり魔法使いの知り合いがいなかったから、そのお師匠様というと頑固なおじいさんっていうイメージ通りだな。小さく聞こえた部分にはつっこまないことにする。
「厳しい人だったんですね。でも、あなたはとてもよい魔女に見えます。修行の、お師匠様の指導の賜物でしょう」
「いえ、それほどでも……」
彼女はえへへと照れ笑いを浮かべ、椅子の上でもじもじとしていた。随分と可愛らしいじゃないか。大人にはない反応で、久々の感覚だ。
さて、良い香りの紅茶を頂きながら、はてどんな話をしようかと考える。このまま帰ってしまったら、本当に何をしにきたのかわからない。
……そうだ。ちょうどいい話がある。
「せっかくですし、ノノアさんの魔法を見せては貰えませんか?
「ええ、構いませんが……何を見たいんです?」
首をちょこんと傾げて、私の目を覗きこんでくる。私は無意識にその目から逃れようとしていた。
魔法使いの視線というのはどうも苦手だね。心を読むなんて魔法は聞いたことがないけど、どうにもそんな気分にさせられる。
「そうですね……例えば、生き物の成長を速める魔法なんかはありますか?ここくる一つ前の街で、こんなものを拾いましてね?」
私は上着のポケットから、掌でころがるような小さな卵を取り出し、机の上にそっと置いた。
「手に取っても?」
「ええ、どうぞ」
ノノアはしげしげと卵を見つけ、おそるおそる卵を手に取った。
「これは……ファイヤーリザードの卵でしょうか?」
「お見事。その通りです」
流石魔女というべきか。勉強熱心でいらっしゃる。
「前の街にいた時、魔法生物を扱う商人の方と知り合いになりまして。お店の手伝いをしていたら、お礼にこの卵を一つ譲ってくれたのです。正直扱いに困ることは目に見えていたので断りたかったのですが、せっかくの気持ちを無下にするわけにもいかず、こうして頂いてしまったわけです」
そういって私は肩を竦める。ノノアは未だに、卵を見つめていた。
ふむ、このタイミングだな。
「よかったらお譲りしますよ。私は放浪者なので、生き物を飼うには向いていません」
「そ、そういうことなら頂きます。ありがとうございます」
ファイヤーリザードは気性の穏やかな生き物で、大人になっても子供の頃と大きさに差がない。家の中で火を吐かないように躾ければ、ペットとしてはぴったりと言える。
ノノアは一人暮らしで寂しいだろうし、私としては厄介払いができる。これぞウィンウィンってもんだ。
「あの、すみません。魔法は他のものではだめでしょうか?生命に手を加える魔法は、あまり好きではないので」
「ええ、もちろんですとも」
もともと、魔法の件はこの話をするためのきっかけ過ぎないからね。
「では、その代わり、私のお腹を満たす魔法を体感させて欲しいといのはどうでしょう?」
「お腹?……わかりました。すぐに準備しますね」
「厚かましくて申し訳ない。なにせ、貧乏なもので」
くすくすと笑いながら、ノノアは食糧庫に消えていった。
私のお願いを簡単にいえば、昼飯を馳走してくれと言ったのだ。突然押しかけて卵を押し付けたあげく、昼飯というおもてなしを要求したのだ。ずうずうしいにも程があるって?いやいや。長く生きているうちに身に着いたものだよ。年の功とでもいってくれたまえ。
この後、ノノアの作ってくれた昼ご飯を美味しく頂いて、お礼を言ってから家をでた。
結果的に見れば、私は短時間の間に卵を処理し、昼ご飯まで浮かせたということか。まるで魔法使いのような手際の良さだ、なんてね。